第67話 氷の追憶②

 金色のオーロラを見たあの日から、『無駄』のなかったノエルの人生には多くの『無駄』が増えた。


 心を通わせた人と日々を過ごす喜びを知った。

 惹かれた人を他者に侮辱された時の怒りを知った。

 大切な人がその胸の中に抱く哀しみを知った。

 愛しい人と未来に思いを馳せる楽しみを知った。


 それはきっと、かつてのノエルにとっては『無駄』として切り捨てたもの。

 だが彼女と出会い、変化したノエルにとってはその『無駄』こそがたまらなく愛おしい。




「やはりここにいたのか」


 雪の上に小さな足跡が一面に残る協会の庭で雪だるまを作っている婚約者に声をかける。すると彼女は白い息を弾ませながら、満開の笑顔と共に手を挙げた。


「あ、ノエル!」


 十三歳になったリアトリスは、その顔に浮かべる笑顔も、お転婆なところも、出会った頃とは何も変わらない……いや。出会った頃よりも、ノエルの目には魅力的に見えた。大きな違いがあるとすれば、その美しく長い黒髪にノエルがプレゼントした髪飾りが増えたことだろうか。更に付け加えると、身長の伸びは芳しくはなかった。


「もしかして、あたしを探してた?」


「寮長に頼まれてな」


「あちゃー。もう少しぐらいならバレないと思ったんだけどなぁ」


「君は目をつけられている上に、数えきれないほどの前科がある。次に寮を抜け出す時は、もう少し工夫した方がいい」


「脱走の工夫を勧めるなんていけない王子様だなぁ。いいの? あたしを止めなくて」


「君を止められないことは、もう十分すぎるほどこの骨身に染みている」


 彼女の奔放さは学園に入ってもなお衰えることを知らず、今ではちょっとした有名人だ。

 その黒い髪と瞳で心無い言葉を投げかけられたことだって少なくはない。しかし、それでも、リアトリスという少女は内に秘める太陽のような輝きを失わずにいる。そんな彼女の強さがノエルには眩しく、そして愛おしい。


「あはは……いつもご迷惑おかけしております」


「構わないさ。君に振り回されるのは嫌いじゃない」


 これは本心だ。

 彼女の行動はとにかく『無駄』が多いが、その『無駄』は今のノエルにとっては大切なものだ。


 加えて寮の中は彼女にとって居心地が良いものかと言われると、それは少し違う。

 まだ生徒たちの黒髪黒眼に対する嫌悪は根強い。ノエルの婚約者という立場である分、まだ表立っては言われないだろうが、それでもノエルの目の届かないところはどうしても出てくる。そうしたところで彼女がどんな言葉を投げかけられ、どんな目で見られているのかは残念ながら定かではない。


「……それどころか、婚約者に逢いに行くのに、花束の一つすら用意してこなかった己を悔やんでいるところだ」


「あははっ。いいよ別に。あたし、花って柄でもないしさ」


「……そんなことはない」


 今のノエルにとってリアトリスはとても魅力的な女性であり、花束だって似合うと本気で思っている。どれだけ愛らしいか。どれだけ愛しいか。それを素直に伝えることは出来ないが、これは絶対だ。


「あー! ノエルだ!」

「ホントだ! ノエルさまー!」


 庭の向こうから次々と子供たちが駆け寄り、あっという間にノエルの周りは幼い子供たちでいっぱいになった。


「ノエル! かけっこしようぜ! おれさ、また足が速くなったんだ!」

「そんなのあとあと! ノエルさまは、わたしとかくれんぼするんだから!」

「なぁ、ノエルー! それより騎士ごっこしようぜ! また剣の振り方とか教えてくれよー!」

「あたし、もう一度ノエル様の魔法が見たいっ! とってもきれいなやつっ!」


 子供たちは取り囲んだノエルに次々とわがままをせがんでいく。

 そんな元気に溢れる子供たちに苦笑を浮かべつつも、決して振り払ったりはしない。


「分かった分かった、順番にな。……だがその前に休憩しよう。今日はお菓子を持ってきたんだ」


「「「おかしっ!」」」


 包みを見せると子供たちの目が一斉に輝きだした。子供たちの純粋で眩しい反応に、ノエルも思わず顔が綻ぶ。


「ふふっ。ノエルもすっかり子供好きになったよね」


「フン。別に好きというわけでは……」


「またまたー。照れちゃってー。素直じゃないんだからな~」


 そんなリアトリスのからかい交じりの言葉に苦笑を浮かべつつ、そのまま子供たちを連れて教会に併設されている施設に入ると、豪気な中年のシスターが子供たちの前に立ちはだかってきた。


「こらっ、あんたたち! 家に入る前に、まずはその汚れを落としてきな!」


「えー。でも早くお菓子食べたーい」


「そんなことを言う子は、お菓子抜きだよ!」


 シスターの一言はてきめんに効いたらしい。子供たちはすぐさま汚れを落としに去っていった。


「ふぅ……まったく。すみませんね、ノエル様。あの子たちがまた迷惑をかけたみたいで。それに今日はお菓子まで貰っちまってさ」


「迷惑ではない。気にしないでくれといつも言っているだろう、シスター・アマンダ」


「ちょっとちょっとシスター! あたしに対してはノーコメント!?」


「あんたの場合、子供たちと似たようなもんだからねぇ。その騒がしさとお転婆だけは、昔っからちっともかわりゃしない」


「ふっ……確かにな」


「えぇ~!?」


 そこが君の魅力ではあるのだが、とはシスターの手前言えなかった。だが昔から付き合いのあるシスターにはノエルの飲み込んだ言葉など見抜かれていることもまた、なんとなく悟ってはいたが。


 このイヴェルペ王国の王都にある教会は、身寄りのない子供たちを預かる施設も兼ねている。

 そしてリアトリスは幼い頃から――ノエルと出会うよりも前から――この教会にお邪魔をしては子供たちの遊び相手になっていらしい。それを知ったノエルは、婚約者である彼女と共にこの教会に頻繁に顔を出すようになった。


 シスターともその頃からの付き合いであり、世話にもなった。

 その気風の良さや権力にも物怖じしない豪胆さ、そして人生経験からくる懐の深さに、街の人々からは母親として慕われている。

 また、幅広い人脈から情報にも精通しており、街の事情だけでなく『ラグメント』に関する情報も提供してもらうことも多い。


 そうした公務シゴトに関することだけではなく、元は凍てついた心を持ち、様々なものを欠落していたノエルは大切なことも多く教わった。今ではすっかり頭の上がらない相手だ。


「……ま、せっかくだ。あんたらも上がっていきな。報告したいこともあるしね」


 その後、戻ってきた子供たちがお菓子に夢中になっている間に、ノエルとリアトリス、そしてシスターは少し離れた場所にあるテーブルを囲む。


「ちょいと伝手を使って調べてみたんだがね。アンタらの睨んだ通り、ここ最近、瘴気の濃度が増している」


「……やはりか」


「んー……あんまし当たってほしくない勘が当たっちゃったね」


「増しているといっても、まだごく僅か、それも一部の場所に限定してだがね。ただ、その範囲も速度も徐々に増している。このままいけば、国内だけの戦力で対処することも難しくなることだろうさ」


「そうなると、他国から応援が必要になるな。民に余計な不安を煽らぬよう、表向きには留学という扱いになるだろうが」


「仮に応援を要請する候補を考えるとしたら、レイユエール王国かな?」


「だろうな。……もっとも、そうならないのが一番だ。出来れば瘴気が増している原因を一刻も早く突き止めたいがな」


「それに関しては、まだ分からないってのが正直なところだねぇ。他のことならともかく、瘴気のこととなると、『ラグメント』が絡んでくる。『第五属性』の魔力を持たないアタシらじゃ調査しようにも限界があるからね」


「なら、詳しい調査はあたしが行くよ」


 躊躇いもせず手を挙げた婚約者に対し、思わず眉間にしわを寄せる。


「大丈夫。無茶はしないよ」


「君の『無茶はしない』ほどアテにならないものはない」


 事実、リアトリスはその奔放さからこれまでも数えきれない無茶をやらかしてきた。

 実習中に偶然出くわした魔物から他の生徒たちを庇うため、単独で囮となったことも記憶に新しい。


「だいじょーぶだって。ノエルだって知ってるでしょ?」


 リアトリスは右手の人差し指に火炎の球体を作り出してみせた。

 火力を調整し、その場に留めておくことは地味だがそれなりに高い技術が要求される。


「あたし、けっこう強いし。剣の腕だってノエルと互角ぐらいだもん。もうちょっとで追い抜いちゃうかもねー」


「うぐっ……」


 リアトリスとの模擬戦の勝率は今のところノエルの方が上回っている。が、それはあくまでも総合トータルでの話。リアトリスは実力を伸ばしてきており、直近の成績ではノエルとほぼ互角だ。


 付け加えるなら、ノエルが得意としているのは氷。水属性の魔法。対してリアトリスは炎。火属性の魔法。しかもノエルは『第五属性』で、リアトリスは『第六属性』。魔法の相性も魔力の相性もノエルの方が勝っており、その上での互角。


 実質的にはリアトリスの方が上かもしれないと思っているが、それでも当のリアトリス本人は「互角は互角だよ」と言って譲らない。


「……それでもだ。単独での調査など危険すぎる。オレも同行して――――」


「ダメ。本格的な討伐ならともかく、ただの調査でノエルは動かせないよ。……この前、第一王子のウェズリー様が負傷したばかりだもん。復帰するまではノエルが王都にいないと。何かあった時に困るしさ」


「しかし……」


「大丈夫」


 彼女にしては少し強めの『大丈夫』に、思わずノエルの口も止まる。


「あたしは大丈夫だよ、ノエル。……婚約者としてさ、たまには役に立たせてよ」


 役に立つことなど求めてはいない。

 君さえ居てくれればそれでいい。

 オレは君が無事なら、それで――――。


「――――っ……」


 浮かんだ言葉は泡のように浮かんでは、胸の中で消えていく。

 心配を素直に口にすることが出来なかった。みっともなく不安と心配を露わにすることは、王族として恥ずべき振る舞いだという思考が歯止めをかける。

 リアトリスが溶かしてくれた心の奥底には、今もなお僅かに氷であることを求められていた頃の己が根付いていた。それを自覚させられて、忌々しい気分になる。


「ノエル様の心配も当然だよ。アタシだってそうさ。あんたは危なっかしいよ。いつか、とんでもないことになっちまうんじゃないかってね」


「心配性だなぁ、シスターは。とにかく、あたしは本当に大丈夫だから! 婚約者の足を引っ張るわけにもいかないし!」


 彼女にしては頑として譲らず、結局調査はリアトリスが行うことになった。


 そして数日後、リアトリスは調査に向かった。

 送り出したはいいものの、やはりノエルの中には拭いきれない不安のようなものがあった。本当ならついて行きたかった。しかし、リアトリスの言う通り今はノエルが国を離れるべきではない。第一王子が負傷した今、ノエルが不用意に動くことなど許されない。理屈では分かっている。


(しかし…………)


 動きたいのに動けない。王族である己が許してはくれない。そしてそんな己が忌々しい。


 その時だった。


「ノエル様!」


「なんだ。……悪いが、今は…………」


「調査に向かったリアトリス様の馬車が、襲撃を受けたとの報告が――――!」


     ☆


 報告を聞いた後、ノエルは現場に急行した。その判断には冷静さも理性すらもなかった。愛しい人の危機を前にした反射的な行動だった。


「リアトリス……リアトリス……!」


 馬を駆ってひたすらに道を走った。心臓の鼓動が煩く、嫌な汗も止まらない。

 道中、ただ彼女の無事を祈った。それ以外は何も要らなかった。やがて立ち昇っている狼煙を見つけ、更に鼓動が跳ね上がる。


「リアトリスッ!」


 駆け付けたその現場でノエルが視たものは瘴気をまとった獣……否、『ラグメント』。

 そして『ラグメント』に襲われて粉々になった馬車と、燃え盛る炎。そしてその中で佇む――――頭に兜をかぶり、全身に瘴気を漲らせた一人の少女。


「誰だ……貴様は…………」


「…………」


 兜の少女は答えない。燃える紅蓮の最中で、沈黙を貫いている。


「リアトリスに何をした!」


 魔力を漲らせ、『王衣指輪クロスリング』に魔力を送る。

 滾る憎悪を叩きつけるかのように、その名を叫ぶ。


「顕現しろ! 『ウンディーネ』ッ!」


 現れた精霊から凍てつく魔力が放出され、周囲一帯の『ラグメント』は瞬く間に氷となって砕け散る。ノエルはそのまま霊装衣をまとい、剣を掴むと、地面を蹴って兜の少女に飛び掛かった。


「おぉぉおおおおおおおおおおおッ!」


 叫ぶままに振るう。されど、刃が届くよりも先に兜の少女は淡々と行動を起こす。


「…………」


「――――ッ……!?」


 繰り出された氷の一太刀を意にも介さず、瘴気を纏う刃で弾き飛ばす。


「貴様ッ……!」


 視界に捉えた瘴気が膨らむ。ノエルは反射的に剣に魔力を纏わせ、すぐさま氷の力を解放する。それとまったく同時に、兜の少女また瘴気を漲らせた氷を剣より吐き出した。


「漆黒の氷だと……!?」


 二つの氷は激突し、その衝撃の余波でノエルの身体は大きく後ろに下がった。


「ぐっ……!」


「…………」


 あれほど膨大な力を振るっておきながら、兜の少女は息一つ乱していない。

 目の前のノエルに一切の興味すらないのか、おもむろに剣を振るい、漆黒の吹雪を全身に纏う。その吹雪の向こう側から徐々に気配が薄らぎ、消えていく。


「待て!」


 ノエルの叫びも空しく、吹雪に包まれた気配は完全に消失する。

 あの兜の少女は撤退した。認めがたい事実に、憎しみだけが全身を巡る。


「オレと戦え……戦えぇえええええええええッ!」


 その慟哭にも似た叫びは、燃え盛る残骸に虚しく響き渡るのみだった。



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