第426話 揺り籠の下に眠る雫

 それからもライト達は、水の女王と様々な話をした。

 イードは水の女王が生まれる前からこの目覚めの湖にいること、イードのイーちゃんという愛称は『イカだからイーちゃん』ということ。

 ウィカとアクアとは最近知り合ったばかりだが、水の精霊と水神だけにすぐに打ち解けられたこと。

 そして普段は先程までいた水草の籠の中で過ごしていることなどなど。


「ずっとあの籠の中にいるの?」

『うん。シキタリっていうの? 水の女王は基本的にあの籠の中にいるのが決まりなんだって』

「それって、誰かに言われたり教えられたりしたの?」

『ううん、誰かに教えてもらった訳じゃないけど。でも、そうしないといけない気がするの』


 一日中ずっと同じところに篭ってるなんて、飽きないの? と疑問に感じたライト。

 水の女王の話を聞く限りでは、口伝とか代替わりの引き継ぎなど具体的な教育指導的な指示があってのことではないらしい。



『ふむ……もしかして、あの水草の籠が【水の女王出現ポイント】として設定されているのか?』

『この目覚めの湖をダンジョンに例えれば、水の女王がラスボスなのは言うまでもないこと。そのラスボスが、意味もなくあちこち動き回って捉えられない、なんてことになったらゲームが進められないもんな』

『ここにいなくちゃいけない、と無意識的に感じているということは……特定の場所を出現ポイントに指定して、そこをボスの居場所として固定するというゲーム製作者側の意思―――いわゆる『シナリオ強制力』のようなものが働いているのかも』



 ライトは前世のゲームBCOにおいて、実は水の女王には一度も遭遇したことはない。

 もしかしたら将来的に新規追加キャラとしてアップデート予定で、まだ未実装だったのかもしれない。サイサクス世界に転生してしまった今となっては、もはやそれを確かめる術もないのだが。


 しかし、水の女王の話を聞いたライトは、何ともやるせない気持ちになった。

 水の女王がもしそうした創造神うんえいの意図的な命令プログラムによって縛られているのだとしたら―――何とも理不尽な話だ。

 今ライトの目の前にいる水の女王は、人族である自分達とも会話を交わす知性もあるし、他者に害を及ぼすような邪悪な存在でもない。

 ごくごく普通の、と言っては失礼かもしれないが、悪意に満ちた者ではないことは確かなのだ。


「でも、ずっと同じところにいるのはつまらなくない?」

『んー、そうでもないよ? 今この小島にいるように、湖の中なら移動しようと思えばできるもの。それに、イーちゃんやウィカちーもいつも遊んでくれるし、アクア様もいてくれるし』

「そうなんだ。それなら少しは気が紛れるね」

『でも、籠から長い時間離れることは無理だけどね』


 水の女王の話では、目覚めの湖の中なら多少の移動は可能らしい。確かに現時点でも、己の意思で籠の外である小島に出てこれている。

 ただし、長時間籠から離れることはできないようだ。あまり長いこと籠の外にいると『早くおうちに帰らなくちゃ』と気が急くらしい。

 しかも離れている時間が経てば経つほど、その帰巣意識はどんどん強くなり居ても立ってもいられなくなるとのこと。やはり水の女王の中で何らかの強制力が働いているのだろうか。


『それに、あの籠の周りには強力な結界があってね? 私に対してほんの僅かでも悪意や邪な考えを持つ者は、絶対に結界の中には入れないの』

「結界?……あー、そういえば水草の草原に入る手前に何かあったよね」

「あったあった。ありゃ水の女王を守る結界だったのか」


 水の女王の『結界』という言葉に、ライトもレオニスも同じことを思い出す。

 水草の草原を発見するより少し前、突如一枚の薄い膜を通り抜けたような感覚が起きた時のことだ。

 思えばそこを通り過ぎた直後に、イードが下に下ろしてくれて自分の足で湖底を歩けるようになったのだ。

 ああ、やはりあれは結界だったんだ、とライトもレオニスも得心した。


「じゃあ、四帝の手先が水の女王に近づけなかったのも、その結界のおかげなのかもね」

「おそらくはそういうことだろうな。魔力を奪うために穢れを植え付けようとするなんて、悪意の塊以外の何物でもないからな」


 シナリオ強制力として籠の中に閉じ込められていたというのも、あながち悪いことばかりでもないらしい。

 水の女王に対して害意を持つ者は、あの結界によって例外なく弾かれる。それならば、屍鬼将ゾルディス他廃都の魔城からの手先はことごとく排除され、近づくことすらままならなかったであろう。


『だからあの結界の籠の中にいれば、私は絶対に安全なの』

『でも……それだと籠のところまで来てもらわないと、誰とも遊べないの……』

『あっ、ううん、別に今だって寂しくないよ? イーちゃんやウィカちー、アクア様もいてくれるし。でも……』

『ライトやレオニス、貴方達のように籠のところまで来てくれる者なんて全然いないから……』


 俯きながらしゅん、とする水の女王。

 皆がいるから寂しくない、と口では言いつつも、やはり心のどこかで寂しいと感じているのだろう。

 確かに鉄壁の守りである籠の中にいれば安全だ。だがそれは、外の世界を知る機会や新しい出会いをも失うに等しい。

 どちらの方がいいか、なんてライトには軽々に決められなかった。


 すると、ここでレオニスが水の女王に話しかけた。


「ふむ……籠から長い時間離れると居心地が悪くなるのか。その長い時間ってのはどれくらいなんだ? 半日とか丸一日とかか?」

『んーとねぇ……一日以上は離れたことない、かな?』

「じゃあ半日くらいなら大丈夫なのか? 例えば朝日が昇ってから暗くなるまでの、日中明るい間とか」

『うん、それくらいなら大丈夫よ』


 水の女王の言うところの『籠に戻らなくちゃ』という意識がどれくらいの時間から始まるのか聞くレオニス。

 半日くらいなら大丈夫、と答えた水の女王に、レオニスは一つの提案を出す。


「そしたら今度、俺達を湖底神殿に連れていってくれないか? それくらいなら日中の明るいうちに終わるだろう」

『それはいいけど……貴方達、湖底神殿に行きたいの?』

「ああ、せっかくならアクアの生まれた場所を俺も見てみたいしな。アクアはもちろん、イードやウィカも連れて、皆でいっしょに湖底神殿にお出かけってのはどうだ?」

『……!!』


 レオニスからの提案に、水の女王の顔がパァッ!と明るくなる。

 皆でお出かけ、何と魅力的な響きだろう。普段どこにも出かけることのない水の女王にとっては、何にも増して素敵なお誘いに違いない。

 レオニスの粋な計らいに、ライトもすぐに反応する。


「それいいね!皆でお出かけとか、すっごく楽しそう!」

「だろう? 水の中ではイード達が守ってくれるし、俺達だって護衛するからな」

「そしたらさ、向こうの小島で皆でお昼ご飯とかおやつも食べようよ!」

「お、それいいな。水中じゃあまり役に立たんかもしれんが、水の上の小島なら俺が絶対に皆を守ってやれるぞ」


 ライト達のお出かけ計画、あれよあれよという間にどんどん話が進んでいく。

 湖底神殿訪問に、その後は小島に上陸して皆でご飯やおやつを食べる。想像するだけでも、絶対に楽しいピクニックになること間違いなしである。


「そしたらラウルに、美味しいごはんやおやつをたくさん作ってもらわなくっちゃ!あ、イードやアクアの分のスペシャルミートボールくんもたくさん作っておこう!」

「おお、今から張り切ってるな。ラウルに俺の食う分の飯は多めに頼んでおいてくれ」

「分かった!おやつも多めに注文しとかないとね!」

「さすがライト君だ、よく分かってらっしゃるwww」


 皆でお出かけ、その名も『湖底神殿散策ツアー大作戦』に、ライトは今からあれこれと準備計画を練り始める。

 そんなライトの超ワクテカ姿に、レオニスの方もニヤニヤ笑いが止まらない。

 そんな時、それまでずっと黙ったまま二人の会話する様子を見ていた水の女王が、突如すくっ、と立ち上がった。


『レオニス、ライト、ちょっとここで待っててくれる?』

「ん? それはいいけど、どうしたの? ……って、あ」


 ここで待ってて、と言った水の女王に何事かを問い返す暇もなく、水の女王は水中に戻ってしまった。

 その様子を見たイード達が、遊ぶのをやめて水の女王の後をついていき水中にトプン、と潜り消えていった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 突然水の中に戻っちゃって、どうしたんだろう? さっきまでレオ兄と二人だけで水の女王そっちのけで盛り上がっちゃったから、気を悪くしたのかな? どうしよう、そんなつもりはなかったんだけど……今すぐ追いかけて謝りに行った方がいいかな?


 ライトは内心おろおろしながらも、水の女王に言われた通りに待つ。

 しばらくして、水の女王がイード達とともに水中から浮かび上がってきた。そして再びライト達がいる小島に上陸して、手のひらの中にあるものをライト達に見せた。


『お待たせ!これを取りに行ってたの』

「??……これは、何?」


 水の女王が差し出した手のひらの中には、十粒くらいの丸い玉のようなものがあった。

 その玉は水の女王と同じ水縹色で、さらに透明度の高い澄み切った色合いと鮮やかな輝きを放っている。


『これはね、私の涙。【水の乙女の雫】と呼ばれるものなの』

「何ッ!? 【水の乙女の雫】だと!?」


 ライトには聞き覚えのない名前だが、レオニスの反応を見るあたりかなり貴重なアイテムのようだ。


「そんな貴重なものをもらってもいいのか?」

『うん。だって私、貴方達に最初に会った時酷いことしちゃったのに、貴方達は許してくれたし』

「あんなの、酷いうちにも入らないから気にしなくてもいいのに……」

『それに、皆でのお出かけに私も連れてってくれるんでしょ? それがとっても嬉しいの。だからこれは、その御礼』


 理由を話しながら【水の乙女の雫】を持った両手を、さらにずいっ!と前に差し出す水の女王。

 早く受け取って!と言わんばかりに差し出された、水の女王の両の手。こうまでされては、受け取らない訳にはいくまい。


 先にレオニスが手を差し出し、水の女王の御礼の品を受け取る。

 そして即座にその半数をライトに渡すレオニス。


「ありがとう。その気持ちとともに、ありがたく受け取っておく」

「うん、貴重なものをありがとう!」

『えへへ、そ、そんなに御礼を言われるほどのことでもないわ。これ、さっき泣いた時に零れたやつだし』

「「…………」」


 この雫、先程水の女王がウィカに叱られて泣きべそをかいた時に零れ落ちた雫らしい。

 実に新鮮な、できたてほやほやにして鮮度抜群もいいところの【水の乙女の雫】である。


『これはさっきできたばっかりの雫だけど、籠の下にはもっとたくさんの雫があるのよ?』

「そうなの? さっき籠のところに行った時には分からなかったけど、そんなにたくさんあるんだ?」

『ええ。私だけじゃなくて、前の女王や前の前の女王の雫もあるわ。それよりもっともっと前の女王の分もあるはずよ』

『だってあの籠は、今も昔も水の女王がいるべき場所だもの。私の前の前も、私の後の後も、ずっとそれは変わらないわ』

「「…………」」


 水の女王が事も無げに語る言葉に、ライト達は絶句する。

 あの籠は、いわば水の女王の玉座であり生涯を過ごす揺り籠だ。小さなあの場所で、何代もの水の女王が座り、横たわり、悠久の時を過ごしてきたことだろう。

 水草の草原の下、流木や小岩で出来た土台。その隙間には揺り籠から零れ落ちた数多の雫、歴代の水の女王達が流した涙がひっそりと静かに眠っているのだ。

 その壮大な年月を思うと、ライト達が言葉を失うのも無理はなかった。


「そんな大事なものを、ぼく達にくれるんだね……水の女王様、ありがとう」

「ライトだけでなく、俺にまでもらえるなんて光栄だ。水の女王、心から感謝する。ありがとう」

『いいえ、どういたしまして。……その代わりという訳ではないのだけど、一つお願いがあるの』


 ライトとレオニスが心から礼を言うと、水の女王はにっこりと微笑む。

 そしてその後すぐに、俯き加減になりもじもじしつつ願い事があるのだという。


「お願いって、何? ぼく達にできることなら何でもするよ」

「ああ、俺達で力になれることがあったら何でも言ってくれ」


 ライト達の快諾に、水の女王はまだ少しもじもじしながら切り出した。


『……あのね? イーちゃんやウィカちーのように、私とも友達になってくれる?』


 水の女王の何とも可愛らしい願い事に、ライト達は間髪入れずに即答する。


「もちろんだよ!」

「ああ、俺達はもうとっくに友達だろ?」

『……!!』


 破顔しながら答えるライトとレオニス。

 水の女王は再びパァッ!と明るい顔になり、ライト達の顔を見た。

 その笑顔はまさに花もほころぶような眩さだ。


『ありがとう!いつでも遊びに来てね!』

「うん!また美味しいものをたくさん持ってくるね!」

『本当に!? 絶対に忘れないでね、約束よ?』

「ああ。次にここに来る時には今日のクッキーと同じくらい、いや、それ以上に美味しいものをたくさん持ってくるからな」

『楽しみに待ってるわ!』


 ライト達の言葉に、水の女王が歓喜のあまりライトに抱きつく。

 ずっと水底で静かに暮らしていた孤独な女王の眦には、新たな乙女の雫が浮かんでいた。





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 拙作に出てくる、炎の女王や水の女王など属性の女王についてプチ補足。

 彼女達は精霊で、世界に常に一体のみ存在します。そして永遠の命を持つ存在ではなく、寿命や代替わりがあります。

 何らかの理由で女王が消滅すると、精霊の中から一体が選ばれて女王に変化します。女王に選ばれる基準は不明。

 女王達の寿命は不明ですが、まぁ間違いなく超長寿系です。百年なんてまだまだ新参、中には千年以上生きた女王もいるかもしれません。

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