第80話 へうれーか!
午後の早い時間に勤務を終えて、帰宅する。もうすぐ、お茶の用意ができますよ、ティールームにいらっしゃい、と、貴禰に声を掛けられた依里子は、はい、着替えて来ます、と応えて部屋に急いだ。お茶の前に、あの気になる言葉、ピグマリオン効果について調べたかったから。今日のお茶の時間の話題に、使えるかもしれないしね。できる後見人として、常に相手を楽しませる努力をしている。と、報告書に書くネタにもなるし。
「ええと。『ピグマリオン効果』とは、褒められると実力が伸びる現象のこと?
一方の学生群は褒めず、別の学生群は褒めて教えると、後者のほうが成績がアップした、という実験に由来する。…なるほど」
たかなしさんは、自分を古代の王様になぞらえていたんじゃなかった。アイさんが、褒めて伸ばす効果を利用して学習を助けてくれているという話をしていたのね。そしてきっとこれが、貴禰さんの言っていた2つのピグマリオンということね。
『それに、合格までに学習しなくちゃいけない全内容のうち、自分がどのあたりまで勉強を進めたか、常に進捗がわかるようにしてくれる。だから、余計にやる気が出るんです。自分が状況をコントロールしているという実感があるし、ただ闇雲に勉強しなくちゃって、不安に駆られたりしなくて済むし』
「それだ!」
たかなしの話を思い出していくうちに不意にあることに思い当たり、思わず大声が出た。そうだ、そうよ、それだわ! ばっと立ち上がり、階下へと猛ダッシュした。
***
「貴禰さん!!」
「わあ! びっくりした!!」
階下まで猛ダッシュした勢いそのままにティールームに飛び込んで叫ぶ依里子に、珍しく動揺した貴禰の声が重なった。カップがガチャリと音を立てる。
「なんなのもう、大声で! びっくりするじゃないのよ!」
頭がどうかしちゃったの? そんな憎まれ口を叩かれたが、近ごろは猫の皮もどこへやらな依里子は(貴禰さんだって『頭がどうかしたの』なんて、猫の皮置き去りなこと言っているし、お互い様よね)、それを完全スルーした。
「いやそれどころじゃないです、私、わかっちゃったんです! 足りなかったのは、ピグマリオンと全体進捗把握です!!」
「それどころじゃないとはなんですか! …まあ落ち着きなさいな、ピグマリオンがどうしたの? 調べてみたのね?」
知ったかぶっていたこと、ばれていたんだ―。
と、後になって依里子はそう気づいたが、この時は興奮がピークに達していて全然気づかずにいた。ぶんぶんと首を縦に振りながら、向かいの席に腰を下ろす。
「ピグマリオン効果を、有効活用すべきと思います。それと、進捗の共有!」
「褒めて伸ばす、ね。あなたへのレクチャーでは、十分使っているつもりだけど?」
「ええ? 全然足りてないし伝わってません! ダメ出しばかり、頭に残ってます」
「あらそう? おかしいわねえ。うまくできたら褒めてきたはずなんだけど…」
心底意外そうに言いながら首をひねる貴禰に、少しばかりの軽口の心地よさを感じつつ、依里子はさらに畳みかけた。
「本人が言うんですから、間違いないですよね?」
変ねえ、と、さらにぶつぶつ不満げな声で言う貴禰には構わず、依里子は身を乗り出して、重大情報を告げるように、声を潜めて言った。
「情報共有、です」
「情報共有?」
「はい、貴禰さんのプランを、共有してください」
「どういうこと?」
不満はすでにきれいさっぱり忘れたらしい貴禰が(この切り替えの早さは、密かに尊敬している)、興味深げに聞き返す。依里子は頷き、自身の思いを語り出した。
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