第49話

 こうして、次はこうして、それから―。


 着物を見せられてから半月ほどが経過。季節は移り、これから暑くなりますからね、と新たに渡された単衣の着物を相手に、依里子は日々格闘していた。裏地が無いだけ軽いそれは、爽やかな薄緑。前のピンクの着物よりは扱いやすいけれど、それでも着るのはいまだに一苦労だ。

 あれから、介護施設での休日・半日休各6回、その大部分を着付けとお茶の練習に費やしている。簡単着付けを謳う動画を検索しては、自分にとってわかりやすかったものを繰り返し見てがんばっているけれど、なかなかぴしっと決まらない。お茶も、何度練習しても袱紗の扱いは覚束ない。

「あああ、もう!」

 丁寧にさばいたはずの袱紗はどこか不格好で、依里子はいらいらをぶつけるようにそれを握りしめた。どうして、うまく行かないの?


 着物も然り、着てから30分もするとどうにも落ち着かない気持ちになってくる。ちゃんと着れているかしら? 帯は緩んでいない?

「だいじょうぶだいじょうぶ、ちゃんと着れているわ。だいぶ上達したわね。所作も様になってきているわ。よく似合っているし」

 生まれながらにいいとこのお嬢様みたいですよ、貴禰さんはにこにこしながらそう言ったけれど、とてもじゃないけれど素直に信じられないわ。依里子は思った。

 そう、あれはきっと私がお稽古を投げ出さないようにするためのリップサービス、そう考えるのが順当だ。だって、お稽古が食材の受け取り時間まで長引いてしまったとき、しかたなく着物のままでキッチンに行ったら、あの配達のあいつ、失礼千万な天敵が、なんだかすっごく微妙な顔してたもの。

「あ、どうも…」

 って言ったきり、絶句された。あんな顔するくらいなら、素直に笑い飛ばせばいいのに。そうしたら、何がおかしいのよ! って言えたのに。


 あの微妙な空気。軽口も言えないほどのひどさだったのかと、依里子はその後しばらく悶々とすることになったのだった。

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