第2話とらわれて
ゆうこちゃんは悩んでいた。
ある言葉が頭から離れないのだ。
その言葉とは── エビデンス。
登校中も授業中も休憩時間にもその言葉がくりかえし頭に響くので、ゆうこちゃんはもうヘトヘトだった。
ひゆぅぅぅぅ。
三年一組の教室に冷たい風が吹き込んだ。
換気のために開け放たれた窓。
クラスメートの抗議の視線がそこに集中した瞬間、ゆうこちゃんの頭の中であの言葉が響きはじめた。
あ〜あ、それそれエビデンス、エビデンス。今日も明日もエビデンス。
同時に腰を振る海老の映像が脳内でループする。
いけない、持っていかれる!
お〜お、こりゃこりゃ海老ダンス、海老ダンス。もひとつオマケに海老ダンス!
くっそ、持ってかれるか!
だいたい全然面白くないんだよ! 笑えないんだよ! なのになんどもリピートするのはどういうことですかね!
まさか、わたしの無意識下ではこれがツボってて、どうだ面白いだろ〜って誘っているというのか?
いや、それ馬鹿じゃん。クールビューティのわたしがこんなお馬鹿な妄想で笑おうとしているなんてありえない!
ゆうこちゃんは無表情を装いつつ、頭の中では海老ダンス祭りが止まらない。
やめて、やめて!
ゆうこちゃんの口元が歪む。
いけない、笑おうとしてる。口元が勝手に笑いの形を取ろうとしている!
着用したマスクのおかげで周囲に気づかれることはないが、声をあげて笑えば負けだ!
負ける? 誰に?
そのとき、男子生徒が席を立った。
お調子者の太郎だ。
「先生、寒い! 窓閉めようぜ」
「悪いな太郎、定期的に換気するのが決まりだ。今しばらく堪えてくれ。みんなも上着をしっかり着て風邪を引かないようにな」
「くっそ〜、どこもかしこもソーシャルディスタンスかよぉ」
太郎が顔を歪めて踊りだすと、ゆうこちゃんは嫌な予感がした。
「ソーシャル、ソーシャル、ディスタンス、それディスタンスたら、ディス、ダンス!」
クラスに冷たい風が吹き抜けた。
太郎の鼻出しマスク姿に女子生徒が声をあげた。
「太郎くん、マスクはちゃんと鼻まで装着してよ!」
「おっ出ましたね!」
待ってましたとばかり、太郎が叫び踊りだす。
「お〜お、こりゃこりゃ海老ダンス、海老ダンス。もひとつオマケに海老ダンス!」
腰を振り振り歌う太郎にゆうこちゃんの顔が青ざめた。
やめて、やめてよ! わたしがこいつと同類だなんて認めないんだから!
しかし、ゆうこちゃんの身体は正直だった。
お〜お、こりゃこりゃ海老ダンス、海老ダンス。もひとつオマケに海老ダンス!
その思いとは裏腹に。
あ〜あ、それそれエビデンス、エビデンス。今日も明日もエビデンス。
太郎のよこでゆうこちゃんも腰を振っていた。
お〜お、こりゃこりゃ海老ダンス、海老ダンス。もひとつオマケに海老ダンス!
「おっ、ゆうこちゃんも同類じゃん」
「ち、違う、絶対違うもん!」
太郎の言葉を必死に否定したが振り振りは止まらず、ゆうこちゃんは完全に持っていかれたのだ。
さらにクラス中が冷え込んでゆく。
気がつけば、笑い声が響いていた。それが自分の声だと知ったとき。
ゆうこちゃんは……負けた。
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