第17話 エリーヌ②
「何者、か……あははっ。何なんだろーね。わたしにも分かんないや」
快活な雰囲気から一転して。少女の顔の陽光の如き笑顔に陰りが見えた。
しかし、それをすぐに振り払って変わらぬ表情を取り繕う。
「わたしはネトス。ただのネトス。……てゆーかさ。むしろ何者ってのはそっちでしょ」
言われてみれば確かにそうだ。こんなところでズタボロになって倒れているエルフの方が『何者』である。
「ま、いいか。誰でもいいし、なんでもいいや。このままにしとくのも後味悪いし」
言うと、ネトスは
「『
輝く魔力。神秘の光輝。
温かな光はエリーヌを包み込み、徐々にその傷だらけの身体を癒していく。
先ほどまで這いずることすらままならなかったエリーヌだったが、瞬く間に両の足で立ち上がることが出来るようになった。
「回復……魔法……?」
回復魔法を使えるというだけでも驚きだが、それ以上に驚いたのは、その効果にだ。
這いずりまわることも出来なかった身体がしっかりと大地を踏みしめて立ち上がることが出来るようになった。それも、たった数秒ほどでだ。
「よしよし。これでもう大丈夫だね!」
まさに瞬間回復。
あれほどの傷を癒そうとするならば、本来はもう少し時間がかかる。数秒で回復させるなど聞いたことがない。
(使い手の魔力量の差? いや……それもあるが、それだけじゃあない。やはり……)
……
「あれ? どうしたの、そんなこわーい顔しちゃってさ」
「あんた……その
「ん。ああ、これが気になってたの。どこっていうか……自分で作ったんだよ」
「…………ッ……!?」
少女の口から何気ない口調で飛び出してきた事実に、エリーヌは唖然とするしかなかった。これほどの
「じゃあ、あんたも……『彫金師』だってのかい」
「『あんたも』……? え? じゃあ、あなたも!?」
返事をする前に、ネトスはエリーヌの手を興奮気味に握ると、キラキラと目を輝かせて顔を近づけてくる。そのあまりの勢いにたじろいでしまったほどだ。
「わー! わー! すごーい! わたし、他の『彫金師』を見たのすっっっごく久々!」
「は、はあ? だからなんだってのさ」
「ねぇ、お話ししようよ! 小屋まで案内したげる! ……あ、わたしこの山に住んでるんだけどね? お客さんを招くのも初めてかもっ! はっ……! ちょっと散らかってるから、片付けないと……!」
エリーヌを置いてどんどん話が進んでいく。さりとて、エリーヌ自身もネトスという少女には興味があった。
案内されるがままに山道を進んでいく。その道中、ネトスは一方的に口を開き、聞いてもないのに色々なことを話してくる。
どうやら彼女は幼い頃からこの山に住んでいるらしい。既に両親とは死別しており、長い間ずっと一人だったそうだ。たまに会う人間といえば山に魔物を狩りに来た冒険者か、よからぬことを企む悪人ぐらい。
普段は
「はい、到着しました! 我が家です!」
案内された先に在ったのは、ひっそりと佇む木組みの小屋。
不思議と温かみがあり、それでいてどこか寂しい。さりとて山の景観を損ねているかといえばそうではなく、ここにあるのが自然なように感じられるほどだ。
そして実際に中に入ってみると、エリーヌは思わず顔をしかめた。
「……あたしが案内されたのは、ゴミ捨て場だったのかい?」
思わずそんな言葉が出てしまうほどに、中は散らかっていた。
物が散乱していて、とても人をお招きするような空間ではない。
「だ、だから言ったじゃん! ちょっと散らかってるって……!」
「ほぉ。これが『ちょっと』……ねぇ」
「すぐに片付けますぅー!」
「あっそ。なら、『ちょっと』だけ待ってやろうじゃないか」
むくれながらもネトスは部屋の片づけを始めていく。
……物を片っ端から部屋の隅に追いやっていくことを『片付け』と呼ぶのであれば、だが。
その光景に思わずエリーヌは頭を痛めたが、見なかったことにして事なきを得た。
「そーいえばさ。あなたの名前、まだ聞いてなかったよね」
「……エリーヌだ」
「エリーヌはさ、王都で『彫金師』をしてるんだよね? じゃあさ、自分の工房とか持ってるの?」
「一応ね」
「へぇー。じゃあさ、弟子もいるの?」
「面倒見てるやつならいる。……そんなもん柄じゃないし、取りたくもなかったんだけどね。そいつは同じ里の出身で……あたしを追いかけてきたとかなんだとか言うから、責任をとって仕方がなくさ」
「すごーい! じゃあ、親方ってわけだ! わたし、ずっと一人だからそーいうの憧れちゃうなー」
「そんなにいいもんかねぇ……」
レイユエール王国王家専属工房の初代親方。
その座を手にした時、ある種の達成感のようなものを抱いた。里を飛び出して手に入れた地位。自分の腕が世に認められたような気がして誇らしくもあった。
だがその瞬間――――それまで自由に打ち込んでいた『創作』は、『仕事』となった。
先方からの注文に応じて
最低限ほしい性能さえあればいい。たとえエリーヌが納得していようといまいと、その最低限さえあれば良しとされてしまう。
個人で工房を開いていた時とは違い、予算が王国側から出ている以上はある程度従わなければならない。その分恩恵も大きくやりがいもあるが、多少の息苦しさを感じていたのもまた事実であった。
「……あたしの話はもういいだろ。それより、あんただ」
「へ? わたし?」
「そうさ。あんたの作った
「えへへ……緊張するなぁ。王都の『彫金師』さんに自分の作品を見せるなんて、初めてだから」
この部屋で唯一、物に埋もれていない作業台から、ネトスは
一つ取り出して眺めてみる。見た目はただのコモンリングだが……異常なまでの完成度。この小さな指輪一つに執念とも呼ぶべき凄まじい威圧感が込められている。実際に使えば、レアリティが一段階跳ね上がったかのような威力を叩き出すだろう。
思わず唇を噛み締める。今のエリーヌに、これだけの
(あたしの
それが分からない。何度考えても、どう考えても、分からなかった。
「どうかな?」
「…………ああ。凄い出来だよ。悔しいけど、あんたの方が腕は良い」
「えへへ。そう言われちゃうと、照れちゃうな……」
こうまで素直に敗北を認められる自分にはエリーヌ自身、驚いた。
……それほどまでに、彼女の作る
エリーヌは『彫金師』としては圧倒的な実力で、今の地位まで上り詰めた。
ライバルになるような相手とは無縁で、常にただ独り、頂点に君臨してきたのだ。
(まさか自分が、追われる側から追いかける側になるとはね)
もしかすると心のどこかでは退屈を感じていたのかもしれない。
だが自分は今、これ以上ない刺激を得た。
エルフの里を飛び出した直後のような、高揚感に満ちている。
「エリーヌは、いつ王都に戻るの?」
「本当はてきとうにフラついたら戻ろうかと思ってたんだが……気が変わった。いや、やられっぱなしは性に合わないっていうのかね」
そう。このままなど、ありえない。
「しばらくは麓の山に泊ることにするよ。あんたに負けっぱなしじゃ悔しいからね」
「ホント!? じゃあ、ウチに泊っていきなよ! 余ってる部屋ならあるからさ!」
「はっ。人が暮らせるような部屋があるとは驚きだね」
「それぐらいあるよ! …………今は物置きみたいになってるけど、でもがんばって片付けるから!」
ネトスはすぐに幸せそうに、ふにゃりと顔を綻ばせた。
「えへへ。わたし、友達と一緒にお泊りなんて初めてだなー。楽しみっ!」
その無邪気な笑顔に思わず肩の力が抜けていく。
友達。普段なら馴れ馴れしいと一蹴するところだが、どうしてか抵抗することもなく受け入れてしまう。
――――こうして、エリーヌとネトスの共同生活が始まった。
二人は毎日を、日々を、共に過ごした。
ネトスと過ごす日々はエリーヌにとって刺激的で、その全てが血肉となり、毎日が宝物のように輝いていて……エリーヌはその後、何百年生きたとしても、きっとこの日々のことは忘れないだろうと確信したほど。
「あんたは、王都にいって工房を持ったりはしないのかい?」
「別に興味ないかな。そりゃー、凄いとは思うけどさ。わたしはただ、自分の納得のいく最高傑作を作りたいだけだもん」
思わずエリーヌは苦笑する。かつては自分にもそんな時代があった。しかし今はどうだ。
こうして純粋に
(まったく……百年以上の時を生きたエルフが、こんな小娘から学ぶことがあるとはね……)
ネトスは、エリーヌにとってかけがえのない友人になったと同時に、やはり超えたいと願うライバルになった。いつしかこのネトスをあっと驚かせる
だがそれでも、ネトスを超えることは出来なかった。
(それでもいつか……いつか必ず……)
思いを抱えながら、時間は過ぎ去っていく。
時は一つ、また一つと刻み、永遠は幻と化して――――遂に、その時が訪れた。
その日は、雨が降っていた。
工房の仕事をほったらかしにするわけにもいかず、エリーヌは定期的に王都に戻る必要があった。工房での仕事を終えて再びイトエル山にある小屋へと戻り、エリーヌは声をかける。
「ネトス。帰ったよ」
声をかけても、扉が開く様子はない。
いつもなら「おかえり! 待ってたよ!」と言ってうるさいぐらいに出迎えてくれるはずなのに。
「ネトス……?」
首を傾げるエリーヌ。ためしに小屋の中に入ってみるが、無人の状態だ。
「洞窟にでも行ってるのか……?」
篝石が採れる近くの洞窟はネトスのお気に入りであり、よく二人で入り浸っては創作論をぶつけ合うのが日常だ。
降りしきる雨の中を突っ切って、エリーヌは洞窟の中へと駆け込んだ。
そして篝石に淡く照らされた空間の中に倒れている人影を見た。
「――――ネトスッ!」
すぐさま駆け寄り、地面に倒れ伏しているネトスを抱き起す。
「…………っ!?」
浅く呼吸する彼女を見て、思わず息をのんだ。
頬も、首元も、腕も。まだ僅かにではあるが、確かに――――彼女の身体が、石になり始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます