第十一話 性別X

(作者註:スマートフォンでご覧の方は、この回はタテ書き・文字サイズ「小」でご覧ください。パソコンからご覧の方も文字サイズ「中」か「小」でお願いします。)


その日の晩、一冴は眠れなかった。


寮を出てゆくという蘭の言葉が胸に刺さっている。


蘭にとって、ストーカーか何かのように一冴は思えたのだろうか。もしそうなら、蘭の居場所は自分が奪ったことになる。


眠れないまま数時間が経った。


一冴は上半身を起こす。


ほのかな月光が窓からさし込んでいた。


自分の手へと目をやる――男の身体へと。


この手や腕にしろ、毎晩剃らなければ、女子にしてはやや濃い毛が生えてくる。髭はまだ薄いと言えど、剃らなければ男子だと判ってしまう。


それだけではない――男子として生まれた以上、毎晩、こっそりと部屋から抜け出してしていたことも仕方なかった。空腹や睡魔に抗えないのと同様、その欲求からも抗えられない。男という生き物はこんなにも汚い。


男がいることがどれだけ恐ろしいか――という言葉が蘇った。その通りだ。気持ち悪いし怖いに違いない。蘭に愛されるばかりか、自分はここにいてはいけないのだ。


梨恵が目を覚ましたのはそのときだ。


ベッドから顔を上げて、声をかける。


「いちごちゃん、寝られんの?」


「――うん。」


「うちも。」


梨恵は上半身を起こす。


「やっぱり、鈴宮先輩のこと気にかかっとるん?」


「――うん。」


枕元のスマートフォンへと梨恵は目をやる。


「理事長先生は今ごろ寝とるかな?」


「たぶん。」


途端に、今まで言い表せなかった感情がやってきた。


一冴はうつむき、顔に両手をやる。


「俺が出ていけばよかったんだ――やっぱり。」


梨恵は首をかしげる。


「何で?」


「だって――ここにいちゃいけないの本来は俺じゃん。俺さえいなけりゃ、蘭先輩と菊花との関係も無茶苦茶にならなかったし――」


梨恵ちゃんにも――と言いかけ、抵抗を覚えた。


「伯伯伎さんにも迷惑をかけることなかった。」


「伯伯伎さん――って。」


批難するような声色に、一冴は少し後悔する。


「だって、俺、男だもん。」


目頭に熱いものを感じた。


泣きたくなかったため、仰向けになる。名実ともに、自分は今「男」なのだ。いくら女の格好をしていても、涙を見せたくないという意地はある。


梨恵ちゃん――などとは呼べないのだ、この声で。


「うち、いちごちゃんのことはずっと女の子だと思っとっただけど。」


その名前が胸に刺さった。いまだ「女あつかい」をされている。そちらのほうが本当はうれしいのだ。けれども、いたたまれない感情が今はある。


一冴は寝返りを打ち、顔をそむけた。


「男だよ――。本当は、こんな処にいちゃいけないんだ――女子寮に男がいたら、何するか分からない。気持ち悪いって思うの当たり前だよ。」


梨恵は、挑発するように問う。


「襲うの? うちのこと?」


男性らしい衝動が来ることを恐れ、一冴は身をちぢめる。


「襲わない。」


「なら――ええが。」


梨恵の言葉は温かい。


だが、慰められれば慰められるほど、今は抗いたくなる。


「けれど――蘭先輩はよくないよ。俺は――」


そこまで言い、妙な違和感を一冴は抱く。


この一人称は相応しくないような――そんな気がしたのだ。


「女じゃないじゃん――こんな身体。」


梨恵は首をかしげる。


「心は――女の子とかじゃないの?」


何と答えるべきか、一冴は迷った。


正直、「心が女性」という状態が分からない。そんなことは考えたこともなかった。だが、心が女性ではないということは、男性ということではないだろうか。


「心は――分からないけど」


「そう。」


梨恵は目を伏せる。


「けど――心に性別はないかもね。」


その言葉は一冴の胸に響いた。


形がない心に性別はあるのだろうか。

                自分を男だと思えない自分は何だ。

  小さい頃からそうだったではないか。

               自分の中には昔から何かがあった。

    男としての自分も確かにあるけど。

             男であることが半ば違和感だった。

      女子としての自分は本当に偽物か。

           ほら、ようやく気づき始めてきた。

        心の奥から声が聞こえてきている。

         まるで鏡に写る自分の姿のように。

          鏡に写った姿は光が作る虚像、

           同時に自分でもあるのだ。

            偽物の女である自分。

             そう言えるのか。

              私は。俺は。

              俺は。私は。

             ずっといたのだ。

            身体という器の中に、

           半ば男性でもありながら、

          本来あるべき物を欠いたまま。

         いちごも一冴も偽りのない自分だ。

        けれど、生まれる性は一つなのだ。

           だから、男にしか生まれなかった。

      それでも、自分は昔からいたのだ。

             だからずっと無意識に求めていた。

    形のない二つ目の性に与える姿を。

               そして、鏡の中に自分を見つけた。

  生まれていたかもしれない性別を。

                一方「俺」もまた確かにここにいた。

自分の心は男でも女でもなかったか。

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