3.



 一歩一歩。

 綾城と田村は、そこに地面があることを確かめるように歩みを進める。

 目的地は未だ遠いうえ、冬も終わろうというのに酷く寒い。


「お、おかしいですよ……いつもならもうとっくに着いてるくらい歩いてるのに……」


 田村が震える声で呟く。


「緊張してるからさ。大丈夫、もうすぐそこだ」

「でも……部屋に行ったら、奈緒を連れてったやつがいるかも……」

「落ち着くんだ。何もいないよ」


 努めて明るい態度で安心させようとする綾城だったが、効果は認められない。


「いますよ、刑事さん。分かるんです。何かがずっと、俺を見てる」

「気のせいだ。いいか? 田村君。澤田さんは今もどこかで怖い思いをしてるんだ。そんなことをしたやつに、一緒に痛い目を見せてやろうじゃないか」

「はい……はい。そうです。許せないです。幽霊だって、ば、化け物だって……っ!?」

「どうした? ……田村君?」

「あ……あぁ……」


 田村が目を見開いて立ち止まる。視線の先を追うが変わったものは見当たらない。


「おい、どうした! しっかりしろ!」

「なん……だあれ……人……? 足が、いっぱい……」

「何言ってる、何もいないぞ! こっちを見ろ田村君! ──クソっ!」


 形容しがたい危険を感じ、綾城は田村の頬を平手で打った。

 驚いた顔のまま彼は綾城に向き直る。その目は微かだが正気の光を取り戻していた。

 

「刑事、さん……? 俺、なにを……」

「いいから走れ! これ以上ここにいるのは危険だ!」


 言うが早いか、綾城は彼の背を押して走り出す。


 考えが甘かった。

 人は「見るな」と言われれば逆らいたくなるものであり、”こいつら”の狙いも恐らくはそれなのだ。

 事実千尋だけでなく、田村までが「見えない何か」に心を囚われてしまった。

 しかし。

 綾城は自問する。

 ならなぜ自分には見えないのか?

 今にして思えば、一軒目の家宅捜索でも千尋の様子はおかしかった。

 目を付けられていた? 理由は? そもそも理由などあるのか?

 さっき自分で言ったことだ。犯行動機を基にした捜査ではなく、”現象”として原因と結果を見るなら。

 ──あれは要するに、”襲ってくる壁のシミ”だ。


「わ、うわぁあああ!」


 前を走っていた田村が叫び、急停止する。


 勢い余った綾城がその背にぶつかり、巻き込む形で転倒した。


「ぐっ……どうしたんだ、一体」

「あ……あれ……あれ……」


 カタカタと震える手で彼が指さす先を見る。

 見てはいけないと分かっていながら。


 肉の絡みついた重機を引き摺るような音と共に、黒く巨大な”何か”が這っているのが見えた。


 ぼやけた暗闇の塊を思わせる不定形の身体。

 その至る所から人間のものと思しき手や脚が伸びている。

 潰れて重なっていて聞き取れはしないが、声も聞こえる。

 笑っているのか。


 本能が告げている。

 自分たちが追いかけていたのは”それ”だと。

 人々を恐怖に陥れていた存在が目の前に現れたのだと。

 

 そんな都合の良い事があるか?

 本当にこれで解決するのか?

 荒い呼吸と心音の中、数々の疑問符が頭の中を流れては消えていく。


 それがどうした。

 今取れる選択肢など一つしかない。

 無辜むこの市民を守るのが、警察官なのだから。



 ──綾城は銃を構えた。

  


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