第44話 ラブコメと悪戯
がたん、と馬車が微かに跳ねる。窓の外には鮮やかで瑞々しい、緑色のカーペットが敷き詰められたかのような景色が広がっている。そんな緑のカーペットの隙間には日に焼けた朱色の屋根が立ち並んでいる。
「もしかして、あれがそうなんですか?」
窓の外の景色から目を離すことなくシャルが問う。
「そ。目的地のガーランド領よ。シャルちゃんが来たのは初めてだったかしら?」
「はい。実際に目にするのは初めてです。レイユエール王国を含めた大国の初代国王たち……かつての英雄たちと共に『夜の魔女』と戦った、聖女クローディア様の出身地として有名ですから、知識としては知ってはいたんですけど」
「勤勉ねー。どこかの誰かさんにも見習わせたいもんだわ」
「おいマキナ。言われてるぞ。何か言い返してやれ」
「今のは不真面目な王子様へのお言葉ですよ。現実から目を背けないでください」
このメイドは主人を護るということを覚えてほしい。
「……お、俺だって、別に勉強してないわけじゃない。ただ必要なこと以外は面倒だから放っておいたってだけで……」
「学校の勉強ってのは、先人たちが失敗と時間を重ねながら培ってきたノウハウみたいなもんよ。むしろ習っておいた方がゼロからやるよか効率的でしょーが。ましてや、どんなジャンルであれ、知識なんてものはいつどこで役に立つか分からないもんだしね」
ぐうの音も出ないとはまさにこのことであろう。
「ふふっ。ルーチェ様、そう仰らないでください。アルくんだって最近は、心を入れ替えて勉強にも真面目に取り組んでくれるようになったんですから。今回の遠征にだって、きちんと勉強道具を持ってきたんですよ?」
「…………アルフレッド。あんた、婚約者っていうよりも温和なお母さんとその息子って感じがするんだけど、大丈夫?」
「ルチ姉、その哀れみの籠った目はやめてくれ……!」
まさかあの天真爛漫、唯我独尊のルチ姉にそんな目をされる日がくるとは思わなかった。
「いやはや、長らく見守ってきたメイドとしては感慨深いですよ。……まぁ、シャル様が家庭教師を担当なされていることも、関係していると思いますけどね。現金な王子様ですよまったく」
「お前たまにはご主人様の味方をしたらどうだ」
「本当にデキるメイドというのは、盲目的にご主人様の味方をしないものなのですよ」
「珍しくそれっぽい正論を吐きやがって……」
普段は明るくおちゃらけているというのに、時たまこういうことを言うんだ。このメイドは。
「――――……」
己の不真面目さにやや居心地を悪くしていると、シャルが窓の外の景色に魅入られていることに気づいた。まるで視線を縫い付けられたように、外に広がる鮮やかな緑の大地から目が離れない。
「シャル、どうした? 何か気になるものでもあったか?」
「いえ……そういうわけではないんです。でも、なぜかこの景色を見ていると……とても懐かしい気持ちになるような……そんな気がして」
「んー……もしかして、シャル様自身も覚えていないぐらい小さな子供の頃に、ガーランド領を訪れたことがあったりしたのでは?」
「そう……なのでしょうか」
シャルの返事はいつもに比べてふわふわとしている。心ここにあらず、と言ったところか。
「まあ、少し前まではレオ兄との決闘騒ぎで張り詰めていたからな。ガーランド領の長閑な景色を見て、リラックスしているだけなのかもな」
「決闘ねぇ……報告書で読ませてもらったけど、あんたもちょっとはマシになったみたいじゃない? レオルを倒したことも驚いたけど、まさか単独で大型『ラグメント』を六体も討伐しちゃうなんてね。
ルチ姉がここまで褒めるとは思わなかった。不意打ちでも喰らったような感じがして、どこか照れくさい。
「これが本当に俺だけの力なら、もっと胸を張れたんだけどな。実際はエリーヌのやつから託された、この『
かつての『宮廷彫金師』にして、今や『伝説の彫金師』とまで称されているエルフ族の彫金師、エリーヌ。あいつを味方に引き入れたことで、俺やマキナ、シャルの
レオ兄との決闘や先の大型『ラグメント』討伐においても、エリーヌの作った
「『
俺の指に装備されている『
ちなみに、別の馬車に乗ってはいるものの、今回の『土地神浄化』の公務にエリーヌも参加している。
本来、『彫金師』である彼女は参加する必要はないものの、彼女としてはインスピレーションを得るための遠出を考えていたらしい。
「――――っ……!?」
ガコッ、と不自然な振動が馬車を襲う。予想もしていなかったタイミングで車体が大きく傾たことで、中にいた俺たちの身体もまた、箱の中で転がる果実のようにバランスを崩した。体感的に、車輪の片側が沈み込んだように傾き、もう片方の車輪が持ち上がるように浮いているのだろうか。
「きゃっ!?」
「わわっ……!?」
シャルとマキナ二人の身体がなだれ込むようにして落ちてくる。
「っ…………! 危ねぇっ!」
この場合、座っていた位置が良かったのだろう。
降ってくるように落ちてきた二人の身体を咄嗟に受け止める。頭をぶつけないよう、腕を使って強引に引き寄せたおかげで、シャルとマキナは無事に俺の胸の中へと納まった。
「ぐっ……!」
人間二人分の重量を受け止めたはいいものの、車体が傾いている以上踏ん張りも聞かない。そのまま扉を突き破って、俺の身体は二人を抱えたまま、車体の外へと転がり落ちた。
口の中がちょっとじゃりっとする。転んだ拍子に土が口の中に入ったか。お日様に塗れた草の匂いに混じって、どこか華やかな、二つの柔らかい香りが鼻腔をくすぐった。
「…………っ……と。二人とも、無事か? 頭とか、ヘンなところはぶつけてないか?」
「は、はいっ。アルくんのおかげで……」
「それよりむしろ、アル様の方が大丈夫ですか?」
「なんとかな。二人とも軽いから助かった……」
無事を確認して、ほっと一安心したところで。
「「「……………………」」」
ばったりと、目が合った。二人と。しかも、両方とも近い。文字通り目と鼻の先にいる。
しかも体勢的に二人分の重量が……柔らかくて肉感的な感触二人分が、身体に押し付けられている形だ。どことは言わないが発育のよろしい部位が無遠慮に押し付けられているのも、居心地が悪い。とても。
それに今にも吐息がかかりそうなほど近いのも、心臓に悪い。空のように透き通ったシャルの瞳も、宝石のように繊細で美しいマキナの瞳も。どっちも目の前に、あって。
「あ…………」
「えっと…………」
互いに互いの目を、間近でじっくりと眺めてしまった。そのことを自覚したせいだろう。自分の顔が急に熱を帯びてきたことだけじゃない。シャルの頬が紅くなっていることも、マキナの瞳がどことなく潤んでいるのも……よく見える。
「「「――――っ……」」」
羞恥の方が勝ったのだろう。全員がじっくりと見つめ合ってしまったことに恥ずかしくなった俺たちは、そのことに言及することなく三人が一斉に視線を逸らした。
「はいはい。電撃的にラブコメしてるところ申し訳ないんだけど、狭い車内に取り残された麗しのお姉さまもお忘れなくねー」
「わ、悪いルチ姉っ! いや別にほんと忘れてたわけじゃないからっ!」
「と、とにかく、すぐに退きますねっ!」
「そ、そーですね! アル様も重いでしょうしっ!」
シャルはシャルで珍しく取り乱しているし、マキナはマキナで珍しく焦っている。
そんないつもとは少しばかり違う二人に続いて俺もまた立ち上がった。ルチ姉はというと、俺たちとは反対側の扉から這い出るようにして脱出している。
「ふぅ。やれやれ。咄嗟に磁力を操って車内に張り付いたかいがあったというものね。アルフレッド、電撃的に空気の読める姉に感謝して咽び泣きなさい」
「………………」
ここで素直に感謝したら色々とまずい気がするので敢えてノーコメントだ。
………………割と美味しい思いをしたことは否定しないけど!
「なんだい。せっかく寝てたってのに……」
「一体何の騒ぎだ」
後続の馬車に乗っていたエリーヌと、更に別の馬車に乗っていたノエル王子の二人が様子を見に来た。二人は傾いた馬車に眉を顰めるわけでもなく、冷静な眼差しで観察している。
「車輪が地面に埋まっている……地属性魔法で構築したトラップのようだな」
「任意のタイミングで狙った場所だけを陥没させるようだね。小規模だが中々に凝ってる。これを作ったやつはセンスあるよ」
「感心してどうするんだよ……」
このエルフ、俺が暗殺されそうになった、という考えは欠片ほども浮かんでいないらしい。
「そんなカリカリしなくてもいいじゃない。見た感じ、暗殺ってわけじゃないし。カワイイ悪戯みたいなもんでしょ」
「確かにこれは暗殺というより、ガキの悪戯って感じだけどさ」
仮にこれが王族を狙った暗殺なのだとしたら爆弾を仕掛けた方が手っ取り早い。
まあ、この馬車には防御用の結界が幾重にも張り巡らされており、見た目はただの馬車でも装甲と呼んで差し支えない防御力は有している。ただの地雷魔法一つや二つではビクともしない。
だからこそ車輪を沈めるという点は、この馬車の制作者にとって盲点だったのだろう。
思わぬ形で文字通りの穴が見つかったわけだ。……王宮に戻ったら改善要望でも出しとくか。
……何より、仮にその『穴』を突いた要人暗殺だったとしても、追撃が来ないのは不自然だ。殺気も感じなければ矢の一つも飛んでこない。「偉い人の乗った馬車が嵌ったぞ、ざまぁ見ろ」で完結してるような、そんな稚拙さを感じる。
「……それでも悪戯にしちゃ少しばかり質が悪い。柄じゃねぇけど、注意ぐらいはしとかなきゃだろ」
近くの茂みへと視線を向けると――――がさり。これすらも罠と勘ぐってしまうぐらいに、茂みから音が聞こえる。というか気配で丸わかりなんだけどな。馬車に異変があった時点で『
「そこの茂みに隠れてる
誤魔化しきれない、隠れ過ごすことは出来ないと思ったのだろう。
しぶしぶ、といった音が今にも聞こえてきそうな足取りで、茂みから一人の少女が姿を現した。
精一杯威嚇している小型犬を彷彿とさせる、負けん気の強い瞳。
歳の頃は十か十一ぐらいだろうか。貴族に飼われている品のある犬というよりも、野良犬のような荒々しさの印象受けるその少女は、俺たちをじっと睨みつけていた。
「ったく……おい、ガキンチョ。一体なんでこんなことした」
「うるさいエロ男。二人のおっぱいに鼻の下伸ばしてデレデレしてたくせに」
「離せルチ姉! この生意気なクソガキには、社会の厳しさと目上の人間に対する礼儀ってやつを教えてやらなきゃいけねぇんだよ!」
「はいはい。鼻の下伸ばしてデレデレしてたエロガキは黙ってなさいね」
「伸ばしてねぇよ! ……おい、シャル、マキナ! 胸を隠しながら距離をとるな! 余計に誤解されるだろうが!」
「ふぅーん? じゃあ、あんたは自分には何も罪がない、潔白の身だって主張するのね?」
「当たり前だろ!」
「あのとても発育のよろしい、シャルちゃんとマキナちゃんの
「…………………………ルチ姉。まずは罪の定義から決めるべきだと思わないか?」
「エロガキ」
「理不尽だッ!」
俺だって年頃の男の子なんだぞ! そりゃ何も感じないわけにもいかないだろうよ!
そもそもあれは不可抗力と言ってだな……って、エリーヌのやつ、けらけらと笑ってやがる。このエルフ、本当に俺の味方をする気がねぇな!
「『
ルチ姉に必死に弁解していると、その間に
地面からせりだしてきた横に広い土の壁が俺たちの視界を瞬く間に塞ぐ。
「ずっとそこでエロエロしてろ! バーカ!」
壁の向こうから
どうやら茂みの中に入って逃亡したらしい。見えやしないが、憎たらしい面をしていることがありありと浮かぶな。
「へぇ……中々の発動速度と魔力量じゃないか。あたしら全員の視界を塞ぐ
「ちょっと鍛えてやれば、王都の魔法学園に推薦入学できるぐらいの才能はあるんじゃない?」
エリーヌとルチ姉の二人は頷きながら感心している。
「あのガキャぁ……!
「アル様、大人げないですよ。っていうか、完全に悪役のセリフです、それ」
「やかましい! 俺は王族として、あのガキに世間の厳しさってやつを教えてやるんだよ!」
「あの、アルくん? それは王族関係ないような……」
「『
俺はシャルの言葉を聞こえなかったフリをして、使命という名の大義の元、少女を追って生い茂る緑の中へと身を投じた。
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