第46話 魔法という力

 生い茂る緑の駆け抜け、少女は独りほくそ笑む。

 この森は自分にとっては遊び場だ。ここでなら大人と追いかけっこをしても捕まらないだけの自信があった。


「はぁ、はぁ……ざまーみろっ」


 王族の馬車。あれはきっと、大人たちが言っていた『土地神』を浄化しにきた連中だ。

 あの『土地神』をわざわざ助けるために王族がやってきたのだ。そんなこと、許せるわけがない。


「『土地神』を助けようとしてるやつなんか……」


 胸の中にたまったもやもやを吐き出すように独りごちる。

 土地神。その存在のことを考えるだけでぐつぐつと煮え滾る淀んだ泥のようなキモチが、少女の胸の中でのたうち回って止まらない。


「…………っ……」


 不意に視界が濡れる。流れ落ちた涙に遅れて気づき、反射的に拭いながら、『強化付与フォース』で強化した肉体でがむしゃらに走る。

 溢れてきた涙が収まった頃、ほう、と息を吐く。


 苔むした古い遺跡のような広場の段差に腰を下ろす。

 遺跡といっても、大したものがあるわけじゃない。半ばから砕かれたような跡のある、丸い柱がいくつか並んでいるだけの場所。

 今よりずっと昔からこの場所にあるらしい遺跡だが、ここが一体何なのか誰も分かっていない。


 昔から大人たちの目を盗んではここに来て魔法の練習をしたり、遊び場にしたり。家に帰ってバレた後、母に叱られて、父がそれを嗜める。それが前まで在った、当たり前の光景だった――――『土地神』に異変が起こるまでは。


「お母さん……お父さん…………」


 零れそうになる涙をこらえる。身体をくの字に曲げて、膨れ上がる感情を自分の中に押し留める。


「探したぞ、ネネル」


「――――っ……」


 かけられた声にびくり、と肩が強張った。

 少女ネネルは涙の痕を隠すようにぐしぐしと顔を拭い、聞こえてきた声の方へと振り向いた。


 秘密の遊び場にやってきたのは、複数人の男たちだ。

 三十半ばほどの歳の男……モーガンを中心として、皆が擦り切れた刃のような眼差しを向けてくる。


「モーガンおじさん」


「上手くやったんだろうな?」


 モーガンの言わんとすることはネネルも分かっているので、詳しく説明されるまでもなく、ゆっくりと頷いた。


「う、うん。やったよ。言われた通り、罠を仕掛けて……魔法で、転ばしてやった!」


「…………『転ばしてやった』?」


 成果を報告したというのに、モーガンの表情は芳しくない。

 それどころか、どことなく怒りすらも感じられるような。


「馬車を……傾けて……それで…………」


「それだけか?」


「そう……だけ、どっ――――」


 バシッ、という乾いた音。モーガンに頬を引っ叩かれ、力のかかるままに顔が真横を向き、そのまま地面に転がった、ということを数瞬遅れで認識する。じんじんとした腫れたような痛みに、無意識に体が強張った。


「ガキの悪戯じゃないんだぞ! お前には、もっと強力な魔指輪リングを渡してやっただろう!」


「で、でも……あんな魔指輪リングを使ったら、馬車ごと吹き飛んじゃうんじゃ……」


 言葉の代わりに帰ってきたのは、頬に叩きつけられた二度目の衝撃。

 今度は先ほどまでのような平手打ちじゃない。拳による殴打だった。

 口の中に痛みと共に広がる、鉄臭く生暖かい血液に、呆然とするしかない。


「だから……馬車ごと吹き飛ばせと言ったんだ!」


「あっ……!」


 強引に胸ぐらをつかまれ、そのままつるし上げられる。

 間近で見るモーガンの目は殺気立っており、今にもどす黒い泥のようなものが飛び出してきそうな。


「『土地神』を救おうとしている連中なんか、吹き飛んで当然だろうが……! ましてや、お前には魔法の才能しか取り柄が無いんだぞ! それをくだらん悪戯紛いのことで満足しやがって……! ふざけるな!」


「ぁ……! うっ…………」


 締め付ける力が徐々に強くなる。空気に焦がれども、モーガンがそれを許してはくれない。


「くる、し……い…………」


 小さな呟きすらも無視して……いや。聞こえていないのだ。

 今のモーガンには、何も――――『土地神を殺す』という目的以外、何も入っていない。


「いいか、今度は成功させろ! 絶対だ! そうでなければ何のための才能だ! お前の命を使ってでも――――ごがっ!?」


 炎が、爆ぜた。


「けほっ、こほっ……ぁ……」


 解放され、肺に空気が送り込まれる。

 先ほど僅かに見えたのは、『火炎魔法球シュート』によってモーガンが吹っ飛ばされた瞬間だ。


「そのガキに苛立つ気持ちは分かるが、流石にやりすぎだろ」


 茂みの奥から現れたのは――――黒髪黒眼の少年だった。


「けほっ。お前は…………」


「ったく……おい、大丈夫か? 一体何が起きて……」


「…………エロエロ男」


「耐えろ俺……今はクソガキに構ってる場合じゃないぞ……耐えろ、耐えるんだ……!」


 あの馬車に乗っていた黒髪の少年。彼がここにいることに、ネネルは少なくない衝撃を覚えた。

 撒いたつもりだった。魔法を使った足で全力で飛ばして、この遊び場として過ごしてきた森で自分に追いつける者なんていないという自負があった。


 なのに、黒髪の少年は息を切らしてもいない。ネネルですらここに来るまでに息を乱したというのに。


 そして……先ほどの『火炎魔法球シュート』。


 ネネル自身も魔法を使うだけに、その精度を一目で理解した。胸ぐらを掴まれていたネネルを巻き込まず、ピンポイントでモーガンのみを吹き飛ばし、威力も加減させている。繊細さと緻密さを併せ持った一撃だ。


 少なくとも今のネネルには無理だ。そしてネネルには、彼の魔法の制度を理解できるだけの才能を持ち合わせている。


 だから、解る。解るからこそ――――思わず、彼の魔法に見惚れたのだ。


「黒髪黒眼……おい、もしかしてこいつ……」


「噂の……第三王子じゃあ……!?」


 さあ、と男たちの顔が青ざめる。対して黒髪の少年……第三王子は鋭い視線を投げかけながらも、さりげなくネネルの前に立つ。その背中は同じ領地で過ごしてきたはずの男たちとは全く異なるもの。『怖いもの』を感じない。


「ガキの悪戯にしちゃあタチが悪いとは思ってたが、そういうことか。情報と魔指輪ブツだけ子供に押し付けて、自分たちは手を汚さず高みの見物……随分といい趣味してるんだな、オッサンたち」


「…………っ……! 黙れ! 何が王族だ、何が!」


 モーガンの声を皮切りに、男たちは一斉に魔指輪から火球を生み出していく。


「やっちまえ!」

「そうだ……見つかってしまったのなら、いっそ……!」


 王族にコトが露見した恐怖故か、不自然に火球が膨らんでいく。

 追い詰められた彼らの目と、安定とは程遠い、波打つ火球がこう語っている――――「いっそ、少女ネネルごと始末しまえばいい」と。


「いいか、クソガキ」


 あれだけの数の火球、ネネルでも防ぎきれない。焼き殺されてしまう。だというのに、第三王子の少年は驚くほど冷静だった。


「魔法ってのはな。ただ単に使う『だけ』なら、お前みたいなガキでも使える力だ。明らかに素人の、あのオッサン共にだって扱える。昔は杖が必要だったり、杖すら使わず魔法を使っていた人もいたらしいが……現代イマは違う。魔指輪リングという形に落とし込まれた魔法は、驚くほど手軽な力になった」


 火球が迫る。無数の炎が迫り来る。それでもなお、第三王子は動じない。


「だからこそ、使い方を間違えるな」


 その言葉に――――かつての記憶がフラッシュバックする。

 領主様の娘に魔法の才能があると褒めてもらえた時、父と母は喜んでくれた。同時に心配もして、同じ言葉をかけてくれた。


 ――――ネネル。才能があるのは喜ばしいことだ。だけど……。

 ――――その力の使い方を間違えてはだめよ。


 今はもう聞くことのできない、父と母の言葉。

 きっと意図したものではないのだろう。あの第三王子は、『土地神』に殺されてしまったネネルの両親のことなど知りはしない。


 だけど頭に置かれた手も、かけてくれた言葉も……ネネルの胸に、両親の姿を思い出させてくれた。それがまた、ひどく悲しい。埋められない喪失感を抉りだされたような。


 やがて、第三王子の指に光が灯る。ネネルの瞳に映るのは、夜空のような漆黒。


「『火炎魔法矢アロー』」


 夜空に散らばる星のように、無数の光が瞬いた。

 かと思うと、少年から火炎の矢が流星群のように殺到し、一瞬にして放たれた醜き火球を全て射抜いてしまった。


「ひぃっ!?」

「い、一瞬で俺たちの魔法が……!」

「な、なんだ? 何が起きたんだ!?」


 モーガンたちは、一瞬にして全ての魔法を射抜いた少年の圧倒的なまでの力に慄いている。鈍い彼らでも気づいたらしい。この黒髪の少年と自分たちとでは、戦いにすらならないほどの差があると。


 まさに彼らにとってみれば悪夢そのものだろう。さりとてネネルには、少年の力が別のものに見えた。


(――――きれい……)


 かろうじて目で追えたレベルだが、それでも心を奪われた。

 夜空をはしる流れ星のような彼の魔法に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る