第99話 エピローグ、のようなもの

 結局、貴禰はそのまま一晩、様子見で入院することになり、そんな彼女の着替えを取りに、依里子はいったん屋敷に戻ることになった。屋敷に戻る途中、気持ちが落ち着いてくると同時に、どっと恥ずかしさが押し寄せて来た。無茶苦茶なことを言って泣き喚いて、注目を浴びてしまった。かみすぎた鼻とこすりすぎた目は赤く腫れて、尋常でない感じ。


 まったくみっともないわ、私としたことが―。

 そんなことを考えながら貴禰の部屋に入った依里子は、入り口で目を瞠った。


 窓のそばの揺り椅子に座っているのは、大きな、くまのぬいぐるみ? ジョリーによく似ている気がする。…! いえ、違う、あのスカーフ、あれは私の―。恐る恐る近寄り、震える手でスカーフを外して広げる。そこには、幼い日の自分が書いた7つのひらがながあった。


「ええ? どういうこと?」

 スカーフ、そして左目の傷。6歳の自分がバザーに出した、あのジョリーに間違いない。それを、貴禰が買い取った? このことを、貴禰は知っているのだろうか? ええ? まさか?? 依里子の思考が、ぐるぐるととめどなく回りはじめた。


        ***


 今ごろあの子、見つけているころでしょうね。あのくまのぬいぐるみを。どう思っているかしら―?


『私ももう、72歳ですよ! いつ何があってもおかしくないんです。ちゃんと、その後のことを考えてくださらないと』


 生涯後見人を、お決めください―。


 それは、3年ほど前。人生10冊目の10年日記を用意するかどうかで迷っていたころのこと。矢城野に何度もうるさく言われ、95歳を目前に、ついに生涯後見人について考えはじめたのは。


 まったく、いつ何があってもおかしくないのはこっちのほうだというのに、それには触れずにそう主張する彼に、改めて考えた。そうね、72歳。いつ何があるか云々はさておいて(だって、私にしてみれば俄然若いもの!)、少なくともフルタイムの仕事からは引退してもいい年ごろだわ。正直に言って、私の場合、赤の他人と暮らすことになるであろうあの制度は面倒くさい。だからまったく気乗りがしなくて、返事をずっと先延ばしにしていたのだけれど。でも、彼といいその母親といい、私は随分と2人から、そして彼らの家族から、共に過ごす時間を奪ってきてしまっているし。


「潮時かもしれないわね」

 あのとき、そう思ったのよね。…認めたくはなかったけれど。

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