それでも、わたしはこれを恋と名付けたい。

蛭川波瑠

わたしの軌跡






「……くん、ありがとう」


大好きだったよ。



その言葉が、声になることはなかった。


彼からもらったものは、全部


わたしの中に、思い出として残る。



幾ら泣いても

幾つになっても


誰かと別れる瞬間だけは、慣れない。



本当だったら、今日は


2月14日で…


わたしとあなたの1年記念日だったはずなのに、ね…



少し冷たい風が吹いて、びゅうっと落ち葉が軽く宙に舞う。



落ち葉が舞っても地面に落ちても、誰一人気にする人なんていない。


彼にとってわたしも、その程度の存在だったのかもしれない。



コートのポケットからスマホを取り出して、アルバムの画面を開く。




1アイテム を削除してもよろしいですか?



  いいえ    →はい



たった1回タップするただそれだけのこと。





昔から、笑ってくれる人が好きだった。



周りの顔色を伺ってばかりで、

言いたいことも上手く言えないわたしは


その楽しそうな笑い声に何度も何度も救われた。


笑ってくれるだけで、安心できたし


そばにいたいって思えた、

ずっと笑っててほしいって思った。


例えそれが嘘だったとしても…


わたしにとっては、大切なことだったんだよ。




『……り、翠(みどり)?』


「あ……」



毎晩恒例の彼との通話中。


名前を呼ばれて、自分の意識が完全に別のところに行っていたことみたいだ。


また、思い出しちゃった…


「ごめんねまさくん!何て言ってたの?」


もう、思い出すのはやめにしたいのに


トラウマというものは大きく、なかなか消えてくれないものみたいだ。



『いや、大したことじゃないけど、番号もう貼ってるから』


「はーい、ありがとう!」


1日の中で、1番大好きで、大切な時間。


たまに彼がバイトから帰ってない時はできなかったりもするけど…



付き合い始めて300日くらい、ほぼずーっとかかさず続けてる夜の通話。


仕事が大変で、休憩時間中ですら気を抜くことが許されない場所。



だからせめて、

夜くらいは楽しみにさせてほしい。


最初は全然慣れなかったゲームも


彼と一緒に出来るなら


その一心で課金もしてそれなりに強くなった。


何より、



『翠、そこやられたらだめだってー!』


「えっ、もう何でわたしばっかり狙われるのー!」


『ははっ、仕方ないから俺が助けてあげるよ』


その優しい笑い声が、何にも代えがたいくらい好き。



「まさくんほんとに上手だよね、ナイスー!」


『翠を守らなきゃって思ったら俺はいくらでも強くなれるよ』


「ふふっ、ありがとう!」


大好き、大好き、大好き。


300日以上付き合って、喧嘩が全くなかったわけじゃない。


不安にならなかったわけじゃない。


彼はまだ学生だし、生活サイクルもわたしとは大きく異なっていて


返信をなかなか返してくれなかったり、連絡取れないことも多くてすごく不安になった。


でも、


連絡の量で愛は測れないこと


連絡を取り合っていなくても他の人なんていないし、


わたしは彼の中にいる。



……なんて、分かってはいるけどやっぱり寂しくなっちゃうんだけどね


「まさくん、大好きだよ」


『俺は、愛してる』



でも、大丈夫。


わたしはこの人を信頼してる。


前の人みたいには…ならないって信じてるからね。






「……本日のスケジュールは以上になります。よろしくお願いします」


9時00分、いつものように前日と本日の申し送りをするミーティングが終わる。


「吉川(よしかわ)は今日は風呂か」


「はい、バイタル確認して入浴介助です。今日は松井さんお風呂嫌がらないといいんですけどね」


「吉川は利用者さんに押し負けるところがあるからな、何か困ったことがあったら俺を呼べよ!」




力仕事は任せろ!と普段鍛えてる腕を見せられて思わず笑ってしまう。


「いつもありがとうございます、一ノ瀬(いちのせ)さん」


一ノ瀬さんは、うちの施設、『ニコニコデイサービス』でもう古くから働いている介護福祉士さん。


髪は短髪で、肌は健康的な小麦色。

いつも明るくて、太陽みたいな人だ。


わたしももう4年以上は働いているしそこまで新人ではないのだけど


それでも気を遣ってくれる、優しい人。



「な、なぁ、吉川って彼氏とか…」


「お風呂は嫌って言ってるでしょうが!あっち行って!!」



あぁ、松井さん今日こそはお風呂に入れてあげたいんだけどな…


少し離れたフロアまで声が響いているし、このままだと近くのスタッフに殴りかかってしまいそうな勢いだ。


「すみません、わたし、いってきますね」


話をそこそこに切り上げ、わたしはお風呂場へと向かった。



大きく介護福祉施設と言ってもいくつか種類があって、


その中でもデイサービスと呼ばれる施設でわたしは働いている。


半日や1日の方、週に数回の方など日によってばらつきはあるものの


泊まり込む施設とは違って、比較的認知症だったりの持病が軽度の利用者さんが多い方なのかなとは思う。



レクリエーションなどの細かい作業も好きだし


賑やかな雰囲気で笑い声あふれるこの仕事にやりがいを感じている。


ただ、なかなか思い通りに行かないことも多くあって


自分の力不足を感じることもしばしばある。


今日の入浴介助は人数が多いから、また別のスタッフと一緒に行う。


頑張らなきゃ!






しんどいけれどやりがいのある仕事。

自分を愛してくれる優しい彼氏。



わたしは幸せだと、思ってた。


今思えば


何も知らないから、幸せだったのかな。






「返信が来ない…寝てるのかな…」


今は2月になったばかり。


世間はバレンタインカラーに染められつつある頃。


昨日の夜に通話を切ってから送った返信に、まだ返信がない。


現在の時刻はお昼の12時32分。


大学?バイト?何だろう…


嫌な予感がする……



「吉川は毎日弁当作ってて偉いよな、しかも超美味そうなやつ」


「一ノ瀬さん!」


「卵焼き、ひとつもらってもいいか?」


そういえば、まさくんにもお弁当の写真を送ったら


翠は料理上手だからいいお嫁さんになるねって言われたことがある。


まさくんに、食べてもらいたいな…



「あっ…ど、どうぞ……」


「ありがとな!」



毎日コンビニ弁当だと飽きるんだよなーと一ノ瀬さん。


一ノ瀬さんみたいに素敵な人なら、彼女くらいいてもおかしくないのにな…


「うまっ!こりゃ、将来一緒に住む相手は幸せだな!」


「ですかね…?」


「……どうしたんだ?何だか、泣きそうな顔してるけど」


どうしよう…相談、してもいいのかな……


そばに置いてたスマホの返信を知らせるランプは、点滅していないままだった。



連絡が来ない、それだけできゅうっと胸が苦しくなる…


前の彼氏は、数日連絡を取れなかったことがあった。


連絡しても、電話をしても無視。



彼氏の友達とも遊ぶことがあったから、その人が申し訳なさそうにわたしに教えてくれた。



会社の慰安旅行で、女の子に告白されて付き合うことになったらしいよ、って。


それを聞かされたとき、ただただ悲しかった。


悔しい、とかそういうんじゃない。


わたしよりも距離が近い、その子のほうがいいんだって。


わたし、もう必要ないんだなぁって…


すごく、すごく悲しかった。



どうして、わたしと付き合ってるって言ってくれなかったの?


わたしの何がいけなかった?って何度も何度も思ったけど


連絡も、消されていて取れない状況。



必要とされてない場所に、

いつまでもしがみつくのはもう耐えられなかった……


だから、余計に


返信がないと

反応してもらえないと


不安で不安で堪らなくなる。




「……ごめんなさい、何でもないです」


「何でもないって……」



一ノ瀬さんは何か言いかけていたけど

わたしの頭の上にポンッと手を置いて、


優しく、頭を撫でてくれた。


「悪い、もし聞いてほしくなったら教えてくれ。卵焼き、美味かった。ご馳走さん」


そう言ってわたしの隣の席を立つ一ノ瀬さん。


気を遣わせてしまったかな……



まだ半分も食べていないコンビニのお弁当箱がその場に残されていた。






その日の夜。

まさくんから返信は来た。



ごめん寝てた、なんて。


こんなに長い時間寝てるわけないよね?


ゲームの最終ログイン時間も、数時間以上前になってる。


嘘、つかれてる……


わたしの誕生日にまさくんが送ってくれたネックレスを手に取る。




まさくん。

氷室雅秋(ひむろ まさあき)くん。


高校3年生で、東北住み。



バイト先は、家から15分県内の牛丼屋のチェーン店。



好きなものはハンバーグ。

嫌いなものはグリンピース。


趣味はゲーム。

特技はリフティング。


付き合い始めて…354日。

       

顔写真は見たことがある。


少し長めの黒髪、褐色の肌。

笑ったときにきゅっと細くなる目が素敵な人。


会ったことは……ない。


でも、好きって気持ちも

愛してるって気持ちも、ずっとずっと変わらない。





*****


お寝坊さんだね!笑

ちゃんと学校行かないとだめだよ!

今日はバイトもお休みだったの?

ねぇ、わたしのこと本当に好き?


******


送信ボタンを押す、ただそれだけができない。


結局、悩みに悩んで送った文の


最後の一言が彼に届くことはなかった。






料理は得意な方だ。


誰かに食べてもらえて、美味しいって言ってもらえる瞬間が好き。


バレンタインの空気漂う街中を歩く。


ほんとはまさくんに、作りたかったけど…


自分用にチョコレート、買ってもいいよね!



すれ違う女子高生たちが手作りする?買う?なんて楽しそうに話しているのを見ると、微笑ましいなって思う。


職場でお世話になってる社員さんたちにも買っていこうかな…


うちは女性が多いから、男性の数自体はそんなに多くない。


だから、1人ずつに渡しても金額的にはそんなに高くはならないだろう。


全員分買ったものの、一ノ瀬さんは特に人気だから渡せないかもしれないな…


一ノ瀬さんには普段お世話になっているし…これぐらいしてもいいよね。



帰り際、寄る予定のなかった雑貨屋に寄ってから帰った。



「まさくんにチョコレート作りたかったんだけど渡せないよね、ごめん…」


『手作りのチョコレート、いつか食べさせてくれる?』


「……うん、もちろんだよ!」


1日の中で、1番大好きで、大切な時間。


笑い声を聞いてるのに

楽しい時間のはずなのに


嫌な予感が消えないのは…何でなんだろう……


2月14日は日曜日。


もう、あと1週間もない。


まさくん、覚えててくれてるかな。



2月14日は、バレンタインデーでもあるけど……

わたしと、まさくんが付き合って1年の記念日でもあるんだよ。


ねぇ、まさくん…


ずっと一緒にいてくれるよね??



2月12日。


いつもより少しだけ早起きした朝。


一ノ瀬さんは土曜日休みだし、日曜日はデイ自体が休みだから


チョコレートを渡すタイミングは今日しかない。


いつものように作るお弁当。


だけど今日は、ほんの少しだけ違う。


毎日コンビニ弁当じゃ、栄養偏っちゃうよ……


これは、いつもお世話になってるお礼。


スマホの点滅ランプは、相変わらずついていない。


まさくん、朝弱いって言ってたもんね…


いつか、彼に毎日お弁当を作って


毎日行ってらっしゃい!って言える日が

早く来るといいな……



明日来れない社員さんもいるし、チョコレート、少し早いけど今日配っておこうかな。


普段持っていくバッグともう1つ、チョコレートとお弁当を入れたバッグを持ってわたしは家を出た。





「おはようございます!これ、少し早いですがチョコレート持ってきたのでどうぞ!」


「おっ、吉川ちゃんありがとう!」


「吉川さんは本当に気が利くよね、お前らも見習えよ」


そ、そういう言い方をすると……


他の女性社員の目が痛い…

やっぱり、今日持ってこないほうが良かったのかな……


毎年、女性社員がチョコレートを配ってるところを見ないわけではない。


ただ、大半が一ノ瀬さんに目当てというか…


数が多く入ったチョコレートを一粒他の方にもついでにあげてるだけのような気もする。



「吉川さんってホント、男に媚びうるの上手だよね」


「わたし、そんなつもりじゃ…」



いつも助けてもらってるから、感謝の気持ちをって思って用意したチョコレート。


こんな風に言われるのは、やっぱり辛いよ…


何も言い返せないまま、ミーティングが始まった。



 


お昼休み。


何だか今日は女性社員の当たりが強い気がするな…


一ノ瀬さんは案の定女性社員に取り囲まれていて近づく余地すらなさそうだ。


お弁当…作ったけど、渡せないそうにないな……



社員食堂の隅っこに腰掛ける。

日当たりが良く、温かいわたしの特等席。


スマホの点滅ランプが付いているのに気付きスマホを開く。



まさくんかな?


その文面に、思わずスマホを落としてしまった。



******


あの女、マジで鬱陶しいの

返信ないだけで病むし、束縛も激しすぎてだるい


******


え……?

これ、わたしのこと……?


翠、って書かれたわけじゃない。


ラインの返信、送る先間違えたの?

それとも、わたしに直接言っているの?



視界がぼやけてきた。

だめ、こんなところで泣いたらダメ。



「まさくんっ……」


ねぇ、最近返信が遅かったのも


わたしのこと避けてたの?

そんなに束縛、してたかな?



辛いなら辛いって、

嫌なら嫌だって、言ってほしかったよ…


ご飯を食べる気にもなれなくて、バックを持って立ち上がる。



お昼からも忙しいし、どこかひとりで過ごせるところに行こう…


今は、誰とも話したくない。




ドンっ


「わっ!?」


「きゃっ!」


周りを全く見ずに走っていたせいか、社員用の通用口で誰かとぶつかってしまった。



「悪い、大丈夫か?……って、吉川?」


「……一ノ瀬さん?」



転けそうになったわたしを支えてくれる一ノ瀬さん。


「すみません、ありがとうございます」



それだけ言って外に出ようとするわたし。


お願い…今だけは、放っておいて。



そんなわたしの願いも虚しく、一ノ瀬さんに引き止められた。



「今日は外食か?なら、一緒にどうだ?」



その一言で、渡さないといけない物を思い出した。




「一ノ瀬さん、これ……良かったら。いつもコンビニ弁当だと、身体に悪いです」


作ってきたお弁当と、一足早いチョコレートを一緒に渡す。


「これ、弁当……と、チョコレートか?」


「いらなかったら捨ててもらって大丈夫です。失礼します」




もう、限界。


声が震えてないかな、とか

泣き顔を見られてないかな、とか


色々気になることはあったけど


もう、抑え切れそうにないみたい。




わたしはひとり、走った。

宛もなく、ただただ走った。



「…っ、うぅっ…」



ねぇ、どうして?

今度こそ上手く行くって信じてたのに。





その後のことは、よく覚えていない。


フラフラと仕事に戻って、上手く動けていたのかさえ分からない。



まさくんへの返信をすぐにしなかったことなんて、今まで一度もなかったかもしれない。


終わった、のかな、わたしたち…



その日の夜中。


ピコンという音とともに、スマホが点滅を知らせた。


誰だろう……?


寝ぼけ眼を擦りながら眩しすぎるスマホの画面を見る。


新着2件…?


1つめは…まさくんから。


******


ごめん、翠。

俺たち終わりにしよう


******


そう…だよね…


わたし以外にあんな文、送らないよね…


多分、だけど…

まさくんの1番近くにいたのは、わたしなんだから。


嫌だよ、まさくん。



わたしが恋をしたのは


会ったこともない、男の人


それでも


抱いた想いだけは、嘘じゃない



こんなにも胸が締め付けられて、

心が大好きだって叫んでる。



なのに、ねぇ、どうして…


「終わりなんて、嫌だよ…まさくん、まさくん…っ!」


悪いところがあるなら、頑張って直すから…

ねぇ、お願いだから、


離れて行かないで……

もう、ひとりぼっちは、嫌なの……



ただ、大切にされて


愛される女の子になりたかった。


人生をかけた大恋愛や、裕福な生活なんて求めていない。


ひっそりと、この世界の小さな片隅で

たったひとりの愛する人と生きていきたい。


ただ、それだけのことさえ許してくれない。


わたしの願いは叶わない。


彼を繋ぎ止めることができたとしても、もう、


わたしは彼女、ではなくなってしまう。


大丈夫って笑えるようになるまで

ちゃんと受け入れられるようになるまで


時間はかかるだろう。



でも、それでも


彼の気持ちがもうわたしに向けられないなら…


諦めるしか、ないんだよね……


******


わかりました

今までありがとう。

でもせめて、吹っ切れるまでの間…

友達としてそばにいてください。


******


これが、わたしの精一杯。

本当は、別れたくなんてない。


でも、まさくんがいなくなるのは…


もっともっと耐えられないの……


真っ暗で良かった。


涙で濡れた顔も、鏡さえ見なければ分からない。


今日泣きすぎて、明日目がかなり腫れてしまいそうだけど…


仕事があるから、ひとりにならないだけマシかもしれない。


もう1件…そう言えば来てたのはなんだろう……



******


弁当、ありがとな。

すげー美味かった。

それと、連れていきたい場所がある、日曜会えないか?


******


差出人は、一ノ瀬さんだった。

お弁当…食べてくれたんだ……


正直、出かける気分には全くならないけど……


ひとりでいても気が滅入って悲しくなってしまうだけだから



今は、今だけはひとりになりたくないな…


大丈夫です、と返信をしたあと、眠れないのは分かっていたが目を閉じた。




そして、日曜日。

今日は、バレンタインデー。



まさくんと迎えるはずだった、1年記念日。


翌日、まさくんから返事が来ていた。


これからもよろしく、翠、って…


結局昨日もお願いして一緒に通話をしながらゲームをした。


気まずくなるのかなって思っていたけど……


好き、や愛してる、がなくなっただけで


それ以外は特に変わってなくて、わたしの大好きな笑い声も聞けた



ズルいよね、ほんと。

その笑い声だけで全て覆せるんだから。



「そろそろ行かなくちゃ」


白のダッフルコートにニット、黒のデニムを合わせ、マフラーを巻く。


忘年会だったり新年会以外で、一ノ瀬さんと出かけることが今まで合っただろうか。



何だか、少しだけ緊張する…




待ち合わせ場所の駅に10分前に着いたわたしは、券売機の近くで待つことにした。



「悪い、待たせたよな」


「そんなに待ってないですよ」


「じゃあ、行くか」


私服姿の一ノ瀬さんを見るのは初めてじゃないけど、


背が高いから、黒のスキニーパンツがすごくよく似合ってる…


そう言えば、わたし…

まさくんの身長すら、知らないんだよね。



横に並んで歩いたことはないから…


だめ、今まさくんのこと考えたら泣いちゃいそう……



「吉川……?」


「あ……ごめんなさい!何駅まで乗るんでしたっけ?」


話を聞いていなかったみたいで、慌てて取り繕う。


無理に笑うのも、結構大変なんだなと思い知った。



電車に揺られること30分。



日曜日のお昼頃だと言うのに、電車はそんなに混んでなくて。



30分も会話が続くか心配だったけど、


一ノ瀬さんは景色を見ながらだったりだけど、ずっと話しかけてくれていた。



気を遣わせてしまっていることに申し訳なく思いながらも


その優しい気遣いが、とても心に沁みた。





電車を降りて、バスに乗ること10分。

辿り着いたのは、公園だった。


ずっと暖房の効いた車内にいたからか、冷たい風が吹くと身震いしてしまう。


落ち葉を踏みつけるたびに、


これは自分なんじゃないかと思ってしまう。



踏まれても悲鳴を上げない存在。


悲鳴を上げないんじゃない。


泣きたくても、叫びたくても

それを受け止めてくれる人がいないだけなんだ。




「これを、見せたかったんだ」


「わぁ……!」


公園を歩いて行くと、沢山の梅が咲き誇る梅園があった。


ピンク色は勿論のこと、白や紅の梅がきれいに花開いている。



「すごく綺麗…」


ひとつひとつはとても小さいけれど、数が連なればその存在感はとても大きく、綺麗だ。


「吉川、俺はさ…」


一ノ瀬さんは梅ではなく、ただじっとわたしを見つめていた。


何だか曇ったその表情に、わたしにまで緊張が走る。


「入社したときから、ずっと吉川のことを見てた。

大人しくて、流されやすくて、断れない性格だったから、いっつも心配だった」


「一ノ瀬さん……」


「ずっと見てたから、分かるんだよ。

何かあったんだなって、

無理してるのが分かるのに、何もしてやれない自分に、腹が立った」


わたしのこと、今までちゃんと見ててくれる人なんていないと思ってた。


元カレはモテる人だったし、自分の交友関係に口を出されるのが嫌いな人で、


わたしのことも口出ししないから、俺のやることにも口出しするなって感じの人。



まさくんは…まだ学生さんだから学業にバイトで自分のことで日々精一杯だったと思う。



「俺が職場の上司だから相談しづらいなら、それはそれで構わない。

でも信頼できる人が、何でも打ち明けられる人が身近にいないなら

俺に、その役目をさせてほしい」


梅の花の花言葉、知ってるか?と急に問いかけられる。


ひまわりとかだったら聞いたことあるけど……


確か、あなただけを見つめる……だったかな。


考えても知らないものは分からなくて、首を横に振る。


『上品』『高潔』『忠実』『忍耐』



一ノ瀬さんがそんなことを知ってる人だとは知らなくて、ちょっとびっくりしてしまった。


「お詳しいんですね」


「ずっと、吉川は梅の花みたいだなって思ってた。

控えめで、心がキレイで、真面目で…

ずっと、色んなことに耐えてきたんだろ、ひとりで」


「ひとりで……」



ぽたっと、地面に雫が落ちる。


わたし、泣いてるんだ、と気付く前に

その涙が、そっと拭われた。



「……なんて、な。いい上司ぶってみたけど、泣かせてたら世話ないな。

ずっと好きなんだ、吉川のこと」


「っ、うぅっ……」


涙と、嗚咽が止まらない。


子どもみたいに泣きじゃくるわたしのそばで、ずっと頭を撫でてくれる人。


風は冷たいはずなのに、

触られたところは、すごく温かい。



わたしが求めていたのは、

楽しい笑い声だけじゃなくて、


包み込んでくれる安心感、だったのかもしれない。


わたしが落ち着くまで、一ノ瀬さんは何も言わずにそばにいてくれた。


「……振られちゃったんです、彼氏に。

本当は、今日で1年を迎える予定だったんですけどね」


「そう、だったのか…

俺はずっと吉川を見ていたけど、彼氏がいることさえ知らなかったんだな……」



今日を迎えるのを、ずっとずっと待ち望んでいたのに。


その日が来ることはもうないと、知ってしまったから。




「……まさくん、ありがとう」



大好きだったよ。

その言葉が、声になることはなかった。


彼からもらったものは、全部

わたしの中に、思い出として残る。


幾ら泣いても

幾つになっても


誰かと別れる瞬間だけは、慣れない。



本当だったら、今日は


2月14日で…

わたしとあなたの1年記念日だったはずなのに、ね…


少し冷たい風が吹いて、びゅうっと落ち葉が軽く宙に舞う。


落ち葉が舞っても地面に落ちても、誰一人気にする人なんていない。


彼にとってわたしも、その程度の存在だったのかもしれない。


コートのポケットからスマホを取り出して、アルバムの画面を開く。



1アイテム を削除してもよろしいですか?



  いいえ    →はい



たった1回タップするただそれだけのこと。




でも……





「……どうした?」


「まだ、わたしには……彼とのアルバムを消すことは、できないみたいです…」


「……そう、だよな。困らせてごめん。

でも、すぐに思いを消せないのは、俺も同じだから」


真っ直ぐな瞳。

目を逸らすことが出来ない。


「折角梅を見に来たんだ、見たら気晴らしに美味いもんでも食いに行くか!振られたもん同士!」


弁当とチョコのお礼もしたいしな、と付け足して一ノ瀬さんは大げさに笑ってみせた。


それが強がりだとは分かってはいるけど……


今は、その笑い声がすごく有り難い。



「……はいっ!」




わたしがまさくんを吹っ切れる時は、いつ来るかは分からない。


大丈夫だよって笑える日々が、すぐに戻ってくるかも分からない。


その頃には、一ノ瀬さんの気持ちも移り変わっているかもしれない。



だから、


今この瞬間抱いている感情を、大事にしたいと思う。



「おーい、吉川!迷子になるなよー!」


すっかり遠くまで歩いて行ってしまっている一ノ瀬さん。


い、いつの間に……



「はい!今行きます!」



遠くなった背中を駆け足で追いかける。


わたしたちが春を迎えるのは、まだ少し先の話。





              END



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それでも、わたしはこれを恋と名付けたい。 蛭川波瑠 @haruhirukawa

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