第13話 デオフィル

 大手冒険者パーティ『暁の盾』。

 確実性を重視した方針で活動しているこのパーティは、『命あっての物種』というのがリーダーの口癖だったらしい。


 とにかく『生存して帰還すること』を目的としていたそのパーティは不測の事態への対応力も高く、他のパーティがダンジョン内でトラブルに陥った際の救助隊としての実績も多く残されている。


 ギルド側からも実力を高く評価されており、一時期は新人冒険者たちの育成も担っていた。パーティメンバーはそれぞれが高価かつ強力な装備を揃えており、防御面――――とりわけ生存力に関しては当時のギルドでは間違いなく他の追随を許さぬほどだったという。


 ――――だがある時、『暁の盾』は壊滅した。


 王国騎士団の調査報告書によると、当時パーティが訓練場として使用していた森で発見されたのは、十数人の冒険者の惨殺死体。

 それらは後の調査によってリーダーを除いた『暁の盾』のメンバーと、彼らが育成していた新人冒険者たちだったことが判明する。


 死体の周囲には砕かれた魔指輪リングの破片が散乱しており、装備は安価な物から高価な物まで根こそぎ奪われていたそうだ。


 この状況で真っ先に疑われたのが『暁の盾』リーダーだが、彼には多くの証言によるアリバイがあった。何より動機もない。更にはパーティの拠点からも金目の物が根こそぎ奪われていたことと、死体の周囲に散らばっていた魔指輪リングの破片からして彼の容疑は一瞬の内に外れた。


 調査の結果、真犯人が判明した。

 それこそが当時から既に世間を騒がせていた盗賊――――『指輪壊し』のデオフィル。

 生存力に優れたこのパーティを壊滅させたのは、たった一人の男だった。


 彼が持つのは、超レア魔指輪リング誓砕牙クランチ』。


 かつて呪術によって生み出されたとされる呪いの魔指輪リングだ。

 デオフィルは右手にそれを装備しているのだろう。彼の右手だけ、禍々しい漆黒のオーラをまとっている。あのオーラで相手に触れたその瞬間、相手が装備している魔指輪リングの中からランダムに一つを問答無用で破壊する。


 ようはデオフィルが『誓砕牙クランチ』を装備しているあの右手に触れられる度、こちらの魔指輪リングが一つ破壊されてしまうということだ。


 魔指輪リングとは魔法そのもの。それが全て破壊されてしまえば、魔法が使えなくなるに等しい。


「随分と派手にやられたみたいだな」


 視線だけはデオフィルに向けたまま、膝をついているエリーヌに言う。


「だから荷が重いって言ったんだ。あいつは王国騎士団の追跡を躱し続けている男。簡単な相手じゃない。……それぐらい、あんたも分かってそうなもんだけどな」


「……やかましい。『指輪壊し』なんていう不届き者が気にくわなかっただけさ」


 確かに指輪を作る『彫金師』からすれば『指輪壊し』なんて存在は不届き者なのだろう。

 だが、


「本当にそれだけか?」


 エリーヌとてバカじゃない。それぐらいのことは、この短い間でも分かる。

 彼女は魔法石の力を引き出すことのできる優秀な『彫金師』であり、それを使いこなすことが出来る実力者でもある。


 そんな彼女が、相手と自分の力量差が分からないわけがない。


 こうなることは分かっていた。分かっていて、エリーヌはデオフィルに挑んだのだ。


「…………」


 問いかけるも、エリーヌは語らない。

 その胸に何を抱えているのか。彼女は何を思っているのか。

 今の俺には分かりはしない。だからこそ――――。


「話はとりあえず、あいつを倒した後で聞かせてもらう」


「……あんたにも荷が重いんじゃないのか?」


「さて、どうかな」


 ひとまず俺はエリーヌを庇うように、彼女に代わってデオフィルと相対する。


「悪いな。選手交代だ」


     ☆


 デオフィルの前に立ったのは、一人の少年だった。

 黒髪黒眼。この国では忌み嫌われる存在。正真正銘の呪い子。


(だからなんだってんだ)


 デオフィルとて初めから、今のような盗賊だったわけではない。

 平凡な村の生まれで、人並みに夢を見て、平穏とは真逆の冒険者稼業に足を踏み入れた。


「このパーティを、Aランクにする! それが俺の夢だ!」


 小さな依頼をコツコツとこなし、ランクを上げ、気の合った仲間たちとパーティを組んで、確実性を重視した活動方針で着実に実績を積み重ねていった。


 歯車が歪み始めたのは、冒険者になって二年目の頃。


 パーティの仲間たちがどんどん実力や実績を伸ばしていく中、自分だけが伸び悩んでいた時期があった。

 というのも、パーティの仲間たちは皆が高レアリティの魔指輪リングを所持していた。しかしデオフィルは、レア魔指輪リングを一つも所持していなかった。


 決して珍しいことではないものの、デオフィルには一人だけが置き去りにされていくような気分になっていた。足元が泥沼で満たされていくような感覚。毎日が息苦しく、濁り切った焦燥感が肺を満たしていく日々。


 自分にもパーティメンバーのような、強力な魔指輪リングさえあればと、力に焦がれていた。そんな時だった。酒場で知り合った友人から、『誓砕牙クランチ魔指輪リングを貰ったのは。


 自由の代名詞である冒険者の間にもルールがある。自由を自由たらしめるための絶対の掟。その中の一つが、禁呪魔指輪カースリングの使用を禁ずること。……冒険者として二年目ともなるとそれぐらいのことは知っていた。


 相手もそんな物騒な代物の扱いに困っていたようで、半ば強引に押し付けられた。

 決して使うつもりはないが、売れば金にはなるだろう……と、その時は軽い気持ちで受け取った。


 何より禁呪魔指輪カースリングは上位のレアリティを誇り、パーティメンバーたちが持つどの魔指輪リングよりもランクは上だった。焦燥感を優越感で鎮静させ、自分の心を落ち着かせるためのお守りとして懐にしまう。


 ――――それだけのつもりだった。


 ダンジョンに潜っていた、あるの日こと。

 デオフィルたちのパーティは盗賊に襲われた。ダンジョン内での出来事が外部に漏れにくく、救援も滅多にこないことを利用した手口だ。


 奇襲を受けて仲間の何人かが負傷した。反撃して敵の数も減らしたものの、それでもなお相手の優位は覆らなかった。


(このままじゃ……全滅する……!)


 立っていたのはデオフィルと当時のパーティリーダーの二人だけ。

 仲間たちは負傷して動けない。それどころか早くダンジョンから脱出せねば、命すら危うい。窮地を脱するための切り札が必要だった。


(――――……ッ……!)


 懐からじわりと染み渡る熱。禁呪魔指輪カースリングが、自分を使えと囁いているような気がした。事実としてここで使わねば全滅する。それだけじゃない。仲間たちが、死ぬ。死んでしまう。


「うぉおおおおおおおおおおおおおおッ!」


 気が付いた時、デオフィルは『誓砕牙クランチ』を使っていた。


 右手に装備した禁呪魔指輪カースリングから邪悪なオーラが迸り、右手に装備していた魔指輪リングは全て砕け散る。


 だが左手にはまだ魔指輪リングは残っていた。

 悪魔の囁きに身を委ね、無我夢中で目の前の敵に喰らいついた。


 ――――そして我に返った時、足元には粉砕した魔指輪リングの破片が無数に散らばっており、盗賊たちは絶命していた。


 数の不利を覆すほどの、禁呪魔指輪カースリングの力。


 呆然とするデオフィルに対し、パーティリーダーもまた驚愕を露わにしていた。

 震える身体で。震える声で。魔指輪リングの骸の上に佇むデオフィルに対し、彼はこう言った。


「……そんな力があったなら、どうして最初から使ってくれなかったんだよ。そうすれば……そうすればっ……!」


 その先の言葉が紡がれることはなかった。パーティのリーダーは自分が口にしようとした言葉に青ざめて、すぐに「すまない」「悪かった」と謝り、仲間たちの救助に向かった。

 負傷した仲間たちを連れてダンジョンから脱出したものの、パーティメンバーの何人かは傷が深く、そのまま息を引き取った。


 その後、デオフィルは冒険者ライセンスを剥奪された。


 冒険者の規則を破り、禁呪魔指輪カースリングを使ったという理由で。

 事情があったとはいえ、元より禁呪魔指輪カースリングの扱いに関しては王国全体において厳しく監視されているので、どうにもならなかった。


 ショックだったことは、誰一人として……パーティメンバーの誰も、デオフィルを庇ってはくれなかったということ。


「仕方がない……仕方がないよな……諦めるしか、ないよな……」


 どうせ剥奪されるなら、もっと最初から禁呪魔指輪カースリングを使っていれば、もしかするとパーティメンバーは助かったかもしれない。保身の為に他人の命を見捨てた罰だと、自分に言い聞かせた。


 人並みに抱えていた夢。冒険者として大成すること、パーティをAランクにすること――――それはもう、諦めた。


 その後デオフィルを苦しめたのは、禁呪魔指輪カースリングの制約だ。


 禁術によって生み出された禁呪魔指輪カースリングは強力な魔法を宿す代わりに、装備している間は魔力を消耗し、更にはその禁呪魔指輪カースリングごとに異なる制約デメリットを抱えている。


 この『誓砕牙クランチ』の場合は、定期的に一定量の魔法を魔指輪リングに捧げなければならないというもの。つまりは『誓砕牙クランチ』を使って魔指輪リングを破壊し続けなければならないということであり、これが破られた場合は使用者の魂が喰らい尽くされてしまう。


 一度でもこの力を使用した者は、死ぬまで『誓砕牙クランチ魔指輪リングに魔法を捧げ続ける定めに囚われるのだ。


 これは魔指輪リングに宿った精霊・・……否。悪魔・・との契約であり制約。魔指輪リングを装備していなくとも関係はなく、それどころかうっかり魔指輪リングを紛失してしまおうものなら成す術もなく、問答無用で魂を喰らい尽くされてしまうだろう。


 故にデオフィルは数多の魔指輪リングを破壊し、『誓砕牙クランチ』に宿る悪魔に供物となる魔法を捧げてきた。


 なるほど確かに。こんな制約デメリットを抱えた者を、冒険者として野放しにしておくわけにはいかない。


 デオフィルは悪魔の囁きから『誓砕牙クランチ魔指輪リングの制約を感じ取った時、一人自嘲気味に笑った。


 それから転げ落ちるのは、あっという間だった。

 最初は真っ当に働こうとしたものの、禁呪魔指輪カースリングを使った影響か徐々に髪が黒く変色していった。マトモな働き口も見つからず、更には『誓砕牙クランチ魔指輪リングの制約もあって定期的に魔指輪リングを喰わせねばならない。


 盗賊という道を選んだのは必然だった。

 自分たちのパーティを襲撃した賊たちと同じ手口を使い、次々とダンジョンで冒険者を襲撃して制約デメリットを凌いでいく。まさに毎日が綱渡り。


 そんな折、デオフィルは知った。


 自分が所属していたパーティが、今や大手と呼ばれるまでに成長していると。

 ギルドからの信頼も厚く、評価もされ、新人の育成まで行っている。


 自分は何もかもを諦めた。夢を諦めた。

 だというのに、その仲間たちは夢を叶えようとしている。

 身を挺して仲間を護り、盗賊にまで転げ落ちた自分のことなど、知らないとばかりに。

 元の仲間たちは順調に歩み、夢を叶えようとしている。


「あのパーティ、今度Aランクになるんだって? すげぇ速さだな」

「救助活動の実績がデカかったらしいぜ」

「救助活動? ダンジョン内の冒険者を助けるっていう、アレか?」

「ああ。リーダーの人がダンジョン内で盗賊に襲われたことがあるんだと。同じような思いをする人を少しでも減らすために、ギルドに提案して救助活動を行っていたらしい」

「ほぉー。それはご立派だな」


 偶然にも街で耳にした何気ない会話が、デオフィルの中に在る何かを途切れさせた。


「なん……だよ…………それ……」


 どろどろとした、濁り切った重苦しい液体が肺の中を満たしていく。

 諦めて、諦めて、諦めて、諦めて、諦めて。

 自分が全てを諦めたというのに、自分と正反対のことをして夢を叶えようとしている仲間たちがいて。


 ……悪魔が囁く。

 腹が減ったと。喰らわせろと。全てを喰らい尽くしたいと。


「ああ……幾らでも喰えばいいさ」


 やがてデオフィルは十数人の冒険者を殺害し、パーティを壊滅状態に陥らせる。


 ――――そのパーティの名は、『暁の盾』といった。


「……なんだ。その眼は」


 立ちはだかった少年。黒い瞳を持つ彼にもまた、自分と同じ諦めの闇が滲んでいた。されどその闇の中に、ほんの微かに……一点の光が宿っていることもまた、見えていた。

 諦めをやめようとしているような、そんな眼が。


「気にくわねぇんだよッ!!」


 右手に漆黒のオーラを纏い、デオフィルは黒髪の少年に向けて飛び掛かった。


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