第7話 決意(side:レミ)

 ディーノ村に住むレミのもとにグランの訃報が届いたのは、グランが遠征に旅立ってから約2ヶ月を過ぎたあたりの頃だった。

 その時のレミは妊娠7ヶ月、もうそれなりにお腹の大きさも目立ってきていた。


「あら、ギルドのクレアさんじゃない。こんにちは。今日はこの宿に何か御用?」

「ハァ、ハァ、ああ、レミさん、やはりこちらに、いましたか。実は、ですね……急ぎ、お知らせしたい、ことが、ありまして……」

「ちょっと、そんなに急いでどうしたの? ふふっ、いつものクレアさんらしくないわね、大丈夫?」


 日中に、とても慌てた様子でレミの働く宿屋【ハピヌコ】のもとに走り込んできた一人の女性に、レミは台所から一杯の水を汲んできてそっと差し出す。

 ミドルロングの淡いラベンダーの髪に楕円形の薄い眼鏡、フリルリボンがあしらわれたベレー帽を被った彼女の名はクレア。

 彼女は、ディーノ村にある冒険者ギルド支部の受付嬢兼受付責任者兼書紀兼会計兼秘書兼……いわゆる雑務……ではなくて、何でもできるスーパーウルトラファンタスティックパーフェクトレディー!なのだ。

 いつものんびりとしていて、常々人を食ったようなとぼけた態度を取るお茶目なその彼女が、差し出された水をクイッと飲みながら、いつになく沈痛な顔で言い淀む。


「……あのですね、レミさん……落ち着いて、聞いてくださいね?……いや、落ち着いて聞けという方が、何というか、無理というか……うん、多分絶対に、アレなんですが……あああ、何と申してよいのやら……」


 普段からマイペースで間延びした喋り方をするクレアだが、それ以上に歯切れが悪く一向に要領を得ない。

 それでもレミは、辛抱強く会話の続きを待った。


 水を飲み終えてしばらくして、荒かった息を整えたクレアが意を決したように前を向き、レミに慎重に話しかけ始めた。


「……レミさんの旦那さん、グランさんのことです。2ヶ月程前に、南西部奥地の「廃都の魔城」と呼ばれる魔窟に先遣隊として出立しましたよね? その先遣隊が……全滅した、という報せが……先程ギルドに届きました……」


 そのあまりのショッキングな話に、レミは手に持っていたお盆を落としてしまった。

 そこからしばらくレミの記憶が途絶える。

 次にレミが目覚めたのは2日後の昼、ディーノ村唯一の診療所のベッドの上だった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 見慣れぬ診療所のベッドの天井を、心ここにあらずなレミはぼんやりと眺めていた。


 妊娠7ヶ月の身重の身体のレミは、周囲の勧めもありしばらく入院して経過観察しながら、安静にして過ごすことになった。

 早産や死産も懸念されたが、数日様子見してもお腹の子に異常が見られなかったのが幸いだった。


「……グラン……」


 絶対安静でベッドの上から動けない故に、考えるのはグランのことばかり。

 寝ても覚めても思い浮かぶのは、愛しいグランの笑顔やたくさんの思い出。

 孤児院にいた頃の、幼い顔からあどけない少年期、孤児院を出て独り立ちした時の大人になりかけの顔、冒険者になって順調に階級昇格して、より頼もしくなっていった青年期―――


 そして、その走馬灯のように浮かんでは消える様々なグランの顔、その最後はいつも同じ場面。


『…………本当か!? やったぁ!!』


 レミの身の内に新たな命が宿ったことを報告した時の、一瞬息を呑んでからすぐのグランの破顔。

 驚きは瞬時にして喜びに変わり、満ち溢れ―――レミは勢いよくグランに高く抱きかかえられた。


『きゃあッ! ちょ、ちょちょ、ちょっと、グラン!』


 思いっきり高い高いされて、慌てるレミ。

 そんなレミの声も聞こえないのか、レミを高く抱えたまま3回もくるくるとその場で回転し喜びを爆発させるグラン。

 回転し終えたグランは、レミを地面に優しく下ろした直後に抱きしめた。


『嬉しいなぁ、俺達の家族が増えるなんて!』

『レミ、ありがとう!本当にッ、本ッ当にありがとう!!』

『俺、すんげー嬉しい!これからもお前のために……いや、お前と俺達の子のために……いや、これも違うな、俺達家族三人のために、俺もっともっと頑張るよ!!ヒャッホーィ!!』


 いつも元気いっぱいな人が、目尻に次第に涙を溜めながら、あらん限りの力で喜び燥ぎ回る―――その姿がとても愛おしくて。普段なら

「んもぅ、グランったら、危ないじゃない!」

と窘めながら軽く怒るところが、そんな気にすらなれずにグランにつられて笑顔いっぱいになっていくレミ。

 そのレミの瞳にも、喜びの涙が溢れるのにそう時間はかからなかった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「グラン……貴方のいない世界で……これから私、たった一人で……どう生きていけばいいの……」


 グランの笑顔や思い出を思えば思うほど、レミは絶望に囚われた。

 決して何もできない訳ではない。宿屋や食堂の手伝いなど、普通にかつそれなりに働くことはできた。

 ただ、グランのような秀でた特技もないだけなのだ。


 手に職も持たない、本当にどこにでもいる極々普通の女性、レミ。

 それに加えて、ディーノ村は山に囲まれた辺境と言っても差し支えないドのつく田舎だ。女が一人細々と働いて得られる賃金など、それこそ高が知れている。


 また、田舎特有の悪い面もある。

 例えばレミのように、夫に先立たれた未亡人は非常に肩身が狭い。その未亡人の女性が若ければ若いほど、その傾向は顕著に強くなっていく。

 夫を亡くした寡婦を憐れに思い、村の年寄りが独身男性との見合いをこれでもかとしつこく勧めてくるのだ。

 レミはそうした場面を、実際にその目で何度か見てきていた。


 連れ合いを亡くして寂しいだろう、と気遣ってくれるのはありがたいが、再婚する気のない者にとってはいい迷惑でしかない。

 レミもまた、グラン以外の男性と結ばれることなど絶対に考えられなかった。


 そんな未来の諸々を考えると、レミにはもう生きる気力も起きなかった。


「ねぇ、グラン……私ももうそっちにいっていいかなぁ……貴方のいない世界で私だけ生きてたって、しょうがないもの……」


 そんな呟きを、誰に告げるでもなく宙に放った、その時。




 ……ポコン……




 レミのお腹に、衝撃とも呼べないような軽い衝撃が走った。


「………あなたは、生きたい、の………?」


 グランの訃報を聞かされて以来、初めてレミが感じ取ることのできた、生命の鼓動だった。

 死産になったとは診断されていないのだから、お腹の子は確かに生きている筈なのだが、最愛のグランを失ったレミには己の中にある生命の息吹を感じることができなくなっていた。

 そんな心の余裕など、全くなかったのだ。




「もう、貴方のお父さんは……この世にいないのに……?」

 ……ポコ……


「……お父さんに会いたくても……絶対に会えないのよ……?」

 ……ポコン……


「……お母さんしか、あなたには……いないのよ?」

 ……ポコン、ポコン……


「それでも……いいの?……お母さんに……会いたい?」

 ポココンッ!




 レミは泣いた。

 ただただひたすら泣いた。

 後から後から溢れ出す涙を拭うことなく、お腹をさすりながら中にいる我が子に話しかける。


 それまでの、グランを想いただただ悲嘆に暮れ続けた涙ではなく。

 愛するグランと自分、二人の愛の結晶が確かにここにある。 

 忘れかけていたそのことを、改めて思い出したレミ。




「そうよねぇ、私、一人じゃなかった、わねぇ……」

「お母さんも……早くあなたに会いたいわ……」

「今まであなたのこと……気にかけてあげられなかった……」

「ごめんねぇ、こんなんじゃ、お母さん失格よねぇ……」

「これじゃグランに……あなたのお父さんに叱られちゃうわ」

「あなたのお父さんはね、とってもすごい人なのよ?」

「あなたが男の子か女の子か……まだ分からないけど……」

「お父さんの分まで、今からお母さん……頑張るからね……」




 一人残されたレミの、生きる新たな目的ができた瞬間だった。

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