第18話

 どうにか卵を焼き上げて、ざるに上げておいたほうれん草を絞って、形を整えて、味噌汁を再度沸かして。ここまできたとき、ご飯の炊き上りを告げる音声が流れた。

 無我夢中で忘れていた筋肉痛が、再び依里子を襲う。朝からぐったり疲れた。今夜の夜勤、だいじょうぶかしら? そんなことを考えながら、重くなった手足を何とか動かして料理を盛り付ける。


「ま、間に、合った…?」

 ほっと息を吐いた瞬間、9時の時報が鳴る。

「あら、早いのね。感心感心」

 やって来た貴禰の言葉に、依里子は瞬時に表情を作り爽やかな笑顔で応えた。

「あ、おはようございます! はい、せっかく任せていただけた役割、最善を尽くしたかったので。朝は洋食とうかがってはいましたが、お年を召した方は和食のほうがお好みというデータがありまして、やはり和食がよいかと思い、ご飯にお味噌汁に卵焼き、お浸しにしてみました」


 よい子の模範解答、『簡単なパン食でなく、手間暇かかる和食を、あなたのためにご用意しました!』―どうよ? ねえ、どうよ? そんな内心の想いは表情に微塵も出さず、あくまでも爽やかに言う依里子に、貴禰は一瞬だけ渋い顔をした。

 あれ? 外した? ひやりとしたが、貴禰はすぐに笑顔になり、あらあ、お心遣いありがとう、と言った。それから小首を傾げ、

「でもねえ、年寄りなら誰もかれもが和食好き、という考え方は、どうかしらね? 人の好みは十人十色だもの。仮に10人中9人がそうだとしても、目の前の1人がそうでないなら、そこに合わせるべきだと思わない?」

「…おっしゃるとおりです。つまり、この朝食はお気に召さないということですね? でしたら、申し訳ありませんでした。すぐに作り直します」


 自分でも気づかないうちに期待していた褒め言葉が無いことは、依里子にとって、思いのほかのダメージとなった。

 だけど、ここで引き下がるわけには行かない! 切り換え、切り換え!!

 もう作ってしまったことを匂わせながら、哀し気な顔でそそくさと再びキッチンに向かおうとする姿を見せると、いいえ、せっかく私のためを想って腕を振るってくださったのだもの、今日はそれをいただきましょう、と声がかかった。


 ふっ、計算どぉおり!


 内心でニヤリと笑いながら、依里子はしょんぼりした顔を崩さず礼を述べた。

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