第34話 依里子、2人の関係性を考える

 なぜ自分は、お前は油断ならない他所者だと匂わせたあの男の一言に、それを特段否定しない貴禰さんに、こんなにもショックを受けたのだろう?

 指示どおりに食材や洗い物を片づけている間中ずっと、依里子は、胸にわだかまるもやもやを反芻し続けていた。

 今までは、他人の評価なんて考えたこともなかった。仕事を真面目にこなしていれば、それなりに信用は得られたし。そもそも、今までの自分だったら、たとえ相手が自分を信用していないとしても、そんなことは歯牙にもかけず、いただくべきものを要領よく、合法的にいただくまでの辛抱だと思うだけだったはず。

 今は? 成人後見人として生活を共にする、それは他人としてはかなり近い存在であるということと言える。それなのに、信用しているとは言ってもらえない、それがこのもやもやの正体なのかしら。でも、いくら近い存在とはいえ、本当の家族とは違う。所詮は赤の他人同士だし、ここまでショックを受ける必要はないはずなのに―。


「ほら、ぼんやりしないのよ。洗い物が済んだら、野菜の片付けがあるんだから」

「は、はい!」

 自分の考えに深く沈んで黙々と作業をしていた依里子は、貴禰の声にハッとして顔を向けた。ここ数日で見慣れたはずの顔が、なぜか、まったく知らない誰かのそれと感じられた。

 そう、他人だ。不意に、すとんと肚に落ちた気がした。一緒に暮らしても、生涯に渡る契約を結んでも、所詮他人は他人。ほんの数週間前まではお互い知りもしなかった。どうせ私は他所よそ者、信頼なんてしてもらえない。構うことないわ、それが当り前、そう、当り前なんだから。


 ―どうせ無駄、何をしたって。

 施設暮らしのころ、そんな言葉を残してドロップアウトしていった“仲間たち”の声が依里子の脳裏に蘇った。確信に満ちた声で彼らは言った。どんなにがんばったところで、普通の家の子が得られるはずの未来を自分は決して得られない、真面目になんてやるだけ無駄、連中の裏をかいて、うまくオイシイところをいただくのが賢いやり方だ。どうせ信頼されない、信頼を求めて失敗し、惨めさを味わうことを回避したほうが賢い、と。そう言って道を外れていく彼らを、ずっと何も分かっていないバカだと思っていた。だけど、今はその気持ちが少しわかる気がする―。


 そんな風に再び自分の考えに沈みながら、依里子は半ば無意識に作業を進める。だが、ポットの中の茶殻をシンクの隅の三角コーナーに捨てようとしたところで、これまで聞いたことのないような貴禰の鋭い声が飛び、びくりと体を震わせた。


「それ! 捨てないのよ! ちゃんと有効活用しないと」

「は? え? 有効活用? 紅茶の出がらしの葉っぱを?」

 ぽかんとして問い返すと、貴禰は音も無く歩み寄り、茶濾の中の茶葉を見せた。

「紅茶じゃないわ、緑茶よ。緑茶の茶殻は、いろいろなことに使えるの」

「緑茶だったんですか。でも、これが、いろいろなことに使えるのですか?」

「そうよ。ちゃんと教えてあげますからね。とりあえず新聞紙を持ってきて」

「え? 新聞紙? 紙の新聞があるんですか? ど、どこに…」

「ほら、その隅よ。一束まとめて持っていらっしゃい、野菜の保存にも使うから」


 おろおろと見回す依里子に、貴禰はキッチン隅のストッカーを指差してみせた。

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