第68話 並び立つ王子たち
あの日に誓った。
ノエルから大切な者を奪った『ラグメント』を殲滅し、あの『兜の少女』を討つと。
そのためなら手段も選ばない。犠牲も厭わない。己の命すら捧げてみせよう。
「なのになぜ、届かん…………!」
憎悪の入り混じった誓いの刃は、あの兜の少女に届くことはなかった。怒りと憎しみに身を任せ、自らを突き動かしてきた果てがこれなのか。
「オレはお前を殺さなければならない……リアトリスの仇を討たねばならない……!」
ノエルの睨みにも臆することなく――――否。一切の感情を抱くこともなく、兜の少女は確実にトドメを刺さんと歩を進め、接近してくる。その律動的な足取りは人形のようでもあり、その冷たい無機質さがなおのこと忌々しい。
「だから……動け……動けぇええええええッ!」
慟哭にも似た叫びで己が体を叱咤し、応えるように腕が、足が、動き出す。
それは奇跡にも近いもの。されど、この絶望的な状況下において、致命的なまでに遅い。
ノエルが立ち上がるよりも圧倒的に速く、兜の少女が振るう剣が命を絶つだろう。
「――――……」
そして、兜の少女は無言のまま刃を振り下ろし――――
「させるか!」
冷たき一撃がノエルに届くよりも先に、二振りの剣が立ちはだかり、刃を受けきった。
「第三……王子……!」
「悪いな。ここまで追い詰められたら、流石に手ぇ出さないわけにもいかねーだろ!」
アルフレッドは背を向けたまま、強引に兜の少女を押し戻す。
一撃を弾かれた兜の少女は後ろに跳び、距離をとった。介入してきたアルフレッドという脅威。そして彼が契約している精霊『アルセーヌ』の持つ『魔法を奪う魔法』を考慮すれば、一度距離をとるのは正しい。至って冷静で合理的な判断だ。
その冷静で合理的な判断によって僅かに時間が生まれた。ノエルが命を携えたまま、立ち上がることが出来る時間が。
「ぐっ……余計な、まねを……」
「はっ。そんだけ咆える元気がありゃ十分だな」
「邪魔をするな……これは、オレの戦いだ……!」
血を滴らせながら足を引きずるようにして前へと進む。
「お前、それ以上やれば本当に死んじまうぞ」
「黙れ! この命を使い果たしてでもオレは戦う! 『ラグメント』を滅ぼし、瘴気を操り人々に厄災を齎す連中を殺す! それが王族の責務だろう!」
「戦いじゃなくて、復讐の間違いだろ」
そのアルフレッドの言葉に足が止まる。
「王族としての責務だとか、そんなんじゃない。お前が『ラグメント』やあの兜の女を倒したいのは、ただ復讐がしたいだけだ」
「…………だから、なんだ」
頭の中に湧き出してくるのは、リアトリスを失ったあとの
――――しかし不幸中の幸いでしたな。死んだのがあの女でよかった。
――――えぇ、まったく。いくら宮廷彫金師の娘とはいえ、ただの忌み子ですからねぇ。
――――ノエル様でなくて本当によかった。最後にあの娘も国の役に立って本望でしょう。
――――ノエル様。これを機に、アナタに相応しい令嬢と婚約を結びましょう。
周りの者たちはリアトリスの死を悼むことなどなかった。それどころか、黒き魔力を持つ忌み子であるリアトリスが死んだことを喜ぶ者の方が多かった。
「貴様も同じか…………復讐などやめろと、くだらない綺麗事を吐くのか」
――――復讐などおやめください。一個人に拘るなど、王となる者にあるまじき振る舞いですぞ。
――――あのリアトリスという娘も復讐など望んではいないでしょう。
――――そうに決まってます。ノエル様が立派な王となることを何よりもお望みのはず。
――――過去など捨て置き、前に進みましょう。アナタ様には輝かしき未来が待っているのですから。
誰もが唱えた。復讐などやめろと。そんなこと本人は望んでいないと。
そんなものはノエルを都合よく動かすための、醜悪な綺麗事に過ぎない。
「…………綺麗事は好きだけどな」
周囲に幻術の刃が満ちた。ドーム状に展開されたそれらは、全ての切っ先がアルフレッドとノエルに向けられている。
「そういう『都合の良い言い訳』にするための綺麗事は、好きじゃねぇんだよ!」
幻術と実態を織り交ぜた刃の群れが殺到する。そのどれが実体なのかは、ノエルの霞む眼には見えはしなかった。しかしアルフレッドは、確信を以て両の剣を振るってみせる。
甲高い金属音が小刻みに響き、実態の刃が辺りに散っていく。そしてアルフレッドが素通りさせた刃は、その尽くが実体を持たない幻術だった。
「幻術を見切ったのか……!?」
「見切ったわけじゃねーよ。感じ取った空気の流れと、『
「なっ……!?」
大したことでもないとばかりに言ってのけたアルフレッドだったが、一朝一夕で出来るものではない。実戦で経験を積み重ねた者だけが会得できる高度な技術だ。
同じことをノエルが行っても、アルフレッドのように対処しきることは出来ないだろう。
恐らくは情報の処理が追い付かず取りこぼしが起き、ダメージは避けられないはずだ。
(ただ綺麗事を吐くだけではない……こいつは……この第三王子は……)
積み重ねた経験にしても、半端なものではないだろう。
彼の力は、過酷で苛烈で、影の底を藻掻いてきた者だけが得ることが出来るものだ。
「……俺も、お前と同じだよ」
「…………」
「仮にシャルを失って、その仇が居ると知ったら、黙ってられねぇ。そいつを探し出して、どんな手を使ってでも復讐する」
――――…………いや。復讐をやめろ、なんて言えないし、俺は言うつもりもない。
ふと、以前のアルフレッドの言葉が頭の中に蘇った。
思い返せば彼は「復讐を止めろ」などとは言わなかった。
「『死んだ本人は復讐を望んでない』なんてのは、綺麗事ですらねぇ。失った側の気持ちから目を逸らした、都合の良い理屈だ」
ネネルという少女に対していつでも、復讐というものを肯定しつつ、その選択を委ねていた。それはきっと、ノエルに対してもそうだ。
「やられた側だけ黙って耐えてろなんておかしいだろ。だから復讐は肯定していい。……けど、未来は捨てるな」
「なんだと……?」
降り注ぐ刃の雨を的確に弾きながら、アルフレッドは目の前だけを見据える。
「死んだ本人が復讐を望んでるかどうかなんて分からない。けど、未来を棄てることは望んでないはずだ。お前の婚約者だって、きっと……!」
幻術になど惑わされず、振り向くことなく、ただひたすら前を。
「だから死ぬな。復讐という過去に引きずられて、命という未来まで捨てるな! お前は生きろ! 生きて復讐をやり遂げろ!」
その叫びは、ノエルの身体の奥底に食い込んでくる。深々と突き刺さり、芯まで穿つ。
(…………綺麗事だ。そんなものは)
そう。アルフレッドの言うことはただの綺麗事だ。
死者が復讐を望んでいるか定かではないように、死者が正者の未来を望んでいるのかもまた定かではない。それを証明する証拠もない。
彼の綺麗事は、ただの願い。ただの祈り。ただの理想。
しかし――――その綺麗事は、リアトリスの笑顔と重なった。
「…………なぜだ。なぜお前は、そこまで……」
「そりゃあ……お前が良い奴だからだろ」
「ふ、ふざけるな! オレのどこが……!」
「ふざけてねーよ。婚約者を大事にしろなんて忠告、お人好しで良い奴以外に誰がするんだ」
――――せいぜい大事にしてやることだな。お前の手の届く範囲に居るうちに。
かつて口にした言葉が脳裏に蘇る。思えばあの時、アルフレッドとシャルロットの二人に自分たちのことを重ねていたのかもしれない。
それはノエルにとって失われたもの。今はもう手の届かぬもの。しかし、それを再び奪われることをよしとはしたくなかった。
自分は無理だったとしても、せめて、この二人ぐらいはと。
(……リアトリス。君のいない世界に価値があるのかは分からない……この未来に何が待ち受けているのかも分からない……だが、それでも……)
顔を上げる。前を見る。
(……目の前にいる二人の未来ぐらいは、守ってやる。君ならきっと、そうするだろうから)
今、己がやるべきことを見据える。
(だからオレは生きる。生きて復讐を遂げる……! そして、この先の未来へと進む!)
不思議と体に力が漲ってきた。生きるという決意が気力となって、身体を動かしはじめたかのように。
「力を貸せ、第三王子。いや……」
漲る魔力を全身にまとい、剣を握りしめる。
「…………アルフレッド!」
「ああ。いくらでも貸してやるぜ……ノエル!」
今此処に、氷結と悪役――――二人の王子が並び立った。
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