マフラーと焼菓子と鉛筆

犬丸寛太

第1話マフラーと焼菓子と鉛筆

 書きたい気持ちは溢れている。それでも何故かはたと書けなくなってしまった。手に持っている鉛筆がやけに重い。見慣れた原稿用紙もやけに広く空虚に見える。

 鉛筆や原稿用紙だけではない。ギターの音も昔より鈍く聞こえる。声も上手く出ない。言葉も出ない。

 創る、生み出す、そんな役目を持った物全てが今の私には随分と重い。

 逆に軽くなったものがある。酒の入ったグラス、タバコの煙、お金、責任感、薬の効き目。どれもこれも使えば無くなっていくものばかり。

 良くなったり、悪くなったり、重くなったり、軽くなったり。繰り返して繰り替ええして五、六年は経っただろうか。正直、嫌気が差したというか疲れてしまった。

 禍福は糾える縄の如しという言葉がある。

 素直に受け取れば幸せと不幸せは糾える二本の縄の様に繰り返し訪れるという意味だ。

 手元の縄を見るに二本の縄は互い違いに縒り合わさり幸せと不幸せに準えたならば、それは確かに交互に私の目に映る。

 だが、縄を解いてしまえばどうなるだろうか。幸せの黄色い縄と不幸せの黒い縄に分かれてしまうだろう。

 きっと自分は黒い方だと思う。

 人間失格の中にこういった文がある。

 臆病者は幸福すら畏れる。

 私は太宰治の著作をあまり知らないが、走れメロスと人間失格くらいは読んだ事がある。いくつもの困難を乗り越えて希望を生き抜いたメロスといくつもの享楽に溺れて絶望の末に壊れてしまった葉蔵。

 あまりにも有名な彼の二つの作品はまるで彼の人生のようだと思う。

 いくつもの困難を乗り越え、愛する者と共

に身を投げうち、イカレとなって川で溺れて死んでしまった。

 身の内にメロスという幸せと葉蔵という不幸せを持ち、ある時彼は気づいてしまったのだと思う。糾える縄を解いてしまったのだと思う。

 上等な焼菓子を口に入れ私は目を閉じる。私の好物だ。最後のしみったれの私の人生にあって最後の晩餐になる。

 やわらかで奥深い、優しい甘みが口に広がる。まもなく冬が明けるとはいえ部屋の中は随分と寒い。もし、首に巻かれているものがマフラーならば、それも、想い人が心を込めて作ったもの、きっと毛糸で出来ていて造りが荒い。そんなものならば一体私はどうなっただろうか。

 それでもきっと、私はマフラーを棄て、冷たいナイロンのロープを首に掛けていただろう。私は生来の臆病者。そんな幸福はきっと受け入れられない。

 口の中の焼菓子が解ける頃、私は台を蹴り飛ばした。

 薄れゆく意識の中で、はっきりと感じられるのは冷たいロープと締め上げられた首の熱い感覚。

 目を覚ました私は自室のベッドに横になっていた。傍らには両親が座っている。私の目覚めを確認するや否や、重く沈んだ表情から軽く明るいものへと変わってく。

 矢継ぎ早にアレコレと声をかけられたがよくわからない。

 私は遮るように一言尋ねた。

「ロープは」

 両親は呆気に取られていたが、やがて語気を強めながらまたアレコレどうでもよい事を言い出した。

 私を非難したり、気遣ったり、色々言われたが、とにかく捨てた事だけは分かった。

 私の頭の中はロープの事で一杯だった。黄色と黒。どちらも健在で私は死に損なったのか。あるいはどちらも切れて命永らえたのか。ひょっとすると、どちらか一本は健在かもしれない。それは黄色か黒か。

 陳腐な物語ならばこの後、私は想い人の気遣いで跡の残る首元を隠すためにと黄色いマフラーを贈られるのだろう。

 しかし、現実はもっと良く出来ている。思うに私の未来はこうだ。

 あるかどうかわからない黄色いマフラー物語よりも、確実に訪れるものがある。

 それは死だ。私が今ばかり永らえてしまうのならば自分のではない。

 人が死ねばよほどではない限り葬式が行われる。今度は黄色と黒の二択ではない。

そこで私の首元に巻かれるのは。

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マフラーと焼菓子と鉛筆 犬丸寛太 @kotaro3

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