第18話 エリーヌ③

「なに……が……」


 抱き起したネトスの白く温かい柔肌が、冷たい石に浸食されはじめている。触れてみるとそこだけが体温を全くと言っていいほど感じられない。そこだけが――――命というものがごっそりと抜け落ちてしまったかのような。


「…………っ」


 石の部分に触れているだけで背筋に嫌な汗が流れ、悪寒が走る。

 明らかにこの少女の身体に、何か異常が起きていることは明らかだった。


「ん……あれ……? 寝ちゃってた……かな……」


「ネトス……!」


「あ……エリーヌ……帰ってたんだ。おかえり」


 ネトスは弱々しく微笑みつつ、自分の状況をゆっくりと理解したらしい。


「そっか……バレちゃったんだ……」


 いつもの快活な笑みは影を潜め、今のネトスはあまりにも……あまりにも、弱々しかった。思わず目を背けてしまいたくなるほどに。


「一体何が……何が起きてるのさ。あんたの身体は……!」


「あー……これね……簡単に言えば……病気、かな……」


「病気……?」


「うん……『石華病』って言ってね……身体が少しずつ石になっちゃうんだよね……まいったよ、ホント……」


「『石華病』……? 身体が……石に……!?」


 そんな病、聞いたことがない。ただの一度も耳にしたことがない。

 夢であってほしかった。幻であってほしかった。勘違いであってほしかった。

 しかし現に、彼女の身体は石と化しつつある。


「でも……思ってたより早かったな……進行には個人差があるって聞いてたけど……ママの時より、ずっと早い……」


「治す……治療の方法は……!? そうだ、里に戻れば、何か薬を作ってくれるかもしれない……!」


「……ないんだよね。どんな薬も効果がないんだってさ……いったん発症すれば……あとはもう、石になるのを待つだけ……みんな、そうだったらしいよ……」


「みんなって……」


「……わたしのお母さんも、おばあちゃんも……みんなみんな、そうだったんだって。だから遺伝だね……これも……」


 その悟ったような表情を見るに、ネトスはずっと前から……それこそエリーヌに出会うよりもずっと前から、こうなることを分かっていたのだろう。


「なんで……なんで、こんな病気に……」


「さあ……わかんない。でも、ママが言ってた……わたしたちの血は……精霊に祝福されてるって……だから……最後は精霊と同じように……石になるんだって……」


 魔法石とは魔法が宿ったもの。

 しかし中には精霊そのものが宿った魔法石も存在し、高い純度を誇るそれは『王衣指輪クロスリング』を始めとする最高クラスの魔指輪リング制作に使用される。


「ママもそうだった……身体が石になって……最後には砕けて……中から、綺麗な魔法石が出てきた……」


 言いながら、ネトスは自分の胸に手を当てる。


「今なら分かる……あれは……ママの心臓・・だったんだ」


「……なんで、そんなことが分かって……」


「わたしの心臓もきっと……最後には……魔法石になる……あはっ。綺麗だといいな……ママみたいに……金色に輝いてさ……」


「笑えないよ……! なんで笑ってんのさ……!」


 その笑顔は。もはやいつもの快活さもなければ、太陽のような明るさもない。


「何か治療法があるはずだ……必ず……そうだ。エルフの里……いや、王都に行って探そう……! 王様にも頼んでみるから」


 エリーヌの言葉に、ネトスは力なく首を横に振った。


「……エリーヌ。わたしは大丈夫。そんなこと、しなくていい」


「なんで……!」


「こうなることは分かってた……ママが死んで、わたしが一人ぼっちになった日から……だから、その時に決めたんだ……わたしが生きた証を残そうって……自分の納得のいく最高傑作を、作ろうって……」


「…………っ!」


 ――――別に興味ないかな。そりゃー、凄いとは思うけどさ。わたしはただ、自分の納得のいく最高傑作を作りたいだけだもん。


 あの言葉を聞いた時、思わず苦笑した。かつては自分にもそんな時代があったと。純粋に魔指輪リング作りに向き合っていた時期があったと。

 ……とんだ思い違いをしていた。そんな生ぬるいものじゃなかった。


「……エリーヌ。ごめん。肩かして……小屋まで、戻りたいんだ……」


「えっ……?」


「分かるんだ……わたしはもう、長くない……そのうち、死ぬ。だから――――」


 ネトスの眼は燃えていた。それはまるで、燃え尽きようとしている蝋燭が見せる最後の光のようにも見えた。


「――――作らなきゃ」


 いつものネトスからは考えられないほどの鬼気迫った表情。

 殺気立ってすらいるほどの威圧感に思わず圧倒され、エリーヌは彼女に肩を貸した。


 土砂降りの雨の中、全身が濡れることも厭わずネトスを小屋へと連れて帰る。いや、エリーヌからすればネトスに引きずられたような気さえする。そのままネトスは小屋に戻るとすぐに作業台につき、一心不乱に指輪を作り始めた。


「…………っ……」


 その様子をエリーヌはただ見ていることしか出来なかった。小さな少女の背中はまさに執念の塊と化しており、肌を突き刺すような気配が室内に暴風の如く吹き荒れている。


(ああ……そうか……)


 ネトスは文字通り魂を込めて指輪を作っている。冗談でも何でもなく、命がけで。それは今日に始まったことじゃない。きっと、ずっと前からそうだったのだ。


(そりゃあ……勝てないわけだ……)


 儚く短い一瞬の命。閃光のように駆け抜け、燃やし、その瞬間瞬間に魂と命を懸けて、ネトスという少女の存在全てを注ぎ込んでいる。


(あたしは……ネトスには勝てない……勝てるわけもなかった……)


 きっと自分は、長い寿命を持つエルフ族という生まれに驕っていたのだ。


 ――――それでもいつか……いつか必ず……。


 違う。『いつか』など、長命の驕りだ。

 そんなザマでは、一瞬に、全てに命をかけている者に勝てるわけもない。


(ああ……そうか……なんで今更になって……気づくんだよ……)


 時間は限られている。短く儚く。瞬間刹那。

 それをネトスは誰よりもよく知っていた。知っていたからこそ、全力で自分の全てを捧げて指輪を作っていた。


 比べて自分の、なんと呑気なことか。あんなにも必死に生きていた人間の前で、欠伸をしていたようなものだ。


(あたしには……)


 これほどまでに魂を込めることが出来るだろうか。命をかけることが出来るだろうか。

 鬼気迫る表情で、命を燃やして、一瞬に全てを注ぎ込むことが出来るだろうか。


 ――――出来ない。


 無理だと、心が認めてしまった。

 出来ないと、心が認めてしまった。


 この少女に気づかされた。


 ただ自分は才能を証明したかっただけだ。才能を振りかざしたかっただけだ。自分の自己満足のために、遊んでいただけだ。


 何が『彫金師』だ。それは―――覚悟もない半端者・・・が名乗っていいものじゃない。


(あたしには作れない……あたしみたいな半端者には……こいつ以上の魔指輪ものは、作れっこなかったんだ……)


 目の前の一瞬の命に打ちのめされた。自分の底と限界を思い知らされた。

 同時に、こんな時に自分のことばかり考えている自分に対しても嫌気がさす。


 ……それから、どれだけの時間が経っただろう。何度日が昇り、何度日が沈んだことだろう。


「――――うん。出来た」


 ネトスは満足げに呟くと、一つの魔指輪リングを朝日にかざした。

 魔指輪リングは照らされて神秘的な輝きを放っている。


「……この魔指輪リングに使った魔法石は、わたしのママなんだ。だからせめて、作ってあげたかったの……わたしの手で……最高の魔指輪リングを……」


 ネトスはその魔指輪リングをエリーヌに手渡した。


「これ……エリーヌに貰ってほしいの。誰にも使われないままなんて、寂しいもん」


「なんで……あたしに……」


 こんな半端者なんかに。


「だってエリーヌは、わたしの親友だもん」


 違う。その親友になる資格すらきっと、自分にはないのだ。

 それでもエリーヌは唇を噛み締めて頷いた。もうネトスの身体は殆どが石と化していた。作業台の椅子から立ち上がることも、歩くことも出来はしない。脚は完全に石となって立ち上がり、歩くことすら出来なくなっていた。腕が動くのが不思議なぐらいで、それはまさにネトスの執念が為したものなのだろう。


 しかしその腕や手すらも、作業が終わった時点で急速に石化が進み始めた。もう彼女の手は、二度と魔指輪リングを作ることは出来ない。


「あとね……もう一つだけ……エリーヌに、お願いがあるんだ……」


 身体が石になっていく。もう止められない。止まらない。


「……わたしの心臓を……魔法石を使って……魔指輪リングを……作ってほしいの……」


 どうしようも出来ず――――命の火が、消えていく。


「…………ああ。分かった」


「うん……お願いね……エリーヌ……」


 それが、ネトスという少女の最期の言葉だった。

 彼女の身体は完全に石と化した後、粉々に砕け散った。それはまるで風に乗って舞い散る花びらのようで、その中から黄金に輝く美しい魔法石が床に転げ落ちた。


 朝日を受けて美しくも優しい輝きを放つ魔法石を、エリーヌは震える手で抱きしめる。


「無理だよ……あたしには…………」


 どうしようもない無力感と挫折だけが、緩やかにエリーヌを締め付ける。


 ――――それから約二百年。


 金色の魔法石は、いまだ魔指輪リングになることはなかった。


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