第298話 禍精霊【火】

「炎の洞窟の調査、か?何か異変の兆候でもあったのか?」


 アレクシスからの思わぬ話に、レオニスが驚きつつ問い返す。

 晩餐前の邸内見学で炎の女王の肖像画の前で話した通り、プロステスにおいて炎の洞窟に関する依頼が出されることはまずほとんどない。不可侵領域とまではいかないが、プロステス側の心情的には聖域に近い扱いをしているのが現状だ。

 そうした関係性を知っているレオニスからすれば、アレクシスの口から炎の洞窟の調査依頼が飛び出すとは思ってもいなかったことだった。


「兆候……そうだな、異変と呼べるほどの兆候は十年ほど前から出ていてな」

「プロステスは近郊にある炎の洞窟のおかげで、冬でも温暖な気候で過ごしやすいことで昔から有名だが。近年プロステスの気温上昇が社会問題化しているんだ」


 アレクシスがため息をつきながら話していく。


「今日も日中かなり暖かかっただろう?他の地域なら、これが冬の気候とはとても思えんはずだ」

「私達が子供の頃は、ここまでじゃなかったんだ。他の地域に比べたら冬でもそこそこ気温が高めで過ごしやすく、その分夏はかなり暑い。その程度の気温差だった」

「だが、近年のプロステスは違う。冬なのに春かと見紛うほどに庭園には花が咲き乱れ、外は半袖どころか袖なし服でも出歩ける陽気だ」

「これはもはや十分に異常事態だと言っていい」


 確かにプロステスの街ではどこも半袖で歩いてる人が大勢いたな、とレオニスは日中に見たプロステスの街並みを思い浮かべる。

 プロステスという街はもともと避寒地で知られているから、まぁこんなものなのか、とレオニスは思っていたのだが。現地人に言わせても立派な異常事態だったようだ。


「それだけならまだいい、問題は夏だ」

「ここ数年、夏の気温はどんどん酷くなっていてな。気温上昇だの猛暑酷暑などという言葉では生ぬるいほどに、猛烈で過酷な暑さだ」

「酷い日など、日中のノーヴェ砂漠の方がまだマシと思えるくらいの暑さになる。そこまでなると、もう日中は気軽に外に出ることすら適わなくなる」

「…………」


 アレクシスの話にレオニスは言葉を失う。

 ノーヴェ砂漠といえば、サイサクス大陸に住む者なら誰もが知る広大な砂漠である。

 年間を通して日中の暑さは壮絶で、無防備な人間は近寄ることすらできない。そして夜は夜で日中の暑さが嘘のように消え去り肌寒ささえ感じるという。

 その寒暖の差はあまりにも激しく、人間はおろか魔物ですら数種類しか生存に適さない過酷な環境なのだ。


 そのノーヴェ砂漠の方がマシとすら思える、真夏のプロステス。その暑さがどれほどのものなのか、レオニスですらもはや想像がつかなかった。


「そんな地獄の業火の如き暑い夏が、もう何年も続いていてな。ツェリザーク製の冷晶石の消費が年々激しくなり、三年前からは夏の半ばでもう底をつくようになり……今年の夏は、熱中症での死者がとうとう三桁を超えてしまった」

「このままでは、プロステスは人の住める街ではなくなってしまう。……いや、既にもうそうなりかけていると言っていい」


 アレクシスは苦悩の表情を浮かべながら、歯を食いしばる。


「それはかなり深刻だな……だが、これまでにも何らかの対策なり調査はしてきたんだろう?どんな策を取ってきたのか、参考までに聞かせてくれ」

「もちろん。我等とてただ指を咥えて眺めていた訳ではない。炎の洞窟へ調査隊を派遣したり、茹だるような熱気を少しでも吸い取るために熱晶石の生成装置を増設したりもした」

「そのどれもが期待したほどの効果を成さなかった、ということか?」

「ああ、そういうことだ……」


 レオニスの問いに、アレクシスは肩を落としながら力なく答える。


「調査隊は冒険ギルドを通して依頼を出したのだが、冬以外の季節ではあまりの暑さに洞窟の入口付近までしか入れない有り様でな」

「今頃のような冬真っ盛りの時期なら、まだもう少し先に潜れるようだが。それでも最奥どころか中間地点にすら到達できなかったようだ」

「そして熱晶石の方も、生成装置の増産にも限度がある。我等がどれほど懸命に熱を吸い取り必死に晶石に換えようと、その努力を嘲笑うかのように大きく上回る熱気がプロステスを覆い尽くしてしまう」

「それに、熱を吸い取るのは所詮対処療法的手段であって、決して根本的な問題解決に至ることはできん」


 数々の対策を打ったという話に、レオニスも真剣に聞き入る。

 アレクシスがプロステスを治める領主として、これまでどれほど苦心し尽力してきたかがよく分かるというものだ。


「まさに『焼け石に水』といった状況なのだが、それでも幾度にも渡る調査隊の派遣によって分かったこともある」

「何か手がかりが掴めているのか?」

「ああ。この酷暑以上に酷い暑さを生み出している原因は『禍精霊【火】』である可能性が高い」

「禍精霊、か……」


『禍精霊』―――それは文字通り、禍を呼ぶ精霊のことを指す。

 精霊であることは間違いないのだが、通常の精霊と違い狂乱状態にあるのだ。人間で言えば狂戦士、いわゆるバーサーカーである。

 外見的には通常の精霊と似通っているが、禍精霊は目が異様にギラつき口元も三日月状の笑みを浮かべている。

 その顔からは通常の精霊の愛らしさはすっかり消え失せ、狂気に満ちた禍々しい笑顔となる故に通常の精霊と判別しやすい。


「火の禍精霊が過剰に増えていて、それが異常な暑さを生み出している、ということなのか?」

「ああ、炎の洞窟の一番奥まで潜れた調査隊によると、禍精霊【火】に遭遇する回数が異常に多かったらしい。やっとの思いで禍精霊【火】を倒しても、数歩歩けばまたすぐに新たな禍精霊【火】が出てきて襲いかかられたそうだ」

「そんなにか……禍精霊なんて滅多に遭遇するもんじゃないはずだが」


 レオニスが思案顔で呟く。

 レオニスの言う通り、バーサーカー状態に陥った精霊と遭遇するなど滅多にあることではない。冒険者歴15年のレオニスでも禍精霊を目にしたのは両手分あるかないか、といったところだ。


「そう、だが現実として炎の洞窟の奥に行けば行くほど禍精霊の襲撃頻度が上がったそうでな。それが原因で中間地点にすら行けなかったのだ」

「そんなに禍精霊がたくさん出てくるなら、そりゃ進むのも厳しいだろうな……」

「中間地点どころではない、入口を入ってすぐのところでもう禍精霊に出くわしたという報告も何件かあった」

「何!?洞窟の入口すぐでそんなもんが出てくるのか!?」


 予想以上に深刻な内容に、思わずレオニスも声を上げてしまう。

 禍精霊はバーサーカー状態なので、通常の精霊よりもかなり強い。その強さはレオニスの体感で言えば5倍とか10倍、とにかく通常の精霊とは比べ物にならないほど強いのだ。

 そして、そうした強い魔物はダンジョンの奥にいるというのが定石なのだが、入口付近に禍精霊が出るなどもはや異常事態以外の何物でもない。冒険者の常識が完全に覆される事態が起きているのだ。


「プロステスの街を守るため、これまであらゆる手を尽くしてきた。だが、不甲斐ないことに未だに有効な手段が見い出せないでいる」

「近年は街を離れる者も多くなってきた……夏にだけ避暑地に移動するのではなく、故郷を捨てて他の街に出てしまうのだ」

「炎の洞窟と禍精霊の問題を何とかせねば―――いずれそう遠くないうちに、プロステスは人の住めない死の街になるだろう」


 眉を顰め、強い苦悶の表情を浮かべるアレクシス。レオニス同様にずっとアレクシスの話を聞き入っていたクラウスも、故郷の危機に沈痛な面持ちだ。


「レオニス君に頼みたいのは、まずは炎の洞窟の調査だ。禍精霊が急増した原因や、禍精霊以外にも何か原因のようなものはあるかの調査、そして―――可能ならば炎の女王にお会いして、解決策などを聞いてきてほしい」

「我等ではもうどうしようもないのだ……どうか、どうかこのプロステスの危機を救ってはくれまいか」

「この通り、頼む……いや、お頼み申す」


 人目も憚らず、深く頭を下げるアレクシス。身内だけの晩餐の場とはいえ、大勢の人がいる前でプロステス領主にしてウォーベック侯爵家当主たるアレクシスが頭を下げるなど、異例中の異例だ。

 だが、アレクシスにはもはや形振りを構っている余裕はない。今は己の目の前にいる、大陸一の実力を持つ金剛級冒険者にただただ縋る他なかった。


 一方で、レオニスは無言で何かを考えていた。

 しばしの沈黙の後、レオニスは徐に口を開いた。


「……その依頼に期限はあるか?今すぐ着手せねばならんほど喫緊の問題か?」

「いや、今日明日にもすぐに引き受けてくれとは言わん、君にもいろいろと都合なり先約などもあろうからな。ただ、来年の夏が来る前には何とか解決したいと考えている。調査するにしても冬の今が最もやりやすい時期ではあるが、春先頃までならまだ十分楽なうちに入るだろう」

「そうか。ならば調査には来年の春までには行う、ということでいいか?炎の洞窟がそんな過酷な状況になっているのなら、俺の方もそれなりに準備を整えてから向かいたいしな」

「では……引き受けてくれるのか!?」


 レオニスの答えに、アレクシスとクラウスはその目を大きく見開き明るい表情になっていく。


「ああ。そこまで差し迫った危機なら、俺も冒険者の端くれとして見過ごす訳にはいかん。本格的に奥に潜る前に、慣らしも兼ねて何度か禍精霊狩りもしよう。そうすれば、しばらくは異常な気温上昇も少しは抑えられるだろうしな」

「ありがたい……レオニス君、本当にありがとう……!」


 アレクシスがレオニスの手を両手で掴み、祈るように頭下げながら礼を言う。

 一条の光を得たアレクシスの眦に、うっすらと涙が滲む。


 何年もの間、様々な手を尽くすも大した成果は得られず八方塞がりの状況が続き、長いこと絶望しか味わっていなかったであろうアレクシス。

 そんな彼の、暗闇に覆われた未来しか見えなかった目にようやく映った灯火。それはレオニスの協力という、大きな希望の光を得た瞬間だった。





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 数多の人で賑わう商業都市プロステス。その裏で死活問題に直面していたとはレオニスも驚きです。


 ちなみに作者も毎年熱気に襲われる某盆地住まいなのですが。暑いのって本当にどうにもなりませんよねぇ……いや、冬の寒いのも嫌ですけども。

 でも、冬の寒さは服なり半纏なり山盛り着込んで布団に潜れば何とか凌げるけど、暑いのはマッパになって団扇で仰ぐくらいしかできないじゃないですか!つか、あんまり空気が熱いともう扇風機ですらどうにもならん!頼るはもはやエアコン冷房のみ!という、完全に電気に頼りきりの現代文明よ……

 もし電気がなくなったら、作者は真夏に盆地気候特有の灼熱地獄にて昇天することでしょう(;ω;)

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