第47話 悪魔との契約

「……おい、オッサン共。流石に今の行動は言い逃れ出来ねぇぞ」


「ちくしょう……! ちくしょぉッ……!」


 他の男たちは青ざめて膝をつくばかりだが、モーガンは違う。

 憎しみを滾らせた瞳で黒髪の少年を睨みつけるばかりだ。

 その眼に、無意識の内に後ずさる。黒く淀む泥のようで、燃え滾るマグマのような憎しみ。幼いネネルの身体ではとうてい理解出来ず、受け止めきれるものでもなく。


「…………っ……」


 思わず足が後ろに下がる。冷や汗が噴き出て止まらない。

 怖い。

 自分も、ああなってしまうのが、ネネルはたまらなく怖かった。


「大丈夫だ」


 ぽん、と。頭に手が乗せられた。

 黒髪の第三王子の手だ。視線は敵を睨みつけたまま。だけどネネルの上に乗せられた手は温かくて、不思議と安心できる。この少年の不器用な優しさのようなものが伝わってくるような気がして。


(…………ちがう……おじさんとは)


 両親を『土地神』に殺されてしまってから、身寄りのないネネルを引き取ってくれたのはモーガンだった。同じく家族を亡くしたモーガンの眼は、ネネルを引き取った時点で憎しみに染まっていた。

 ネネルを引き取ったのも魔法の才能があったからで、復讐を果たすための道具としか見ていないことは肌で分かった。


 モーガンがネネルに触れるのは殴る時か、蹴る時か、道具として使う時だけ。

 けれど。この黒髪の少年は違う。第三王子は、違った。


(あったかい………………)


 なぜか、思い出した。両親に頭を撫でてもらった時のことを。


(…………なんで)


 彼の温かさに戸惑いと困惑が胸の中に渦巻く。


「悪いが一緒に来てもらう。事情も何もかも吐いてもらうからな」


 他の男たちは観念したように真っ青な顔をして立ち尽くしているが、モーガンは違う。

 黒髪の第三王子を睨み続けている。


 ――――じゃり。じゃり。


「…………っ……?」


 奇妙な足音。聞こえてきた方向に意識を向けた途端、どす黒い瘴気が風に乗って漂ってきた。


「ぁ…………」


 月のように丸く、血のように真っ赤で獰猛な瞳。滴る涎は地面を溶かし、針のように鋭い毛並みが逆立っている。だが、それらの特徴などさしたるものだ。最も目を惹くのは全身を覆う漆黒の瘴気。視るだけで悍ましく、這い出る手が肌を撫でるような、吐き気のする感覚。


「――――――――ッッッ!!!」


 狼が咆える。吼える。吠える。

 一匹や二匹どころじゃない。漆黒の瘴気を纏った獰猛なる狼の群れが、いつの間にかこの場にいた人間たちを取り囲んでいた。


 無数の眼玉がぎょろりと蠢き、獲物を品定めするような目線を注ぐ。


「ひぃぃぃぃぃぃぃ!」


 これにはモーガンと、その仲間の男たちも情けない悲鳴を上げて尻もちをついた。

 ネネルとて同じだ。いや、他の者たちよりもあの禍々しい魔力を感じ取れる分、恐怖を文字通り肌で感じ取れてしまっている。


「ゴァアアアアアアッ!」


 耳をつんざくような咆哮と共に、狼の内の一匹が跳んだ。

 狙いは無様に尻もちをついた男。その猛々しい牙が肉を食い破らんと――――


「――――『アルビダ』!」


 輝く人型の光が、狼を薙ぐ。やがてその光は周囲の獣たちを牽制するように飛び回ると、少年の身体を包み込んだ。


「クソガキ。そこを動くなよ」


「えっ……?」


 魔力の衣を身にまとう黒髪の王子は、右腕を大きく掲げ、いつの間にか持っていた銃の先端を天へと向ける。


「『火炎拡散弾ディフュージョン』」


 天を穿つように放たれた、巨大な火球。やがてそれは空中で静止したかと思えば、轟音を立てて弾けた。それはまるで青空のキャンバスに描かれた紅の花火。

 無数の火炎球が地面に蠢く獣たちへと飛来し、殺到し、穿ち、燃やす。


(――――っ……! すごい……! 制御が難しいあの魔法を、完璧にコントロールしてる!)


 寸分違わぬ驚くべき精度を以て、全ての火球が獣たちを燃やし尽くす。

 今のネネルではとうてい叩き出せない圧倒的なまでの精度に、目が釘付けになる。

 見たことのない魔法。それを使いこなす黒髪の王子の姿。自然と、ネネルの心から恐怖というものが消えていく。


「ガァアァァアアアアッ!!」


 大地から次々と噴出する瘴気。同時に、ぬらりと後続の獣たちが現れる。その姿は、まさに穢れた大地に救う邪悪の遣いそのものだ。


「キリがねぇな。つっても、俺の魔力じゃ浄化は出来ねぇし……」


 黒髪の王子が再び『火炎拡散弾ディフュージョン』を撃とうと銃を構えたその刹那、


「邪魔だ。第三王子」


 心を凍てつかせたかのような、冷たい声。


「…………っ……!? まずい!」


 黒髪の王子は咄嗟にネネルを抱きかかえると、その場を大きく跳躍した。

 揺蕩う冷気の奔流が地上を滑ったかと思うと――――世界が、氷河に染まる。

 瞬きの間もなく。瘴気に満ち溢れていた森が、氷によって埋め尽くされた。ネネルを道具として使っていた男たちは逃げ損ねたのだろう。狼たち諸共に氷漬けになっている。

 顔はかろうじて残されており、首から下が凍ってしまっているものの……どうやら命までは奪われていないようだが。


「おい、あぶねぇだろ!」


「言ったはずだ。全ての『ラグメント』はオレが倒すと」


「危うくこのガキまで氷漬けになるところだったぞ!」


 黒髪の王子は氷結の大地に着地しながら、この氷を齎したであろう人物……氷のような冷たい瞳を持つ少年へと非難を向けた。


「その子供は王族の馬車を襲撃した犯罪者だ。拘束するのは当然だろう」


 氷の少年の冷たい声に、どきりと心臓の鼓動が跳ねる。自分のしでかした行動を『犯罪者』という言葉に変換されたことで、冷や水を浴びせられたような気持になった。

 遅れて恐怖がぶり返し、身体が微かに震えだす。冷気によって体が冷えてしまったのかと思ったが、それだけじゃなかった。


「そりゃ言ってることは正しいけどさ」


(…………あ)


 優しい手が、ネネルの頭を撫でた。


「別に甚大な被害が出たわけじゃないし、クソみてぇな大人に使われただけだ。多少の融通は利かせてもいいだろ」


「…………甘いな」


 それだけを言い残して、氷のような目をした少年は去っていく。それを見届けた後、黒髪の王子はネネルへと視線を送り、


「…………さて。悪いけど、お前も来てもらうぞ、クソガキ。色々と事情を説明してもらわなきゃならないからな」


     ☆


「くそっ、くそっ! あのガキがくだらねぇ悪戯なんぞしなけりゃァ……!」


 モーガンは独り、森の中を走っていた。

 突如として現れた黒髪の第三王子が『ラグメント』と戦っているどさくさに紛れ、仲間を置いて一人逃げ出したのだ。


 恐らく仲間たちは掴まった。これから事情を吐かされるだろう。いや、奴らはまだいい。大した情報は握っていない。

 問題は――――自分モーガンだ。

 このままでは確実に始末される。余計なことを喋ってしまう前にと。


「ぐはっ!」


 足がもつれ、バランスを崩した身体が地面に叩きつけられる。

 土塗れになった自分があまりにも惨めだった。


「悪いのは『土地神』だ……! あんなモノさえいなければ、こんなことには……!」


 家族を奪った悪。土地神。今や瘴気に汚染された、醜い化け物に過ぎない。

 アレが憎い。アレを救わんとするものすら憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。


「家族を奪われ、計画は失敗し、今やただの逃亡者……あはっ。可哀そうな人」


 人を小ばかにしたような、手玉に取ったような。

 そんな一切の哀れみの籠っていない作り物であることを隠そうともしていない声に、思わず顔を上げる。


 モーガンの目の前に立っていたのは、一人の少女だった。


「なんだ? 誰だ……?」


「誰だ、なぁんてくだらないコトを訊きますね。でも、いいですよ。自己紹介は大事ですし」


 少女はくすっ、と笑みを零すと、その姿が霧のように消える。

 かと思えば一瞬にしてモーガンの目の前に現れた。


「ひっ……!?」


「わたしはルシル。ルシルと申します。……そう怯えないでくださいよ。大丈夫です。わたしはアナタの味方ですから」


「み、味方……?」


「ええ。その証拠に……ほら」


 少女――――ルシルが手を指揮棒タクトのように、優雅に振るうと、


「『ラグメント』……?」


 吹き荒れた瘴気の中から、先ほどモーガンたちを取り囲んでいた狼の群れが現れた。


「この子たちを使って、貴方を助けてあげたじゃないですか」


 先ほどモーガンが逃げ出せたのは、確かにこの『ラグメント』たちが現れたおかげでもある。あれを意図的に引き起こしたのが、この少女だというのだろうか。


「アナタ、『土地神』に家族を殺されたんですよね? 『土地神』に復讐してやりたいんですよね?」


「な、なんでそれを……」


「分かりますよ。ずぅーっと見てたんですから。ああ、勿論……アナタが誰の協力を得ているのかも、知ってますよ。このままだとその協力者に口封じされてしまうということも」


「…………っ……!」


 確信はない。確たる証拠もない。けれど、モーガンは直感で悟った。

 この少女は……全てを知っている、と。


「手始めに浄化を行いに訪れた王族を始末し、それを汚染された『土地神』の仕業だと王都に報告する。そうすれば王都は動かざるを得ない。王族殺しを行った『土地神』を始末すべく戦力を送り込んでくる……と、いうのがアナタと協力者の目論見でしたよね? そのためにわざわざ同じ境遇の仲間たちを使って人払いまでしたのに……子供のくだらない良心と悪戯で全てはご破算。あー、カワイソウ、カワイソウ。ま、わたしに言わせれば? いくら使い捨ての爆弾役とはいえあんな子供を使ったことが失敗といいますかね。自分で手を汚す覚悟もなかった時点で、ご破算確定なわけですが」


「何がいいたいんだ」


「カワイソウだから――――手伝ってあげますよ。復讐」


「…………は?」


「アナタに足りなかったのは駒です。あんな子供でも、クソの役にも立たない同じ境遇の仲間でもなく。アナタの手足となって戦い、暴虐の限りを尽くす手駒。……そもそもアナタに圧倒的な力さえあれば、こんな回りくどいことをせずとも、直接『土地神』を殺してましたよね?」


 ルシルは自らが呼び出した狼を優しい手つきで撫でる。


「俺の復讐を手伝って……お前に何の得がある」


「わたしにもわたしのオシゴトがあるんですが……強いて言えば、趣味ですかね。人間のココロを見物するのが趣味なんです。わたしの中で最近のトレンドは『復讐心』ですので、アナタを見た瞬間『ああ、これは丁度いいや』と」


 ふざけている。

 このルシルという少女は、モーガンのことなど何とも思っていない。

 復讐にだって興味はないだろう。ただ単に己の欲を満たすためだけの、悪魔。


(……悪魔が、なんだってんだ)


 そんなものはどうだっていい。自分の身がどうなってもいい。

 ただ、復讐を果たせるのなら――――悪魔にでも何でも、縋ってやる。


「……頼む。協力してくれ」


「構いませんよ」


 ルシルが再び瘴気を噴出させる。すると瘴気の奥から、何者かが現れた。

 顔を兜ですっぽりと覆い隠した何者か。体格的に少女だろうか。ルシルよりも少し小さく華奢で、感情という者を一切感じさせない。


「誰だ? そいつは……」


「妹です。わたしと一緒に、アナタの復讐のお手伝いをしてくれます。……それと、これをどうぞ」


 ルシルが寄越してきたのは、一つの魔指輪リング

 鈍く光るそれは、禍々しく邪悪な力を感じさせるモノ。


「こいつぁ……『禁呪魔指輪カースリング』か!?」


「ええ。きっとお役に立つと思いますよ」


 ルシルは嗤う。一見すると天使のようで、しかして、感じる気配は邪悪そのもの。

 浮かべているのは、悪魔の笑み。


「さぁ、見せてください。最高のエンタメを。素晴らしい復讐になるよう、心から祈ってます」


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