魔界武刀伝 斬撃の夜摩

arm1475

第1話 関東が閉じ込められた日

 “それ”は、突然起こった。


 何の前触れも無く、関東平野を襲った“それ”は、僅か数秒の間に、多くの建物を倒壊させ、何が起こったのか理解する僅かな時間さえも与えられなかった二千万人もの命を奪い去った。

 では、“それ”とは、以前より起こると言われ続けていた東海大地震なのか?


 答は、否、である。


 “それ”の震度は、信じられないだろうが――マグニチュード・ゼロ。無震。

 地震計が故障していた訳ではない。

 何故なら“それ”は、地震ではなかったのだ。


 『大気震〔たいきしん〕』。


 大地は、微動だにしなかった。

 “それ”に遭遇して、僥倖にも関東平野を脱出して生き延びた地学者が、便宜上に付けた“それ”の名前である。

 偶然、箱根で地質調査をしていたその地学者は、両目に焼き付いたその凄まじい崩壊の光景を、己が知り得る知識を総動員して説明せんとした結果、


「関東平野は、大地は全く微動だにせず、上空の大気中に突如生じた光から発せられた、物理的に説明出来ない未知の衝撃波によって、実に飽気無く壊滅した」


 そう、途方もない結論を導き出した。



 関東平野は壊滅したが、人々は死滅を免れていた。

 実際の処、地域によっては奇妙な事に、問題の衝撃波を耐え抜いた建物は決して少なく無い。

 崩壊した建物は全体の八割にも及ぶ。首都圏としての機能は、突然の大惨事によって完全に失われてしまっていた。

 生き残った人々には、情報網の壊滅によって、あの大崩壊が『大気震』と命名された事など知る者は居ない。

 関東平野の惨状を目の当たりにした者は皆、この地が再び都市圏としての機能が働く事は恐らく無い、と言い切るハズであろう。

 かつてこの地は、悲惨な戦争が元で焼け野原と化した事があった。残された人々の鋭意努力によって、奇跡的な復興が成され世界有数の国際都市のあった地であったが、あの時の奇跡が再びこの地を訪れる事は恐らく無かろう。奇跡とは、二度と無いから、奇跡、と言えるのである。

 何より、刹那主義に生き、誰かを責めていなければ気が済まない現代人が、絶望の底から明日を見出せる程の勇気を持ち合わせている等、誰も思うまい。

 彼らは皆、ほんの数刻前まで語り合っていた親兄弟、友人や恋人の無残な亡骸を前にして、誰一人慰めてくれる者も現われず、遣り場の無い怒りに果てる事の無い涙を流し続け、崩壊した関東平野を重く昏い気配に沈めているしかなかった。


 しかし、『大気震』で死ねた者は、未だ幸せだったのかもしれない。


 ――『大気震』の襲撃を生き残った人々は、間もなく関東平野を襲った新たなる大変異に遭遇した時、誰もがそう思った。

 それは再び、空から襲い掛かった。

 『大気震』が収まるのと同時に、突如遥か上空より降りて来た、『闇壁〔あんへき〕』と名付けられた正体不明の巨大な半円球の黒い壁に関東平野は飲み込まれてしまった。生き残った人々はその『闇壁』に阻まれて、関東平野の外に出る事が出来なくなってしまったのである。


 更に、困惑する人々に追い討ちを掛ける『もの』が出現した。


 それが何処から現れたのか、知る者はいない。

 只、言える事は、奴等は人知の及ばぬ暗黒の深みで、この時を虎視眈々と狙っていたに違いなかろう。

 突如、何の前触れも無く現れた『もの』――誰が最初に広めた名なのかは知らぬが、〈魔物〉と呼ばれる魔物の群れが襲い掛かってきたのだ。生き残った人々は、ホンの数時間前までその存在にすら気づいていなかった〈魔物〉に立ち向かわなくてはならなくなってしまったのである。

 しかし、人知も全く無能ではない。自らの不毛な共食いの牙として鍛え続けていた重火器が、もっとも理想的な目的、即ち『人』を守る為に使われる日が来たのだ。


 その期待さえ呆気なく打ち砕かれてしまった。


 『闇壁』に飲まれた関東平野内では、火薬の類が何故か発火する事が叶わず、銃火器類が役に立たないという奇妙な現象が生じた。人々は唯一と信じた牙をもがれ、更に窮地に立たされてしまったのだ。


 希望は絶たれたか。


 否。否である。


 術は在った。それも、とびきりの、そして実に簡単な。

 それは実に単純な方法――直接攻撃である。刀や槍といった、刃のある物で切り付ける事で、〈魔物〉を斃す事が可能だったのだ。

 しかも、生き残った人々の中に――否、だからこそ生き残れたのかも知れない。

 敵はあり得ない存在であった。ならば、等価交換宜しく、あり得ない力が人の手に託されるのも当然なのであろう。

 物質文明の現代に於て、もっとも対極に位置する異端技術――即ち『魔法』を使える『魔導士』の能力を備えた者達が現れたのである。

 『魔法』。

 神が成せる技を『奇跡』というのならば、差し詰めこれは、悪魔が成せる変異なのか?

 これもまた否、である。


 それは、神では無い者が、代償をもって神の仕業を成す法――。


 神外の奇跡の源は、実行者の『五感』――『触・味・視・嗅・聴』の感覚を司る『活力』であった。

 『魔導士』と呼ばれる彼らは、『活力』即ち『生体エネルギー』を触媒にし、『魔法』を行使するのに必要な『魔力』を、『魔界』と言われる、目に見えぬ異空間を構成する『魔力場』から召喚して人間界で解放する事で、自然界を支配する法則を一時的に変化させる奇跡――『魔導法』を成し得るのである。

 但し、万能と言う訳ではない。

 神の如く、無から有を造り出す事は叶わず、各々の技量に縁っては、不可能な奇跡もある。

 何より、五感の『活力』を相当量消耗する為に、心身をどんなに鍛え上げようが、各感覚の『活力』の使用限度は、一日に最大で十回程度しか行使出来ない、という弱点が在った。

 とはいえ、一晩休息する事によって、消耗した五感の『活力』を回復する事が可能であった。

 更に、経験を積み重ねる事で、今まで不可能だった奇跡を起こす事も可能になるのである。

 『魔導士』達は『魔導法』を使える事を隠していた訳ではない。

 その殆どは、『闇壁』に閉じ込められる前は、何れもごく普通の、中にはその存在を否定していた者さえいた、平凡な人間ばかりであった。

 こんな外連味溢れる話があろうか。

 『闇壁』に閉じ込められるのと同時に、彼らは、魔力をコントロールする『魔導力』に目覚め、ある大いなる存在達の手引きに依って『魔導力』の使い方を手解きされた結果、〈魔物〉と渡り合える『魔導法』が使える様になったのである。――そう結論づけるしかなかった。

 こんな状況でなければ、『魔導士』達は自然界の流れを変えてしまう凄まじいその力に恐怖し、中には死を選ぶ者も居たであろう。

 しかし、今の彼らにとって、否、この『闇壁』に閉じ込められた関東平野の人々全てにとって、それは生き残る為に必要不可欠な『力』なのは間違いなかった。


 果たして――。

 『大気震』が起こり、『闇壁』に飲まれて外界と接触出来なくなってから僅か半年の内に、関東平野は『剣と妖術が支配する世界』と化したのである。

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