第100話 激情の焔
「顕現しろ、『ウンディーネ』!」
「遊びましょう、『ジャックフロスト』!」
リアトリスを相手に半端な力で戦うという選択肢はない。
戦いの開始と同時に精霊を纏った二人だが、霊装衣を身に着けた瞬間に、強化された感覚が目の前に立ちはだかる少女の圧をより強く感じ取る。
「なんて禍々しい魔力……お兄様、前回戦った時とは……!」
「明らかに違うな。……ルシルに何か手を加えられた可能性が高い、か」
しかし、だからといって、ノエルがすることは変わらない。
ただぶつかるだけ。取り戻すために、戦うだけだ。
「……………………誰?」
「――――っ……!?」
これまで沈黙を貫いていた兜に身を包んだ少女が、言葉を発した。
なぜなのかは分からない。ルシルによる何らかの処置が原因であろうということが、かろうじて推測できるだけ。
ルシルによる罠か。悪戯か。定かではないが、ここで逃げるという選択肢だけはあり得ない。
「…………ノエル。ノエル・ノル・イヴェルペ。君の婚約者だ」
「ノエル…………」
その声も。考え込むような仕草も。瞳からは光が消えていたって、紛れもなくリアトリス・リリムベルのもの。
「…………あぁ。なんでだろう。その名前を聞くと……」
されど――――
「…………どうしようもなく、怒りと憎しみが込み上げてくる!」
その貌は、彩られた闇に歪んだ。
「うふっ……あはっ……あはははははははははははははは! あぁ、なんでだろう! どうしてだろう! とても度し難くて、とても憎々しいお前をこの手で始末できることが、こんなにも楽しみに思えるなんて!」
「……そうか」
自然と、それがリアトリスの本心であることは理解できた。
ルシルは洗脳の類を使用することはない。今回も同様だろう。記憶を消すことはしても、偽りの記憶を植え付けるような行為はしない。彼女は、人間というものの心を……否。『愛』というものに対し、歪んだ感情を抱いている。『愛』に踊らされる人間を愉しんでいる。今回も同じだ。愛する者同士の殺し合いを、愉しむための趣向。
「それでも構わない」
もしもこれが、地上の時に起きていたならば。
心を打ち砕かれ、膝をついていたのかもしれない。だが、今は違う。既にノエルの心は定まっている。
「君を諦めないと決めている。どれほどの怒りや憎しみや楽しみが在ったとしても――――その全てを受け止めよう」
禍々しい瘴気が蠢き、漆黒の焔へと変わる。リアトリスの指で闇の輝きを放つのは、『
「燃やし尽くせ、『
噴き上がる灼熱。焔の豹が顕現し、リアトリスの身体を包み込むと、新たに炎の鎧が形成されてゆく。頭部の兜は豹を思わせる獣が如き形状と成り、装甲の表面で揺らめく火炎は触れるもの一切を灰塵へと変える。
「熱が、広がって……!?」
リアトリスを中心に深紅の魔法陣が広がっていく。紅い光から吐き出された灼熱の焔が広間に満ち、周囲一帯が炎に包まれた。
「水属性の氷をも溶かす獄炎か……!」
ノエルとマリエッタは水属性の『霊装衣』を身に纏っているため、熱への耐性は高い。
しかし、それでも尚、ただ立っているだけで『ウンディーネ』が消耗していくのが分かる。
「ベールを耐熱に割きます!」
氷結のベールがノエルを包み込むと、『ウンディーネ』の消耗が止まった。
水属性の精霊同士、重ねることで水の力を高め、熱への耐性を飛躍的に向上させたのだろう。ノエルとマリエッタが兄妹であることも幸いした。兄妹同士の魔力ならば相性も良い。
「魔力による熱を常時『凍結』させ、魔力に変換し、排出し続けます。これで獄炎による消耗は防げますが……代わりに、相手の魔法を凍結させることはできません。恐らくこれは、リアトリス様による『ジャックフロスト』対策でしょう」
マリエッタの契約精霊『ジャックフロスト』の力は、あらゆる魔法の凍結。
凍結した魔法は魔力に分解・解凍することで自分の力に変換することができる。対魔法戦においては無敵に近い魔法ではあるが、凍結にも許容限界が存在する。その限界を超えた量を凍結してしまえば、暴発した魔力がマリエッタに襲い掛かる。
そこでリアトリスは、この空間一帯を魔力による熱で支配した。
この熱は全て魔力によるもの。『ジャックフロスト』で凍結することは可能だが、際限なく燃え続ける獄炎を凍結し続けるということは、常に限界まで容量を使うということ。
凍結と解凍、解凍した魔力を空気中に放出することで容量をオーバーしてしまわないようにコントロールしているが、ここに他の魔法を吸収してしまえば、魔力の解凍・放出スピードが間に合わず、先に暴発が起きる。つまるところ、魔法を吸収することはできなくなった。
前回のように兄妹の力を合わせてリアトリスを打倒する、といったことは難しいだろう。
「……リアトリスらしいな。魔法や戦闘に対する機転は相変わらずといったところか」
懐かしさが胸を刺す。リアトリスの戦闘に対する天性の勘。そこから生まれるユニークな機転にはいつも驚かされていた。いつもノエルが予想もしない方向・方法での攻撃が飛び出してきて、ノエルが模擬戦で負け越す要因となっている。
「だが今日ばかりは、勝たせてもらうぞ!」
先に動いたのはノエル。かつての模擬戦ではリアトリスにばかり先手をとられていた。いや、正確には、開始と同時に持ち前の明るさと真っすぐさが身体を突き動かしていたというべきか。しかし今回はその逆。加速の魔法を使った先攻。
「遅いね、お前」
「――――っ……!?」
声の方向は懐。理屈ではなく直感で剣を置く。自分でも分からぬ間に、構えた刃に焔剣が叩き込まれていた。かろうじて反射で食らいつく。剣で反撃――――と見せかけ、足元から氷の刃を伸ばすが、既に視界からリアトリスの姿は掻き消えていた。
「あはっ! あはははははははっ! 遅い遅い遅い遅い遅い!」
接近も。攻撃も。回避も。ありとあらゆる挙動が、ノエルの記憶の中に在るリアトリスよりも一回り速い。
(原因は……全身に纏う、あの黒炎か!)
鎧から放たれる黒炎の噴射がリアトリスの全ての挙動を加速させている。
それでいて、行動に音が無い。ノエルの懐に潜り込むような低い姿勢。高速で消えたかと思えば気配を絶ち、一気に襲い掛かってくる。獰猛な獣。否。豹を彷彿とさせる、狩人が如きスタイル。
反応。反射。追い切れず、全身には徐々に切り傷が蓄積していく。
傷は浅い。敵の熱で傷口は焼け焦げ、斬られた傍から止血されていく。だがそれでも熱による痛みは全身を苛むだけ質が悪い。わざと致命的なダメージを与えず、ノエルが傷つくことを愉しんでいる戦い方だ。
「楽しいっ! あぁ、楽しいっ! どうしてだろう! お前をなぶることが、こんなにも楽しいだなんて! あはははははははははははははっ!」
「君が楽しいなら構わない……だが教えてくれ! 君の心を! オレを憎む理由を!」
「知らない……いや、知ってる? あれ? なんでかなぁ……ちょっとずつ思い出してきたかも……」
リアトリスは鈍い痛みを堪えるように、片手で頭を抑える。
「…………憎かった。怒りを感じていた。あたしの黒い髪。黒い眼は不吉で、忌むべきものとされて……虐められてた。そうだ……そうだよ! あたしはずっと、どいつもこいつも殺してやりたかった!」
炎が舞う。熱が高ぶる。
「あたしに詰め寄ってきた令嬢共! 陰口をたたいて嘲笑ってくる貴族の大人! 汚らわしいものを見るような眼を向けてくる王宮の騎士! みんなみんな、殺してやりたかった! ああ、でも何よりも憎くて、怒りを向けていたのは――――お前だ! ノエル・ノル・イヴェルペ!」
憎悪。怒り。込められたどす黒い感情が漆黒の焔と化して剣に宿る。
「お前の婚約者になんかなりたくなかった! ただずっと、お父さんの背中を追いかけるだけの『彫金師』でありたかったのに! それだけでよかった! あたしには指輪を作る時だけが幸せだった! それをお前が奪ったんだ!」
「…………っ……!」
それは、ノエルも感じていたことだ。目を背けていたものだ。
確かに自分はリアトリスに逢って世界が変わった。人生が彩られた。
ではリアトリスは? ノエルは彼女に何をあげられたのか?
彼女が『彫金師』になりたいこと。父の後を継ぎたいことは知っていた。立派な職人になりたいと。だが王族側の都合が、彼女の夢に余計な重荷を足した。
「なんで忘れてたんだろう、こんなにも大事なことを! 怒りと憎しみの根源を! あたしを哀しみの海に沈めるモノを!」
炎による加速。連撃。叩きつけられる剣戟は烈火の如く燃え盛り、より苛烈になっていく。
「あたしはお前を憎んでいる! 心を哀しみに沈めるお前に怒り、お前をこうして傷つけることを愉しんでいる!」
「それが、君の本心か……!?」
「そうだ! これがあたしの心だ! お前の見ていたリアトリス・リリムベルは偽物だ! 幻想だ! だからもう消えろ! あたしの前から消え失せろ!」
リアトリスが剣を振るい、炎の波が襲い掛かる。
目の前に迫る赤い光。照らす深紅。それが近づくにつれ、肌を焦がす熱が濃くなっていく。
このまま全てを受け入れれば、きっとリアトリスは満足するのだろう。喜んでくれるのだろう。少なくとも、彼女についている枷の一つを外すことはできるのだろう。
「…………オレはそれでも、君を諦めたくはない!」
「…………っ……!?」
振るう一閃。『
獄炎に侵された氷は瞬く間に蒸発し、水となって部屋中に散り、雨となって降り注いだ。
「君の笑顔が好きだ!」
「なに、を……!」
「どんな時でも前向きで、真っすぐなところも好きだ!」
「言ってる……!?」
「オレは君の黒い髪も! 黒い瞳も好きだ! 何度見惚れたか分からない!」
「ふざけるな! 何が言いたい! 何を……!」
「――――君がどれだけ自分を嫌っていても、オレは君を愛している!」
「…………っ……!」
リアトリスの言葉はきっと、どれも本心なのだろう。
ノエルの婚約者になったことで彼女の人生は変わった。運命が変わった。
ただの職人として生きたかった。本心だろう。
父親の背中を追いかけていたかった。本心だろう。
ノエルのことを憎んでいた。これもきっと……本心だろう。
だが、そうした本心の裏に隠れ潜む本音があった。
「気づかないとでも思ったのか? 君がオレを突き放し、遠ざけようとしていることを」
「違う……」
「怒りも憎しみも、オレを傷つける楽しみも。全て本心なのだろう。だが……君が一番最初に目覚めたのは――――哀しみだ」
「違う……違う……!」
「自分では婚約者に相応しくないと。そう思っていたんだろう? 相応しくない自分に、哀しんでいたんだろう? だから自分を卑下し、オレを遠ざけようと……オレを解き放ち、自由になってほしいと! そう願ったんだろう!?」
「違うッ!」
激昂と共に、黒炎が爆ぜた。ノエルが振るった氷の全てが蒸発し、水気となって周囲一帯に広がった。
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