第38話 貴禰と依里子、献立を考える

 時間かっきりに姿を見せ、食材だけになった3日分の宅配の荷物を下ろして去っていく男の背に、依里子は再び、『いいーだ!』と歯を見せて顔を作った。

 今回は何も言われなかったけれど、やっぱりなんかいけ好かない。そう思いながら箱を開け、先日教えられたように食材を片付けていく。肉に魚、そして野菜―。そこで、ふと手が止まる。目が、青々としたほうれん草の束に釘付けになった。


 前回、届いた野菜を片付けてから、ばあさんは、“ちゃんとしたお浸し”の作り方を実演してくれた。他にもやり方はあるかもしれないけれど、とりあえずはこれを覚えなさいねって。洗って、揃えて、堅い根のほうから沸騰させたお湯に(もちろん、鍋には塩をIN-理由を聞いたら、緑が鮮やかになるから、だって)。茹で上がったのを冷水に晒して、絞って、切って。

「さあ、いいわ。食べてみて、ね、どう?」

 そう言われて、少しの削り節とお醤油をかけて食べたそのお浸しは、私が作ったのとは少し、ほんの少しだけ、違う味がした。お台所のことはお任せくださいだなんて、とても言えそうにない。少なくとも当面は…。


 とはいえ、落ち込んでばかりいても始まらない、行動して自信をつけないと、浮上できない。ばあさんにも認めてもらえない―。うまく行かないことがあり落ち込んだとき、練習でどうにかなるならとことんやるべし! これが私の、人生訓。


        ***


「根に切り込みを入れてから、熱湯に入れる。赤い部分は取っちゃダメ、と」


 …茹ですぎた? 最初に作ったお浸しは、どうにも納得がいくレベルではなかった。だめ、やり直し。もう1束調理する。今度はだいぶまし、という手応えが得られて、ようやく少し気持ちが浮上する。そして、気がついた。宅配セットのうれん草は、すべて消費されていた。1束600円。占めて、1,200円。


「ああ、しまった、こんなお高いもので練習しちゃった!」

 どうしよう、スーパーで別のほうれん草を買ってくるか、いや、むしろ練習にこそ安いスーパーのを使うべきだったかと依里子が葛藤していると、貴禰がやって来た。


「あら、ここにいらしたの? ちょうどよかったわ、今、お呼びしようと思っていたの。お夕食の献立を考えたくてね」

「あああ、はい!」

「なぁに? 練習していたの? 感心感心。よかったら味見させてくださる?」

「はい、あの、ええ、はい、どうぞ」

 自分では合格レベルになったと思っても、やっぱり緊張する。震える手でお浸しを差し出すと、貴禰は一口食べて、あら? と言った。心臓が、跳ね上がる。

「あらすごい、美味しいじゃないの。早速マスターしたのね」

「は? え、あの、はい、あ、ありがとうございます」

 まあ、あの、ただ教えていただいたとおりに、茹でただけ、ですけれど―。しどろもどろに言い訳のようなことを言いながら、なぜか顔に血が昇るのを感じた。ああ、だめ、どうしてもペースを乱される。


 だが、貴禰はすぐに箸を置き、本題に入りましょ、と言った。

「あのね、お夕食の献立をお任せすると言ったけれど、私も、食材レベルから計画を立てるのは未経験だったわ。だから、よかったら一緒に考えさせてくださらない?」

「あ、はい」

「どうもありがとう。まずはこれからの3日間で、今日届いた食材を使い切るように献立を考えないとよね。夕食メインで、朝食にも。余すことなく使わないと。お時間があったら今から相談したいけれど、どうかしら?」

「あ、はい、だいじょうぶです」

「じゃ、まず、食材と推奨献立を確認するところからね。それから、献立を決める。私も初めてだから、これは結構たいへんかも」


 言われて箱に入っていた推奨献立を見て、依里子は、うっ、と言葉を詰まらせた。推奨献立の1日目の夕食には、肉じゃがとほうれん草の胡麻胡桃和え、とあった。

 ほうれん草。1,200円分のほうれん草。もう、使い果たしてしまった…。

「ああ、すみません、ほうれん草は、もう全部お浸しにしてしまって…」

 おろおろと言う依里子に、貴禰は呆れたように言った。

「いいのよ、練習してたんでしょ? ほうれん草が無いなら、他のものにすればいいじゃない。推奨メニューはあくまでも参考よ」

「他の? って、どんなものですか?」

「それを、一緒に考えましょう。実際に食材を確認しながらね。柔軟性が大事」

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