第212話 神の恩寵

「エリクシルが何個要るか、か……?」


 ライトからの唐突な問いかけに、戸惑いながらもしばし考えるニル。

 顎髭に手を当ててさわさわと擦りながら、伏し目がちにその口を開く。


「うぅむ……屍鬼化の呪いにエリクシルが効くというのは、オーガ族に昔から伝わる言い伝えではあるのだが……実際のところ、儂もエリクシルの実物をこの目で直接見たことはないのだ」

「そうなんですか?今までオーガ族が屍鬼化の呪いに実際にかかったことは、一度もないんですか?」

「うむ……儂の祖父母世代では実際に起きたことがあるそうなんじゃが……如何せん儂が生まれる前の出来事なだけに、儂も話でしか聞いたことがないのだ」


 オーガ族の長老であるニルの年齢がいつくかは知らないが、少なくとも数百年は生きているだろう。そのニルが生まれる前の祖父母世代のことだというなら、千年近くは遡る話かもしれない。


「だが……エリクシルがどのようなものであるかは、寝物語として祖父母によく語ってもらっていたものだ」

「その神薬は七色の虹の如き神々しい煌めきを放ち、天にも昇る美味なる味と馥郁ふくいくたる香りを持ち合わせているという」

「『神の恩寵』とも称賛されるそれをほんのひと雫、一度ひとたび口に含めばたちまちのうちにありとあらゆる病魔や怪異を撃ち祓い」

「闇に沈みし盲いた瞳は光を取り戻し、折れた翼に捥げた四肢すらも新たに生え変わる―――と言われておる」

「その場面を、我が祖父母は実際に目の当たりにしたことがあったらしい。よく祖父母が言っておったよ、『エリクシルこそ神々の創り給いし最後の救いである』とな」


 幼き日のことを思い出しているのか、柔らかな瞳とともに祖父母の話を聞かせるニル。

 それに対し、質問した側のライトは何やら考え込んでいる。


「……そうか、1個単位じゃなくてひと雫で足りるのか……」

「そしたらあのちっこい一瓶でも十分にイケるよな……?」


 ブツブツと小さな独り言を呟いたかと思うと、意を決したようにキッ、と顔を上げてレオニスとニルに向かい合う。


「レオ兄ちゃん、ニルさん。二人に見てもらいたいものがあります」


 ライトはそういうと、背中のアイテムリュックを下ろして中から一つの小さな丸型の瓶を取り出した。その大きさは、前世でいうところのピンポン玉程度くらいか。

 その小瓶を見た瞬間、ニルの目が極限まで開かれる。

 どうやらニルはその小瓶の正体に気づいたようだ。


 一方のレオニスは、その小瓶がすぐには何だか分かっていなかった。だが、この局面で出してくるからには瑣末なものではないことは容易に推察できる。

 そして今、この時、わざわざ俺達の目の前に出してくるということは……もしかして……

 期待と不安が入り交じる空気の中、レオニスがおそるおそるライトに問うた。


「ライト……これは、一体……何の小瓶、だ……?」

「うん。今レオ兄ちゃん達が話していた、エリクシル

「「!!!!!」」


 レオニスとニルは驚愕のあまり、全身が固まったまましばし動くことができなかった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ライトがレオニスとニルの前に差し出した、ピンポン玉大の丸型の小瓶。

 その正体は、ライトが宣言した通りの嘘偽りない本物のエリクシルである。


 こんなとんでもなく貴重な代物を、ライトは一体どこで入手したのか?

 それは、今この時より遡ること約一ヶ月前。ライトが学園行事の神殿訪問で倒れた時のことだ。

 あの時丸二日以上も昏睡し、カタポレンの森の家も数日空けてしまったことがあった。

 その時に、オートモードとは露知らずずっとお使いに出ていたフォルのお持ち帰り品の山。

 その中にエリクシルがあったのだ。


 その品がエリクシルであることは間違いない。

 何故ならば、マイページのアイテム欄に収納中のアイテム名称にも『エリクシル』と表記されるからだ。

 使い魔であるフォルのお持ち帰り品は、全てマイページのアイテム欄に収納可能なのである。


 見た目も前世での記憶通り、香水瓶のような可愛らしい丸型の小瓶。中の薬剤らしき液体も、どの角度から見てもキラキラと輝く美しい虹色を放っている。

 そして、アイテム欄に収納されているエリクシルの部分をタップすると


【あらゆる状態異常を消し去ることができる神薬。別名『神の恩寵』】

【HP、MP、SP全回復】


 というアイテム詳細も出てくる。

 これら全ての事実が、ライトの知るサイサクス世界のエリクシルの特徴と一致していた。


「うッわ、これエリクシルじゃん!うっひょーぃ!」

「フォルの激レアお持ち帰り率アップ、早速発揮されてる!さっすが幻獣カーバンクル!」

「こんな超激レアアイテム、今の俺じゃもったいなさすぎて絶対に使えねーわ!」

「でもいつか使う日のためにとっておこう。ありがとう、フォル!使い魔システム最高ーーー!」


 お持ち帰り品の山の中からエリクシルを発見した時のライト、まさしく狂喜乱舞であった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 エリクシルをゲットした時の経緯を思い出していたライト。

 割と十数秒くらい経過してしまったと思うのだが。ライトが回想終了してはたと気がつき意識が戻ってきても、レオニスとニルの二人は未だ固まったまま動かない。

 目は大きく見開かれ口はぽかーんと緩く開いたまま、まるで彼ら二人の時間だけが停止したかの如く止まったままだ。

 これぞ、THE・呆然!を全身全霊で体現している二人に、ライトがおそるおそる声をかける。


「……えーっと、レオ兄ちゃん?ニルさん?」

「起きてる?おーい、二人とも、起きてーーー」


 二人の顔の前で手のひらをひらひらと振るライト。

 同じ人族のレオニスはともかく、オーガ族の中でも屈指のでかさを誇るニルが相手となるとライトの手のひらなんて豆粒みたいなものだ。

 だが、幸いにしてニルは今エリクシルの小瓶のド真ん前、その距離数十cmのところでこれでもか!!というくらいにエリクシルを凝視していた。

 そのおかげか、ライトの手のひらフリフリでレオニスもニルも我に返った。


「「……ハッ!」」


 レオニスとニル、二人して頭をブンブンと左右に振り意識を覚醒させようとする。

 その見事なまでのシンクロぶり、ペアを組んで何かの水泳もしくは体操系競技に出られそうだ。


「す、すまん。俺、何だかさっきまで目の前にちっこい天使がたくさんいて乱舞してたわ……」

「う、うむ。儂も今しがたまで目の前で小さな天女が華麗な舞いを披露しておったわ……」


 人はあまりにも驚愕し過ぎると、何かしらの白昼夢や幻覚でも見るのだろうか?

 それらの衝撃タイムを経て、ようやく思考回路が正常になってきて冷静さを取り戻してきたレオニス。

 今度は真剣な眼差しで、ライトに問うた。


「ライト、これがエリクシルだというのは本当か?」

「うん。まだ一度も使ったことはないから味や匂いは分からないけど、見た目はさっきニルさんが話していたエリクシルの特徴とそっくりだよね。ね、ニルさん?」

「……あ、ああ。このどこから見ても輝く七色の虹の如き煌めき、そしてこの小瓶から漂う高貴にして鮮烈なる神気……儂が幼少の頃より聞かされてきた『神の恩寵』エリクシルそのものだ」


 回答をライトからパスされたニル、戸惑いながらもそこは冷静に答えていく。

 ライトやレオニスにはいまいち分かっていないが、ニルにはエリクシルが放つ神気が強烈なまでに感じられるようだ。

 その答えを聞きながら、レオニスの顔はますます怪訝になっていく。


「じゃあ、これがライトやニル爺さんの言うとおりエリクシルだとして、だ」

「ライト。お前、こんなとんでもない代物を一体どこで手に入れた?」


 レオニスが強い猜疑に囚われるのも無理はない。

 エリクシルというアイテムの価値を考えれば当然のことだ。

 お伽噺の中でしか語られることのなかった、別名『神の恩寵』とも呼ばれる伝説の神薬。入手方法や生成方法はもちろんのこと、その存在すら本当にあるのかどうかも分からない。完全に謎に包まれた存在。

 そんな幻の品が、いきなり目の前にポイッと出てきてもそう簡単に信じることなどできようはずもないのだ。


 無論ライトもそのことは十分承知している。

 むしろライトの言うことならと鵜呑みにせずに、たとえ相手が心から信頼するライトであっても事の重大さを優先してまずは疑うレオニスのその慎重さ、冷静さにライトは内心で感心するばかりだ。


「これはね、フォルがどこかから拾ってきたものなの」

「フォルが、か?」

「うん。こないだぼくが神殿で倒れちゃったこと、あったでしょ?あの時ぼく達、しばらくカタポレンの家に帰ってこれなかったよね?」

「あ、ああ……」

「でさ、ようやくカタポレンの家に帰ってきた時のこと、覚えてる?」

「…………フォルをずっと放ったらかしにしてて、その間フォルが外で拾って持ち帰ってきたアイテムの山ができてた、な」

「うん、その持ち帰りの山の中にこれがあったんだ」


 ライトが順を追って説明していく。

 その筋の通ったライトからの説明に、レオニスも都度肯定していく。


「最初のうちはね、これが何のアイテムかは分からなかったけど」

「見た目からして何かすごいアイテムっぽいでしょ?小瓶に液体が入っててポーションやハイポみたいな回復剤っぽくて、でもこんな虹色に輝く綺麗なポーションなんて見たことないし」

「効果はよく分かんないけど、これは絶対に何かすごい回復剤に違いない!と思って、ずっととっておいたの」

「そしたら今日、さっきのニルさんのエリクシルの話を聞いて」

「もしかしたら、フォルが前に持ち帰ってきたこのアイテムがそうなんじゃないか?って思ったんだ」


 ライトが堂々と説明できるのはここまでだ。

 最初からエリクシルであることを知ってました!などとは口が裂けても言えない。うっかり口を滑らそうものなら、要らぬ追求を招いてアイテム欄やゲームシステムのことまで話さなきゃならなくなる。

 だからこそ、一番最初にエリクシルを出した時もエリクシルだとは断言せずに『だと思うよ』に留めて濁したのだ。


 だが、ライトの説明はこれ以上ない完璧なストーリーである。

 フォルが持ち帰ってきた品というのは本当のことだし、これなら『フォルはどこで拾ってきたのか?』などという追求もしようがない。

 もっとも、フォルがこれら超激レアアイテムを一体どこで拾ってくるのかは主であるライトも大いに知りたいところではあるのだが。


「そうか……そういうことなら……まぁ理解できんでもない、な」

「さすがカーバンクルだけのことはある……『幸運をもたらす瑞獣』の呼び名は伊達じゃないってことか」


 レオニスはとりあえず納得したようだが、それでも複雑そうな顔で呟く。

 レオニスがスッキリした顔になれないのも無理はない、エリクシルに関しては謎が多くて分からないことだらけなのだから。


「……よし、じゃあまずこのエリクシルかもしれないもの?をラキに飲ませてみよう」

「もともと既に屍鬼化の呪いにかかってんだ、万が一これがエリクシルじゃなくて別の薬だったとしてももう今更だ」

「どの道今の俺達じゃラキを救う手立ては用意できん。できることと言えば、ライトが出してくれたこのアイテムに全てを託すだけだ」

「ニル爺さんも、それでいいか?」


 レオニスは意を決したようで、ニルに向かって同意を求めた。

 ニルも迷うことなく即時首肯する。レオニスの言うように、ニルにもまた他に打てる手立てなど何一つ持ち合わせていないのだから。


 やることは決まった。

 ライトが出してきた『エリクシルかもしれない』謎の薬剤。

 ラキの命と世界の命運を賭けた世紀の大博打が、今まさに始まろうとしていた。





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 ゲームのアイテム使用って、基本的に個単位での消費ですよね。

 クラフト系ゲームならもっと細かい指定あったり設定できそうだけど、少なくともRPGとかシミュレーション系なんかはほぼ確実に個単位がほとんどかと。


 ですが。現実として考えた時に、毎回個単位で消費しなきゃならんとか、それって正直どうなのよ?と作者は思う訳です。

 例えばほら、料理の調味料のように『大さじ1』『1カップ』『1/2本』とかね?そんな使い方があってもいいとは思いません?


 そういう細かい調整があってもいいじゃない!特にレアアイテムとか小分けで使わせてくれてもいいのよ!?

 そもそもポーションとか毎回毎度全部飲み干せる訳ねぇでしょ!それとも何か、使い切れん分は廃棄処分てか?お残しは問答無用で即廃棄せなならんの?

 そんなもったいないことできるかッ(ノ`д)ノ===┻━┻


 ……てな訳で、ここは究極の節約術『1滴単位での使用』を可能にしたのでした。

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