第4話 人に頼られ、浮足立つ。
後々のごたごたを考えれば、非通知にすればよかった。それを不審がって相手が出なければそれでよかった。でも、そうはしなかった。万が一、大樹が自分に興味を持っていてくれば、折り返し電話してきてくれるはず。電話がかかってくるか、こないかの微かな期待は、貴子の平凡な日常をざわつかせた。ダメならすっきりと忘れられる、それくらいにしか考えていなかった。予想通り、電話はかかってこなかった。貴子にとって、それで終わりのはずだった、いや、終わりにするつもりだった。それなのに、それなのに…。忘れた頃に電話を掛けてくるなんて。不意を突かれた。単なる電話が、運命の電話だと乙女心が騒ぐほどに…。
ふたりを結びつけた赤黒く熟した果実が、泥濘にへばりつきながらゆっくりとゆっくりと禁断の沼に沈み込んでいくのを貴子が、気づくはずもなかった。
いつもより連絡のない長い日々が、貴子を正常に戻そうとしていた。そんな時、見計らるように瘡蓋かさぶたを剥す時の快感の着信音が鳴った。五十嵐からだった。運命の分岐点が、そこにあった。出なければ、ときめきの記憶。出れば、はらはらの修羅の世界に。何となく、そんな気分になっていた。
「久しぶりね、元気だった?」
大樹は、無言だった。姿は見えなくても、大樹の様子がいつもと違うことは直ぐ貴子にはに分かった。
「どうしたの、何かあった?」
「…」
あるはずのものがないことは、人の不安を駆り立てる。その緊張は、相手の事態であっても、自分に起きた出来事のように錯覚させる。
「何があったの?私、何か、力になれる?」
食いついたぜ。電話口の五十嵐の口角が上がった。
「俺、足を洗おうと、思って…」
「えっ?」
「堅気になって、お前と暮らしたいんだ」
「どうしたのよ、急に」
「一緒になるにしても、俺、筋を通したいんだ。おとうさんに許してもらわないと…。分かってるさ、俺はゴミさ。嫌われて当たり前だ。俺が悪いんだ。でもな、本気で向き合えば分かって貰えると思うんだ、時間は掛かるけど…。まともな仕事について頑張っていれば…。認めてもらわなくてもいい、黙認してくれれば。それだけでも俺、頑張れるからさ」
「ちょっと待ってよ、付き合ってもいないのに一緒になるなんて」
「分かっているだろ貴子だって。人を好きになるのは理屈じゃない、ビビッとくる感覚さ、相性っていうか、俺、勘だけはいいんだ。その勘が貴子を失ったら一生後悔するって」
「そんなことを言われても…」
「そうだな、ゴメン。じゃ、会おうよ。それで、貴子が来なければ、俺、諦めるから、俺のケジメさ」
「一方的ねぇ」
貴子は、大樹の強引さを満更でもない気分になって、堪能するようになっていた。
「迷惑かなぁ」
「迷惑なんて…」
「じゃ、決まりだな」
「でも、そんなの組が許すの?簡単じゃないでしょ?」
「ああ、難しいだろうな。でも、俺の気持ちは固まっている。例え、半殺しの目にあっても、おやじに頼んでみるさ」
「無理しちゃ、ダメよ。他に何か方法はないの?」
「俺、バカだからさぁ、ぶち当たるしか思いつかないよ」
「危険な真似は、しないで」
五十嵐は貴子の自分への関心が、図々しい人から同情や心配を施す人に変わってきていることを見逃さないでいた。
人は人に頼られた時、浮足立つ。
自分の置かれている立場が薄れ、相手の事を優先する感情が芽生える。母性本能というか相手を守ることで自分の存在価値を見出すことになる。俗にいえば、私がいなければ、私だけが助けられると思わせることで、心を乗っ取る術をすけこましの五十嵐は熟知していた。
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