第五話 舞菊

しばらくのあいだ、一冴はその場から動けなかった。


蘭との関係は終わった。自分が男であるせいで――菊花が明かしたせいで。絶望的な現実の前で、何を考えたらいいか分からなかった。


ふらふらと歩き始める。


目の焦点が合わず、景色が歪んだ。


菊花はなぜ明かしたのだろう。梨恵に知られたのだから、蘭も知るべきだと思ったのか。あるいは別の理由か。そうでなくとも菊花は意地が悪い。幼い頃はもっと露骨だった。一冴のことを今も見下げているのだろう。


菊花を問い詰めなければならない。明かしたらどうなるかなど分かっていたはずではないか。その上で明かしたというのか――なぜなぜなぜ。


ひとまず教室へ行ってみることとする。


教室に菊花はいた。自分の席で本を読んでいる。


一冴は静かに近寄った。


「東條さん――ちょっといい?」


困惑したように、菊花は目を瞬かせる。


菊花を苗字で呼ぶなど――今までなかった。


「—―何?」


「ひとけのない処で話したいんだけど。」


「あ――うん。」


教室を出て、階段の陰へと移動する。


周囲に人がいないことを確認すると、男の声で一冴はささやいた。


「お前――いったい何なの?」


菊花の顔に怯えが浮かぶ。


「え――何が?」


「とぼけんな――蘭先輩に全部話したんだろが。」


菊花は沈黙する。


それを、何も答えられないためだと一冴は解釈した。


「お前――いい加減にしろよ? 蘭先輩、文藝部から出てけって言ってたぞ? 俺が出て行かなけりゃ――自分が出ていくんだってさ。転校して寮からも出ていくって言ってた。」


菊花は何かを考えたあと、恐る恐る問うた。


「あの、私が話した――って、蘭先輩が?」


「当り前だろが!」


一冴は声を荒げる。


一瞬の後、冷静さを失ったことに気づいた。


階段の陰から廊下を覗く。


男の声がしたと誰も気づいていないようだ。


一は視線を戻す。


「しょせん、お前もあの爺さんの孫だな。」


菊花の表情かおにひびが入った。


「お前なんかもう顔も見たくねえ。」


それだけ言うと、一冴は立ち去って行った。

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