第78話
当初こそ、自分の希望が一部しか反映されていない、不公平では? といった意見が出ることもあったものの、アイの立てたプランは概ねうまく機能した。不満の声も、徹底した情報開示と考え方の共有で、やがて納得へと変わって行った。
即座に変更するのは難しいですが、最短のタイミングで反映するようにしますので―。そう前置いて告げられたアイさんの言葉に、全員が頷いた。そして、新しいやり方のもと、全員が、少しずつ、変わって行った。
「特に変わったのが、たかなしさんという人ですね。最近では、働く時間帯があまり重ならないんですけれど、たまに会うとびっくりします」
「あらそう。どんな風に変わったの?」
貴禰とのお茶の時間に依里子が顛末を話すと、身を乗り出してそう聞いてきた。
こんなにも熱心に、自分の何気ない話を聞いてくれる人は、これまでいなかった、そう思うと、依里子はとても不思議な気がした。
そう、こんな風に、最近、2人でいろいろな話をする。お茶を飲みしながら、料理しながら、そして、習い事をしながら。そして、いつでも、どんな内容でも、熱心に聞いてくれる。ポーズだけじゃなく、本当に聞いてくれているという気がする。
そうした中で、お互い、だんだん遠慮の無いもの言いになっていると、感じることも増えた。つまりは、2人とも猫を被るのを忘れつつあるということだ。
依里子は思う。今や私は、貴禰さんもまた猫かぶりだと知っているし、貴禰さんも私の分厚い猫の皮を見抜いている、はず。それでもなおこうして一緒に居続けられるのは、素のままの私のことも受け入れてくれているからか、と思うこともある。
後見人と被後見人というのは、考えてみれば随分と不思議な関係だわ。赤の他人なのに、距離感はほぼ家族のそれ。他人同士でもこんなにも近い距離で暮らせば、疑似家族のような関係性が生まれる、ということかしら。長年被り続けてきた猫の皮をも、忘れるほど。…もしかして、それって、もう家族以上ってことじゃない?
それはなんだかむず痒い気分になる想像で、同時に奥底にある何かが警鐘を鳴らす考えでもある。
『都合のいい思い込みだ。やめておけ。信じれば裏切られたときに傷つくだけだ』
と。わかってる、もちろん、わかってる。だけど、だけど、ね…。
***
ぼぉっとそんなことを考えていると、より子さん? どうかしたの? と言われ、依里子は我に返って慌てて言葉を続けた。
「あ、はい。そうですね、以前は、ただ淡々と仕事をこなすという印象でした。それも、だりぃとか、めんどいとか言いながら。それが、資格を取るという目標ができたせいか、雰囲気が変わりました。アイさんが勉強を教えていて、すごく努力家ですねって。だりぃとか一切無し、生き生きしています。こんなことってあるんですね」
その言葉に、貴禰の目が一層好奇に輝く。
「あらあ、そう。それって、恋かしらね」
「ええ? アンドロイド相手に?」
さすがにそれはないんじゃないでしょうか、と驚きながら言った依里子に、貴禰は、そうかしら? と言った。
「人間、心の無いはずの物に深く愛着を寄せることってあるでしょう? 特に小さい子なんかには、お人形やぬいぐるみは、単なる物以上の物だったりしないかしら?」
「…ああ、それは、確かに」
施設に入るときに手放した、クマのジョリーの姿が浮かぶ。あのときまで、“彼”は確かに、私の一番の理解者であり大事な友人だった。
「…アイさんは、やる気を引き出すのが上手で、それが影響しているのではないかと思います。たかなしさん、おっしゃってました。勉強を親身に教えてくれるだけじゃなく、進捗をわかるようにしてくれるから超やる気が出る、って。
それに、アイさんは、とにかく褒め上手なんですよ。たかなしさんだけじゃなく、私もアイさんに褒められて嬉しくてがんばっちゃったりしますし」
所長なんてよく乗せられている対象の最たるものですね、そう言って笑うと、一緒にひとしきり笑ってから、貴禰が言った。
「ピグマリオン、ね。2つの意味で」
「え? 何ですか、それ? ピグモン?」
「ピグマリオン! 知らない?」
「あ、ああ、ピグマリオンね、失礼しました。知っています」
「…あらそう」
何となく知らないとは言いづらくて、咄嗟に誤魔化してしまった。まあ、後で検索すればいいだけの話よね。
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