第453話 見慣れた天井
ラグナロッツァ下水道北地区五区で、ポイズンスライム変異体を倒した直後にその場で気を失ったラウル。
次にラウルが目を開いた時、その目に映ったのは見覚えのある天井だった。
「……ん……ここ、は……」
まだぼんやりとしたままのラウル。
次第に視界がクリアになっていき、そこがラグナロッツァのレオニス邸であることに気づく。
何故ならその見慣れた天井は、いつも自分が寝ているベッドから見える景色だったから。
まだ少し身体が重たく感じるが、全く動けないほどではない。
ふと己の右側に目を遣ると、そこにはマキシがいた。
ラウルのベッドの横に椅子を置いて座り、俯せになりながらすぅ、すぅ、と静かな寝息を立てて寝ている。夜通しラウルの傍についていたのだろう。
反対側にある窓の方を見ると、カーテンが引かれていて外の様子が分かりにくい。
だが、カーテンの下から漏れて見える光を見るに、昼頃にはなっていそうだ。
倦怠感の残る身体を起こそうとするラウル。
布団の中でもぞもぞとしていると、その気配で横にいたマキシが目を覚ました。
「……ん……」
「…………ぁ、ラウル?……あ、ああ……良かった……ようやく起きてくれた……!」
ラウルが目を覚ましたことに気づいたマキシの目に、あっという間に涙が溜まっていく。
間を置かずにポロポロと涙を零すマキシを見て、今度はラウルが慌てだす。
「……ぉ、ぉぃ、マキシ……何でそんなに泣くんだ?」
「だって……だってぇ……ラウルが下水道で魔物に襲われてて……ここに運ばれてきても、ずっと意識が戻らなくて……」
「そんな大袈裟な……」
まだ布団に寝たままのラウル。
戸惑い気味かつ何の気なしに言った言葉に、マキシが思わず反論する。
「大袈裟じゃないッ!あれから丸一日以上起きなかったんだから!」
「……ッ……」
「あッ……ごめんね、ラウル……」
「ぃゃ……ぃぃ……大丈夫だ……」
マキシの大きな声が頭に響いたのか、ラウルがビクン!としながら顔を顰める。
そんなラウルを見て、マキシが慌てて声量を落としつつすぐに謝る。
「……俺、そんなに寝てたのか?」
「うん。今日はもう金曜日だよ。ラウルが大怪我したのが一昨日の水曜日で、昨日丸一日ずっと寝てたんだ」
「……そうか……心配かけてすまなかった」
部屋の空気を入れ替えるために、窓に向かうマキシ。カーテンを開けて半分くらい窓を開ける。
外から入る日差しは朝夕のそれではなく、もう既に昼過ぎになっていることを思わせる明るさだ。
ラウルはベッドから起き上がり、座ったまま両腕を前に伸ばす。
怪我を負って丸一日以上寝込んでいたせいか、普段の目覚めに比べてスッキリとした感覚はない。怠さが身体のあちこちに残っている。
自分の身体の状況を冷静に受け止めつつ、ラウルはマキシに問うた。
「俺をここまで運んでくれたのは、ご主人様か?」
「うん。一昨日ラウルが夜になっても親子に帰ってこないから、僕心配になってレオニスさんに相談しに行ったの。そしたら、レオニスさんがすぐに動いてくれて……」
その後マキシは、一昨日の夜に起きた出来事をラウルに語って聞かせていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一昨日の夜九時を過ぎても、ラウルが帰宅しないことを心配したマキシ。思い切って転移門を使用し、カタポレンの森の家に行きレオニスに相談した。
「何? こんな時間になってもラウルが屋敷に戻ってきてない?」
「はい……ここ最近、冒険者ギルドの依頼を受けて帰りが少し遅くなることはありましたが……それでも夜の八時までにはちゃんと晩御飯を食べてたのに、今日はまだ帰ってきてないんです……」
「そりゃおかしいな……」
ラウルが朝昼晩の三食の食事を必ず屋敷で摂ることは、当然レオニスも知っている。
事前に何らかの予定でも入っていない限り、何が何でも必ず規則正しい時間帯に食事を摂る。それがラウルという料理好きの妖精の習慣なのだ。
そのラウルが、晩御飯の時間を過ぎても帰ってこない―――それだけでもう既に異常事態が起きていることを、レオニスも瞬時に理解していた。
レオニスとマキシの会話に、ライトも心配そうに話に加わる。
「ラウル、どうしたの? 家に帰ってきてないの?」
「心配するな。今から俺が探してくるから、ライトは留守番してな。もう夜も遅い時間だし、明日も普通に学園あるしな」
「じゃあ、明日の学園の支度してからラグナロッツァの家で留守番してる!」
「おう、そうしてくれ。俺はマキシといっしょに先にラグナロッツァに行ってるから、お前は向こうの屋敷で留守番な」
「分かった!」
レオニスはマキシとともにすぐに冒険者ギルド総本部に向かい、その日のラウルが下水道壁面清掃依頼を受けたことを知る。
だが、依頼元のラグナロッツァ清掃管理局は閉館している。二十四時間営業の冒険者ギルドと違って、ここは普通の役所の一部門だからだ。夜十時近い時間ともなれば、門戸が開いている訳がない。
普通なら歯軋りしながら翌朝まで待たなければならないところだが、そこはレオニスのこと、ここで黙って引き下がりはしない。
まずは冒険者ギルドで夜勤を勤めていた当直のギルド職員に事情を話し、職員とともに清掃管理局に向かうレオニス。
案の定完全に閉館している建物を見上げ、そのいくつかの窓に灯りがついているのを正門の外から確認。レオニスは閉じられた正門を飛び越えて中に入り、残業していた職員をとっ捕まえて交渉した。
とにかく事態は一刻を争うんだ!とレオニスが強く主張する。
その剣幕に圧されまくった清掃管理局の職員が、ついに折れた。
「明日になったら絶対に、絶対にレオニスさんの方からうちの局長に直接説明してくださいね? でないと僕、本当にクビになるかも……」
「無理言ってすまんな。絶対に今回のことであんたをクビにはさせんから、そこは安心してくれ」
こうして何とか予備の水晶玉を借りることに成功したレオニス。
そこからすぐにレオニスとマキシ、冒険者ギルド職員の三人で下水道北地区に向かっていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
大通り公園南側の下水道北地区入口から、下水管を通って中に入る三人。
下水道壁面清掃依頼の流れは、かつてレオニスも何度かこなしたことがあるので熟知している。
水晶玉から浮かぶホログラムパネルを見たレオニスは、下水管の状況をしばらく眺めた後すぐに五区に向かった。
他の四区が全て綺麗になっているのに対し、五区だけが清掃完了していないことがパネルの絵図から分かったからだ。
光魔法で灯りを灯すレオニスが先頭に立ち、三人が向かったそこには完全に気を失ったラウルが倒れていた。
粘液体の残骸や下水にまみれてぐったりと倒れ込むラウル。その姿を見たマキシの顔が青褪める。
マキシは一目散にラウルのもとに駆け寄った。
「ラウル!ラウル!しっかりして、ラウル!!」
「落ち着け、マキシ。今ラウルの身体を強く揺さぶるのは危険だ」
「でも……でも、ラウルが……ッ……!」
ラウルの身体にしがみつき、揺さぶるマキシをレオニスが宥めつつラウルから引き剥がす。
マキシは涙目になりつつも、レオニスの強い力に抗えずラウルから引き離される。
今にも暴れそうなマキシと、マキシを抑えているレオニスに代わり、職員が前に出てラウルの身体に触り様子を観察する。
「……大丈夫、生きている。気を失っているだけのようだ」
「…………本当、ですか?」
「ああ。少し浅いが呼吸もしているし、体温も感じられる」
「……良かったぁ……はぁぁぁぁ……」
職員からラウルの無事と生存を聞かされたマキシ、その安堵からか全身の力が抜けてしまいその場にへたり込んだ。
レオニスはおとなしくなったマキシから手を離し、冒険者ギルド職員に向かって声をかける。
「ダレン、すまんがこの現場の証人として立ち会ってもらえるか」
「あ、ああ、それはもちろんだ」
「この様子だと、ラウルはここでポイズンスライムに出食わしたんだろう。しかも普通のポイズンスライムじゃなく、変異体だと思われる」
「何ッ!? それは本当か!?」
「ああ。ここに一つ、そしてあっちにも一つ、割れた大きな核が落ちている。大きくて赤い核二つを持つのは変異体の証だ」
「……確かに」
ラウルの足元に転がる二つの赤い核を見た冒険者ギルド職員、ダレンが納得している。
普通のポイズンスライムは、小さな赤い核を一つ持っている。大きな赤い核、しかもそれを二つも持っているのは、その個体が変異体であることの証なのだ。
「割れた核をこのままここに放置しておく訳にはいかん、何を引き寄せるか分かったもんじゃないからな。きちんとした現場検証はまた明日以降するとして、大きな核だけはダレンが回収してギルドに持ち帰ってくれ」
「分かった」
レオニスから袋を受け取ったダレンが、レオニスの指示通り赤い核の大きな破片をいくつか回収していく。
核が落ちていた場所には、そこに核があったことを示すためにレオニスが代わりの鉄塊を目安として置いておく。
ちなみにこの鉄塊は、かつてライトとともに行った幻の鉱山で採取した鉱石である。
大きめの核を一通り回収した後、レオニスはダレンに向かって話しかけた。
「ダレンは回収した核とともに冒険者ギルドに戻って、事の次第を上に報告できるように書類にまとめておいてくれ」
「承知した。レオニス君はこれからどうするんだ?」
「俺はラウルを治療するために屋敷に連れて帰る。ラウルへの事情聴取はまた後日にしてくれ、この様子じゃすぐには目覚めんかもしれん」
未だにぐったりと倒れ込んだまま動かないラウルに、レオニスが視線を向ける。そのラウルの横には、マキシが涙をポロポロと零しながら心配そうに付き添っている。
レオニスの視線の先を見たダレンも、小さく頷きながら返す。
「分かった。だがレオニス君は明日の昼前には総本部に来てくれ。ギルドへの報告もだが、清掃管理局への申し開きもしなきゃならん」
「承知した。手を煩わせてすまんな」
「いや、一番大変な目に遭ったのはそこのラウル君だ。レオニス君が治療するってんなら大丈夫だと思うが、一日も早く良くなるよう願ってるよ」
「ああ……ありがとう」
ダレンが先に地上に戻り、下水管内にはレオニスとマキシ、そして倒れ込んだまま動かないラウルの三人が残された。
ダレンを見送ったレオニスが、改めてラウルのもとに近づいていく。
「……さ、家に帰るぞ」
「…………はい」
ずっとラウルの横に付き添っていたマキシが、ラウルの傍からゆっくりと離れる。
マキシと入れ替わる形で、ラウルの横にしゃがみ込んだレオニス。頬や首、手など、身体のあちこちが火傷のように爛れたラウルをじっと眺めながら、ラウルの手を取り小さな声で語りかける。
「……よく頑張ったな、ラウル」
「傷痕一つ残らないようにちゃんと治してやるからな、安心して寝てな」
ポイズンスライム変異体の粘液で、全身べとべとになったラウル。その頑張りを褒めるように、べとべとの頭をそっと撫でるレオニス。
その後ラウルの身体を抱き抱え、レオニスとマキシは下水道北地区を出てレオニス邸に帰っていった。
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いつもならシレッと復活しそうなラウルですが、今回ばかりは疲労度が段違いで酷いようです。
まぁね、強毒性のポイズンスライムにどっぷり漬かるのはさすがにラウルでも厳しいです。というか、これラウルだから耐えられたのであって、各種耐性が低い通常の人間なら十数秒で溶解してるところです。
ちなみにライト達が普段からよく飲んでいる、ぬるぬるドリンク。作中でも言及していますが、それらのもととなっている通常のスライムとポイズンスライムは全く別物です。
ポイズンスライムのぬるぬるやべたべたを取り出して、毒を精製するといったことは現時点では実用化されていません。
毒も使いようによっては有用性を見い出せるでしょうが、サイサクス世界はそこまで発展していない、といったところですね。
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