第四話 禁域の理由
翌日の昼休憩のことである。
教師からの頼み事があり、一冴は職員室に呼ばれていた。それが終わり、教室へ帰ろうとしたときのことだ――二階から降りて来た蘭と顔を合わせた。
「あら――いちごさん、ちゃうどよろしかった。」
一冴は足を止める。
「—―はい?」
「いえ、お話ししたいことがありますの。お時間、よろしいでせうか?」
ほんの少しうれしくなる。
「あ――はい。構いません。」
「この場では憚られることです――少し移動しませうか。」
「――はい。」
蘭に連れられて校舎裏へと向かう。
ひとけのない処へ自分を連れ出そうとしている。二人で話したいこととは何だろう。しかし、悪い予感はしない。それが何かを考えると、ひとときのあいだでも期待せざるを得ない。
やがて校舎裏へ着いた。
蘭は静かに目を向ける。そして、ゆっくり口を開いた。
「上原一冴さん――ってご存じですか?」
一冴は動けなくなる――あまりにも似つかわしくない言葉を耳にしたからだ。
なぜ――その名前をだす。
当然、一冴は何も答えられない。それを目にし、小刻みに震えるような声で蘭は言う。
「菊花ちゃんが教へてくださいました――貴方、本当は一冴さんといふのですね?」
困惑と混乱がやってくる。
――菊花が?
梨恵に正体がバレたときのことが頭をよぎった。
そういえば――ここには監視カメラはない。
麦彦も見ていないはずだ。
蘭は軽く眉をひそめた。
「のどぼとけが出てゐますよ。」
衝撃的な言葉を耳にし、咄嗟に、自分の喉へと触れる。目立たないレベルのはずだった。しかし、実際は目につくものだったのか――それとも目につくようになったのか。
何かを確信したような表情へと蘭は変わる。そして、一冴の胸に手を伸ばした。
一瞬、息が止まる。
胸元の軽い膨らみがずれた。
蘭は顔を歪める。それは、あの冬の日と同じ顔だった。
一冴は突き飛された。
意外と強い力によろめき、壁にもたれる。
「—―やっぱり。貴方――男性だったんですね。」
蘭は一冴を見下ろす。軽蔑の視線が降ってきた。
一冴は目を逸らす。足元から力が抜けていった。
「あの――何で――?」
「先ほども申した通りです――菊花ちゃんが教えて下さいました。」
――菊花が。
頭の中が白くなる。信じられなかった――そんな言葉は。しかし、菊花が教えたのでないなら、なぜ蘭は知っているのだ。
「女装して入学したのは――わたくしに近づかうと思ってですか?」
違う――と言おうとしたが、できない。
「いえ――あの――」
「少なくとも、文藝部へ入ったのはそのためですね?」
蘭は少し後ずさる。
「貴方――トイレや更衣室はどうしてゐるんですか? —―女子と同じ物を使ってゐますね? 周りの女の子たちは、貴方が男性であることを存じてをりますか?」
一冴は何も答えられない。
蘭は眉間にしわを寄せる。
「更衣室やトイレが、なぜ男女で分かれてゐるかご存じですか?」
「あ――あの。」
「男性から女性を守るためです。盗撮や痴漢や暴行――中には、貴方のやうに女装してまでも女性用スペースを犯したがる男性もゐる。—―それがどれだけ恐ろしいことか分かりますか?」
自分の履いているスカートの端が目に入る。途端に、女の格好をしていることが恥ずかしくなった。セーラー服をまとい、ペニスストッキングで股間を隠し、梨恵から与えられた髪飾りで自分を彩ることによって――何か勘違いをしてはいなかったか。
――お前は女の出来損ないだ。
いや、出来損ないですらない――男なのだ。
蘭は続ける。
「しかも、貴方は異性愛者ですね? わたくしの性的指向を知った上で、性別を偽り、わたくしと付き合はうとした――本当に気持ち悪いです。」
一冴は何も言えない。
何しろ、分かっていたはずなのだから。
蘭の言う通りなのだ――全て。
「貴方が男性であったことは言ひません。けれども――お願ひですから、もう近づかないでいたゞけますか? 文藝部も辞めてください。さうでないのであれば――わたくしが出てゆきます。幸ひ、父から転校も勧められてゐるところですし。」
一冴は顔を上げる。
蘭は顔をそむけていた。
――転校する?
蘭は再び顔を向け、冷たい視線を向ける。
「冗談ではありませんよ? 出て行かうと思へば――明日にでも寮から出ていけますから。」
それだけ言うと、蘭は去っていった。
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