第26話 異世界転移×3
空は紅かった。雲は黒かった。大地は紫色の芝生に覆われていた。雷鳴が轟き、空気は鬱屈している。目に見えぬ瘴気が肌をピリピリと撫でる。見慣れぬ荒野を眺めながら、リーシェはつぶやいた。
「ここが……魔界……?」
独り言のつもりだったが、魔王ヘルデウスが答えをくれる。
「……いかにも」
リーシェとヘルデウスは、謎の触手に捕まり、ゲートへと引きずり込まれた。
結果、魔界の大地へと降り立った。
ゲートと触手は消えた。いや、正確にはゲートのひずみのようなものは残っている。強力な魔力で刺激すれば、おそらく再び解放されるだろう。
なにもない荒野。ふたりは取り残される。
「どういうことか、説明してもらえる?」
軽蔑のまなざしを向けるリーシェ。
「俺にもわからん……だが、あの時点でゲートは完成していなかった。何者かの仕業なのだろうな」
「あんた以外に、なんか企んでいる奴がいるの?」
「さあな。だが、この魔界には、俺以上のバケモノがわんさといる」
「ふーん」
興味なさそうに頷くリーシェ。だが、心中は穏やかではない。ヘルデウスだけでも、人間は追い詰められてきたのだから。
「で、どうする? 続ける?」
正直なところ興ざめしていた。あのまま戦っていたら、間違いなくリーシェが勝っていた。決着はついたものだと思っている。ヘルデウスもそれを理解していたようだ。
「良い。すでに我が野心は潰えた」
ククッと苦笑するヘルデウス。
――すると、ポツリと語り始める。
「俺は……強くなりたかった」
「あ、そ」
「魔界では、そんな小さな願いも叶わない。上を目指そうとすれば、すぐさま消される弱肉強食。だから、俺は人間界に活路を見いだした」
「あたしには関係ないことね」
ヘルデウスはリーシェの冷めた反応を気にせず、言葉を紡ぐ。
「ある日、魔界と人間界を繋ぐゲートのひずみを見つけた。俺は、上位魔族から逃げるために、迷わず飛び込んだ。すると、そこは脆弱な人間と魔物の暮らす世界。ここなら、誰にも邪魔されず己を高めることができると思った」
人間界で、ヘルデウスは数多の魔物と戦い、己を磨いた。そうしているうちに、従う魔物が現れるようになった。やがて、それは軍団と化した。すると欲が出た。
――人間界を支配できるのではないか、と。
「それは心地の良いものだった」
生き延びるのが精一杯だった人生が逆転した。人間を滅ぼし、魔物の王になれる。頂点に君臨できる。魔王は計画的に、その野望を実行しようとした。
「だが、俺にはさらなる欲望があった」
人間界で力を付け、魔王軍をさらに強化すれば、いずれは魔界をも支配できるのでないかと思った。だが、その夢は散ったようだ。
「俺の配下はもういない」
「あたしが滅ぼしたからね」
「そして、俺の実力の届かぬ者が現れた」
「あたしね」
「ああ。所詮、俺の野望など儚いもの――」
その時だった。
リーシェの首筋が凍り付くほどの殺気を感じた。ヘルデウスも同じだったのだろう。ふたりはとっさに身構える。
だが、突如として――リーシェの右腕が消し飛んだ。
「づッ!」
「リーシェッ!」
ヘルデウスが心配するような言葉をかける。
だが、無用。
「こんなの平気よ!」
右腕の時間を戻す。すぐさま修復する。激戦と成長を繰り返したリーシェにとって、この程度の魔法は朝飯前であった。
「な、なにが起こったのッ?」
警戒したまま構えるリーシェ。
「――あれあれぇ? おかしいなぁ……なんで元通りなのかなぁ?」
ふわりとした天然パーマの優男。表情はにこやか。炭鉱夫のような青色デニムに、真っ白なシャツ。一見して人。ただの人。だが、禍々しい瘴気を感じる。魔王の比ではないぐらいに。
「……あんたの仕業……? ずいぶんと手荒いご挨拶だとこと」
リーシェは鋭い目つきで睨めつける。
「ぼくの庭に侵入してきた奴がいるからさ。何事かと思ってきてみたら……弟が虐められているじゃん――」
「弟……?」
すると、魔王が苦虫を噛みつぶしたかのような表情で叫ぶ。
「あ……兄者ッ!」
「兄……?」
ヘルデウスと優男を交互に見るリーシェ。このふたりは兄弟ということ?
「久しぶりだね。ヘルデウス。旅行は楽しかったかい? どっか別の世界に行ってたんだろ?」
「魔界に引きずり込んだのは、兄者の仕業かッ!」
「ん? ああ、そうそう。おまえがゲートを開こうとしていたからさ。ちょっと手伝ってあげたんだ。これで、ふたつの世界を移動し放題。遊ぶところが増えたね」
「兄者のためにやったわけではない! 俺はッ――俺は――!」
「いったい、どういうこと?」
リーシェがヘルデウスに問いかける。
「……魔界で暮らしていた頃、俺はこいつの庇護を受けて生き延びていた。だが、その正体は魔界の王……ツェルギス。こいつこそが真の魔王だ。俺はこいつを殺すために、人間界で修行し、軍団をつくったのだ」
「ツェルギス……?」
「そうなの? なーんだぁ。てっきり、ぼくのために新しい遊び場を用意してくれたと思っていたのに」
「誰が、兄者などのために――」
「けど、結果としてそういうことだよね? あはは、楽しみだなぁ。そっちの世界にも強い奴はいる? 彼女みたいなレベルじゃ、話にならないけど」
ツェルギスはリーシェを見下すように吐き捨てる。
「話にならないかどうか、試してみる?」
リーシェが魔力を解放する。ぶわりと風が舞った。ツェルギスの前髪を吹き上げる。
「へえ……まあまあやるみたいだね」
「下がっていろ、リーシェ! こいつはッ――俺が殺る!」
ヘルデウスが、ツェルギスの前に立ちはだかる。
「おやぁ? いったいどういう心境かな? お兄ちゃんに逆らったら、どうなるかわかってるよね?」
「ほざけ! 貴様は俺をおもちゃにしていただけだろう!」
ヘルデウスが魔法を放たんと、腕を勢いよく引いた。刹那。ツェルギスの姿が消えた。そして、ヘルデウスの背後から出現。その腕をガシリと掴んだ。
「な……! くっ……あぁあぁぁッ!」
もう片方の腕で、至近距離から爆発魔法を撃ち放つ。かなりの威力があったと思う。爆風が地面を抉るほどだ。
――しかし、粉塵が張れると、そこには憎らしいほどの笑顔を湛えた魔界の王の姿があった。
「む、無傷だとッ?」
「この程度か」
ツェルギスの腕が、ヘルデウスの腹部を貫く――。
「が……はッ――」
「つまらないね。いつか強くなると思って生かしておいてあげたのに、結局はこの程度。所詮おまえは魔王を夢見た、ただの中二病野郎。もう、いらないや――」
「あ……あに……じゃ……」
腕を引き抜く。ヘルデウスは天を仰ぐように倒れた。
「――新しいおもちゃも見つかったことだし」
リーシェと視線がぶつかる。
「誰がおもちゃだって? 殺すわよ」
ヘルデウスが死んだところで、悲しみなどあるわけがなかった。けど、苛立ちはあった。おそらく、ヘルデウス以上に、このツェルギスがクソ野郎に思えたからだろう。
「殺す? はは、おもちゃが『殺す』だって。実に滑稽だね!」
ツェルギスが漆黒の炎を浴びせる。リーシェは、それを片手で軽く振り払う。
「魔界の王様はこの程度なのかしら」
「へえ……これはこれは、よくできたおもちゃだ」
「最初で最後の警告。あたしを人間界に戻しなさい。んで、あんたは一生魔界に引きこもってなさい。そしたら、命までは取らないであげるわ――」
「優しいおもちゃだねえ。けど、答えはNOだ。――さ、遊んであげるよ」
☆
リーシェのことを思い出してからは、行動が早かった。さすがに、彼女に対してうしろめたい気持ちがあったのだろう。
俺たちは、すぐに出発。移動手段は機関車だ。石炭と魔法の力で凄まじいスピードで進む。
「マジかッ! これ、曲がれるのかよッ」
機関車の最前車両。俺は運転席から進行方向を見やる。
「問題ないですっ! お姉ちゃんに任せてくださいッ!」
窓から飛び出し、屋根へと登る姉ちゃん。カーブに差し掛かると、大地に向かって魔法を撃ち放つ。その爆風で、むりやり機関車をカーブさせる。っていうか、片輪走行ッ! 事故るッ! 死ぬッ!
「うおわあぁあぁぁぁッ!」
凄まじいスピードでカーブを走り抜ける。強引に走り抜ける。――凄い。凄いけどッ!
「ちょ、姉ちゃんッ! 線路がないんですけどぉぉッ!?」
うん、線路がない。完成は明日だって言ってたもんねぇぇぇぇッ?
「大丈夫です! そのまま突き進みますッ!」
ガダゴンッ! 列車が線路から降りて、大地を走る。ここからどうするの?
「って、進行方向に森があるんですけどぉぉッ!」
「安心しろ。私がなんとかする」
イシュタリオンさんが、剣を片手に窓から飛び降りる。そして、列車と同じ早さで併走――というか、列車を追い抜かんばかりにダッシュしている。
「とりゃあぁああぁぁぁッ!」
そのまま列車の前へと躍り出て、進路上の木々を根元から断裁していく。俺たちは、イシュタリオンさんが切り開いた道を列車で進む。
「今度は大岩ッ!」
城のように巨大な岩。だが、それすらもイシュタリオンさんが一刀両断。パカッと割れて、できた進路を機関車が進む。
「イシュタリオン! その調子です!」
「うむ! しかし寒い!」
「寒いです!」
うん、こいつらアホだから、水着のままだ。着替える時間ぐらいあっただろうに。っていうか、機関車の中で着替えりゃ良かったのにッ!
「前方に関所ぉぉぉッ!」
「大丈夫だッ! 城壁など切り抜いてくれるッ!」
イシュタリオンさんが、言葉そのままに城壁を円形に切り抜いてくれた。それを機関車で吹っ飛ばし、俺たちは港町フィッシングローズへとたどり着くのであった。
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