逢魔時



 定時に仕事を終え、買い物を済まし、帰途につく。

 この無味乾燥とした二十年来のルーチンワークは、世間が何かと騒がしくなってからも特に変わりない。

 何故かと言えば、ウチのような古い零細は自宅から連絡を飛ばすだけで仕事が進むほどしっかり分担されていないのだ。

 家から出るなと言うなら会社にお願いしたい。


 いつもの決め台詞を頭の中にだけ浮かべ、家族の待つ場所へと歩みを進める。

 待っているかは知らないがと自嘲しながら視線を落とすと、地面に不可解な痕跡があることに気づいた。

 赤茶けた錆、だろうか。引き摺ったような細い線が一本右手の路地に向かって引かれている。


 何か古い機械でも運んだのだろうかと興味本位で覗いてみると、路地の奥の方でヨタヨタと動く小さな生き物が目に入った。

 子猫か何かのように見えるが遠くてよく分からなかったため、警戒させないようゆっくりと近づいてみる。

 

 結論から言うと、それは子猫ではなかった。

 黒い毛玉のように見えるそれはこちらに気づくと後退りを始めたが、その動きは野生動物とは思えないほど緩慢であった。

 予想外の光景に足が止まり、しばしの間見つめ合う。新種? 奇形? もしくは何かと見間違えている?

 様々な可能性が頭を巡ったが、少なくとも目の前の怯えた生き物に敵意は無さそうに見えた。

 そこでようやく先程の赤茶けた線がその生き物に続いていることに気づく。どうも怪我をしているらしい。

 正体こそ分からないが、このまま放っておくのは少々寝覚めが悪くなりそうだ。


 ほら、おいで。怖くないよ。


 しゃがんで目線を下げ、両の掌を見せる。家の猫を拾ったときのことを思い出しながら努めて優しく話しかけていると、毛玉は恐る恐るこちらに近づいてきた。

 

 そうそう、良い子良い子。無理しなくていいからね、今そっちに行くから。


 言いながら少しずつ歩み寄り、ふと思いついて買い物袋から娘のために買ったビスケットを取り出してみせる。


 お腹、空いてるか? これなら食べられるかな。ほら、どうぞ。


 もう少しで手が届くところまで近づいたとき、不意に辺りが暗くなった。

 日が落ちたのかと見上げると、真上からこちらを見下ろす何かと目が合った。

 路地を挟むブロック塀よりも遥かに背の高い、無表情で真っ黒なマネキン。印象としてはそんなところである。


 今の今まで気配すら感じなかったが、それらは自分たちを取り囲むように何体も並び立っていた。

 この子の家族だろうか。それとも──


 考えが結論に至る前に、それは私の身体を掴んだ。

 どこに連れて行かれるのか、何をされるのかは分からない。

 


 ただ、自分があの子と築こうとした関係とは恐らく全く違うものになるだろう。


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