第13話 貴禰と依里子、夕食を共にする

 風呂から上がった依里子を待っていたのは、温かな夕食だった。

「さっき言っていた、宅配サービスのお夕食よ。一緒にいただきましょう」

「あ…」

 施設にいたころも、決まった時間に夕食が供された。だがこれは、何かが根本的に違う気がした。誰かに用意してもらう食事が、こんなに嬉しいものだとは。

 どうしたの? 早く座ってちょうだいな、そう促されて席に着くと、

「はい、じゃあ、いただきます」

 と手を合わせて言う貴禰に倣い、依里子も手を合わせ、いただきます、と呟いた。


 夕食は美味しかった。本当に、美味しかった。宅配サービスのお食事っておいしいんですね、そう言って笑顔を見せた依里子に、

「そうでしょう? 高級仕出し屋の、『さのう屋』さんのお料理だもの。ここ、お味は、間違いないわ」

 と、なぜか貴禰が得意顔で応えた。それから、この先1週間の天気の話、この家の近所の店の話、そんな他愛のない会話で、食事は終始穏やかに進んだ。


 食後、洗い物を、と立ち上がりかけた依里子に、いいのよ、食洗器に入れてくださればね、と貴禰は告げ、それよりコーヒーを淹れてくださる? と言った。

 こんな時間に、コーヒーを召し上がるんですか? 眠れなくなったりしません? そう言いながら(だいぶ普通に、親し気な会話ができるようになってきた、と内心ほっとして)示された戸棚を開けると、入っていたのはコーヒーミルとドリッパー。え、なにこれ?

 固まってしまった依里子に向かって、

「豆は下の扉の中よ。お砂糖は要らないわ、ミルクを少しお願いね」

「ええと…」

 どうしよう、こんな本格的な淹れ方、したことない―。

 自宅で飲むコーヒーとは、粉末をお湯で溶かすもの、そう思っていた依里子には、これは想定外の事態だった。やり方を知らない、できないと言って失望されたらどうしよう? こんなこともできない方に後見人になっていただくのはちょっとね、なんて言われたら?

 おろおろする背中に、貴禰の声が飛んだ。

「どうしたの? 何か見当たらないものがある? カップは、そこの食器棚よ」

「あ、あの、すみません」

 意を決して、依里子は振り向いて言った。

「このような本格的なコーヒーを、淹れたことがないんです。申し訳ありませんが、教えていただけますか?」

「ああそう、いいわよ」

 あっさりと言って立ち上がった貴禰に、依里子は拍子抜けした気分になった。

「どうしたの、きょとんとして?」

 取り出した豆を量ってミルに入れながら、貴禰は小首をかしげて聞いた。

「あっ! いえ、その、教えていただけるんだなあ、って…」

「はあ? 当り前でしょ? 知らないことは、教わらなくちゃわからないじゃないの。これからいろいろ教えるって、言わなかったかしらね?」

 確かに、そう聞いた。でもそれは、この家のしきたりとかそういったことであり、日常、普通の人が当り前にできることのことではないと思っていた―。そう言うと、さらに呆れた顔をされた。

「何言ってるの、わからないことは、どんどん聞かなくちゃダメよ。聞くは一時いっときの恥って言うでしょ? というか、この言葉も、ちょっと変ね。何がわからないかは、人それぞれ。聞くことは全然、一時も、恥ずかしいことなんかじゃないものね」

「ああ、はい…」

 そうか、訊いていいんだ。心が、ふわあ、と軽くなり、依里子は急遽始まった貴禰による美味しいコーヒー淹れ方講座の熱心な生徒となった。

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