第213話 神の雫と人の雫
布団の上で静かに横たわるラキ。
その顔には若干苦悶の表情が浮かぶ。気を失いながらも無意識下で屍鬼化の呪いに抵抗しているのだろうか。
寝かされているラキの頭部の向かって左側にレオニス、右側にニルがそれぞれついて座る。ライトはレオニスの右側後ろにつき、その行く末を見届けるためにじっと静かに見守る。
レオニスがエリクシルの小瓶を手に取り、慎重に蓋を開ける。
小瓶の蓋を開けた途端、桃や薔薇を思わせるような得も言われぬ甘く芳しい香りが辺り一面に広がる。
ニルがラキの顎を引いて口を開き、開かれた口にレオニスがゆっくりとエリクシルの小瓶を傾けていく。
傾けられたエリクシルの小瓶から、とろりとした虹色の液体が流れる。神々しいまでの神気を放つ虹色の雫が、一滴、二滴。ラキの口内に垂らされる。
ニルの話ではエリクシルはひと雫でもその効果を十全に発揮するらしいが、ラキの躯体の大きさを鑑みて念の為に二滴垂らしたのだ。
その後すぐにニルがラキの頭を首の後ろから支えながら、ゆっくりと抱き起こす。エリクシルの雫を喉の奥に流し込み、体内に取り込ませるためだ。
エリクシルが飲み込まれたかどうか分からないが、三人とも固唾を呑んでラキの様子をしばし見守り続ける。
ラキの身体を起こしてから数秒ほど経過しただろうか。ラキの身体から淡い光がふわりと湧き起こり、温かな空気に包まれる。
ラキの肌から青黒さがどんどん薄れていき、闇色に染まった髪の根元ももとの生成色に戻っていく。
温かな淡い光が消える頃には、ラキの身体は完全に元通りのオーガ族の姿になっていた。
「おおお……まさに神の御技、神の恩寵……」
「……ラキ……助かった、のか……?」
『神の恩寵』エリクシルがもたらす奇跡の御技。
その神々しいまでの光景をたった今、その目で目の当たりにしたニルは感動に打ち震えるが、レオニスは未だに実感が伴わないらしい。
だが、今目の前にいるラキのその姿は屍鬼化の呪いにかかる以前に戻っている。
日焼けしたような小麦色の肌に、肩まである艷やかな生成色の髪。そして先程まであった苦悶の表情も消え失せて、穏やかな顔になっている。
それら全ての事象が、ラキの命が助かったことを物語っていた。
そのことに気づかないほどレオニスは愚鈍ではない。
小刻みに震える手を伸ばし、ラキの頬にそっと手を当てるレオニス。
レオニスの手に触れたラキの肌、そこから感じられるのは微かな温もり。
先程までの青黒い肌から漏れていた、屍鬼特有の底冷えするような冷たさではない。生きて命ある者だけが持ち得る、温かな体温。
ラキの肌から伝わってくる生命の躍動を、自らの手で感じ取ったレオニス。
世界の危機を回避するために、親友をこの手で殺す―――その必要が完全になくなったことを次第に実感していく。
レオニスの天色の瞳から、不意に大粒の涙が湧いてくる。透き通った雫が頬を伝い、ぱたり、ぱたり、と膝に落ちる。
その雫は最悪の事態への覚悟と呪縛から完全に解放された、心からの安堵がもたらしたレオニスの心そのものであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ライト殿。此度は誠に世話になった。ありがとう。助けられたラキに成り代わり、オーガ族一族を代表して心から感謝する」
オーガ族長老のニルが、ライトに心から感謝の意を表す。
身の丈がライトの五倍以上、レオニスと比較しても三倍近くは軽く上回る巨躯のニルが、人族の子供であるライトに向けて身体を深く折り曲げながら頭を垂れる。何とも不思議な光景だ。
「俺からも礼を言わせてくれ。ライト、お前のおかげで親友をこの手に掛けずに済んだ。本当に……本当にありがとう」
ニルに続き、レオニスも心からライトに感謝の言葉を述べ頭を下げる。
二人の真摯な感謝の意を受けて、ライトは慌てたように返す。
「ニルさん、レオ兄ちゃん、頭を上げて!」
「ぼく、自分にできることをしただけだから!」
「そそそそれに、エリクシルを持ってきてくれたのは、ほら、フォルだから!!」
「だから、お礼をするならフォルに、ね!?」
あばばばば、と慌てて二人の頭を上げさせようとするライト。
そんなライトの言葉を受けて、二人は頭を上げて小さく笑う。
「ったく……世界を救った偉大なる勇者だってのに、謙虚過ぎるだろ?」
「全くじゃ。屍鬼化の呪いを未然に防ぐなど、奇跡以外の何物でもないというのにのぅ?」
「でもまぁ、ライトなら当然か。何てったってライトはグランの兄貴とレミ姉の息子だもんな!」
「ほう、角なしの鬼が兄姉と慕う者の子息ならば偉業を成しても当然、という訳か」
レオニスが久しぶりに兄バカ炸裂モードに突入している。
うんうんと頷きながらそれに話を合わせられるニル、なかなかに芸達者である。
「しかも今は俺が育ててるしな!」
「うむ……それは何とも頼もしくも不安よの」
「何ッ!?ニル爺さんよ、何でそこで不安が入る?そこは頼もしいの一択だけでいいだろが」
「ぃゃ、だってなぁ……角なしの鬼がさらにもう一体増えるとか、考えただけで空恐ろしいことぞ?悪夢以外の何物でもないわい」
「……ニル爺ェ……」
ラキの命が救われたことによる安堵からか、レオニスとニルの会話に日常の色が灯る。
こうしていると、軽口を叩ける日常というものが如何に幸せに満ちたものであるかを思い知る。
だが、この中でライトだけは気づいていた。
問題は完全に解決した訳ではない。まだ大元やその元凶が残っていることを。
「……ねぇ、レオ兄ちゃん。どうしてこのラキさんは屍鬼化の呪いにかかったの?」
「オーガの里を襲ったのは、単眼蝙蝠の群れだったんだよね?」
「屍鬼化の呪いを発動させられるような屍鬼が、この近くにまだいるってことじゃないの?」
ライトの言葉に、レオニスはハッとした顔になる。
「そうだ……そういや単眼蝙蝠の群れを殲滅させた後に、単眼蝙蝠とは全く違う一匹の大きな蝙蝠の魔物を捕まえたんだ」
「そいつが今回の襲撃の首謀者のようだったが、奴は自分のことを『マードン様』と称していて……」
「『我こそは!偉ッ大なる屍鬼将ゾルディス様の!一の配下にして右腕ッ!側近中の側近ッ!マードン様であーる!』とか何とか言っていたが……」
レオニスがマードンとの会話で引き出した情報を、ライトとニルに伝える。
特にマードンの発した独特の台詞、これを一言一句違えることなく完璧に再現してみせたレオニス。しかもイントネーションまで完コピとは、なかなかに凄まじい記憶力っぷりである。
そんなレオニスの完コピ再現を聞き、ニルが敏感に反応した。
「何っ、屍鬼将だと!?」
「ニル爺さん、心当たりがあるのか?」
「そのゾルディスという名は知らんが、屍鬼将といえば屍鬼の中でかなり高位の部類じゃ」
「なら、ラキにかけた屍鬼化の呪いの大元はそいつってことになるか?」
「ああ、間違いなかろう。屍鬼将ならば屍鬼化の呪いも使えるはずじゃ」
レオニスとニルの会話により、今回のオーガの里の襲撃者の黒幕が判明した。
黒幕は屍鬼将ゾルディス。配下であるマードンを駆使し『生きた屍鬼』を生み出そうとした張本人。
事態を動かすには、あともうひと押しだ。
「でも、そのゾルディスってのが直接ここに来てる訳ではなさそうだよね?そんな大物がいたら、レオ兄ちゃんが気づかない訳ないし」
「ん?……んー、確かにそうだな」
「じゃあ、どうやってラキさんに屍鬼化の呪いをかけたんだろう?何かそういうアイテムでも持ってきてたのかな?」
「んんんん……分からん」
ライトが発する素朴な疑問に対し、答えを見つけられないレオニス。
実際ライトの呈した疑問はもっともなものだ。もし屍鬼将と呼ばれるほどの大物屍鬼がこの里にいるなら、その禍々しいオーラをレオニスが感知できないはずがないのだ。
「配下のマードンって魔物はどうしたの?捕まえてからどこかに連れてったの?」
「いや、捕まえてふん縛ったところにそのまま置いてきたっきりだ……奴があまりにも勝ち誇った面で『我の作戦は完ッ璧にして既に達成目前ッ!』と言い放ったもんだから、猛烈に嫌な予感がしてな」
「ああ、それで議場にすっ飛んできたんだね」
「そういうことだ」
レオニスが再びマードンの台詞を完コピ再現して二人に聞かせる。
ここでニルが口を開いた。
「ならばそのマードンとやらを再度絞め上げて、方法を吐かせればよかろう」
「そうだな、どの道そいつからまた話を聞かなきゃならんな」
『敵を再度絞め上げて方法を吐かせればよかろう』、何ともオーガの長老ニルらしい素敵素晴らしい脳筋解答である。
「じゃあ今から俺が行ってくるわ。ニル爺さんはここでラキの側にいてやってくれ、いつ目を覚ますか分からんしな」
「承知した」
「ライトはどうする、ここにいてもいいぞ?」
「ううん、ぼくもレオ兄ちゃんといっしょに行く!」
「よし、じゃあついてこい。ニル爺さん、ラキのことを頼むぞ」
「任せておけ。お主も油断するでないぞ」
「ああ、分かってるさ」
レオニスはそう言うと、ライトとともにラキの家からマードンを放置した場所に向かっていった。
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神の恩寵エリクシル。某青い猫のひみつ道具じゃないですが、ひと雫で病気や身体の欠損全てを治せてしまうような万能薬があったらいいのになぁ……とかついつい考えちゃいます。
でもまぁ人類滅亡でもならない限りは、何百年後くらいにはきっとそういった神話レベルの技術も日常生活レベルとなって実現するんでしょうね。
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