第210話 嫌な風。

「……汚いですね。少し、落ち着いてください。私達は貴方を殺すなと命令を受けているので」


「ふ、ふひぃ……ふひぃ……そ、それを早く言わんか」


「わざわざ、言う必要がなかったので」


「ふひぃ……ふひぃ……ひっひひ」


 疲れきった様子のベロウスは肩で息を吐いた。そして、嫌らしい笑みを浮かべだした。


「ん? どうしたのんですか? 突然に笑い出して……どこか頭でも打ちましたか? すごく気持ち悪いです」


「そうだろう。そうだろう。やはり軍を預かる私のことは殺せないだろう? ひ、ひ、ひ」


「……何を勘違いしているのか。私達は貴方がとりあえず生きていれば、何をしてもいいのです。とりあえず、逃げられたら嫌なのでとりあえず足を切り落としちゃいましょうか? あ……もちろん死んでもらったら困るので傷口は火で焼いてあげますので、ご安心を」


 ローリエはニコリと満面の笑みを浮かべてナイフを鞘から取り出した。


 ナイフを目にしたベロウスは小さな悲鳴を上げて笑みを浮かべたまま固まった。そして、顔色が蒼くなっていく。


「すぱっと行くんで、あまり動かないでくださいね。もしかしたら、本当に死んでしまいますので」


「ぶひ……」


 ナイフを持ったローリエがベロウスに近づいていくと……ベロウスは泡を吹き白目を向いて気を失ってしまった。そして、股間の辺りが色濃くなって、湯気が立つ。


 感情が抜け落ちたような表情を浮かべたローリエは気を失ったベロウスを見据えながらため息を漏らす。


「臭い……この程度で情けない」


「いや、十分に怖かったと思うぞ?」


 ベロウスを取り押さえていた男性の一人がブルリと体を震わせてローリエの呟きに答えた。


「ちょっと脅しただけじゃない? 仮にも軍のトップだったのならもう少し……せめて敵から辱めを受けないために、舌を噛み切り自殺するくらいの気概が欲しいわ」


「それは……確かにそうですが」


「はぁ、さっさと……この豚を逃がさないようにガチガチに拘束して。私達も他へ増援に行かなくちゃいけないわ」


 命令を出したローリエはベロウスを一度睨み付けるが、すぐに視線を外して……窓の外へ視線を向ける。そして、手に持っていたナイフを鞘に納めるのだった。






 場面が変わって、ここはホソード・ファン・ガラード侯爵の屋敷の近くのホーテが借りていた建物の一室。


 そこにはラーセットを含めた元火龍魔法兵団の兵団員、そしてホランド達が居た。


「一人で行くのですか?」


 心配そうな表情でホランドがラーセットに問いかけた。


「まぁ、そうね。潜入するなら私だけの方が安全なのよね」


「……そうですか」


「むふふ、いいわぁ。あー新鮮ねぇ」


 心配そうにしているホランドを含めてリン、ユリーナ、ノックスを見据えたラーセットが顔を綻ばせて微笑んだ。


 訳が分からないと言った様子でホランドは首を傾げて、問いかける。


「ど、どういう?」


「だって、こっちの私の部下達は顔色一つ変えないのよ?」


 ラーセットは横目で赤い鎧を身に纏った者達へと視線を向ける。するとラーセットの視線の先に居た赤い鎧を身に纏った者達は一斉に笑い出した。


「くく、そりゃ無理ねーぜ」


「あぁ潜入作戦で姉さんを心配する奴は火龍魔法兵団にはいねぇーぜ」


「あと団長もな」


「そうだな。姉さんはケロッとした顔で帰ってくら」


 灰色の髪の男性がラーセットの前に出てきた。そして、窓から目にできる屋敷の方へ鋭い視線を向けながら口を開く。


「冗談はさておき……ラーセット、あの屋敷から何か嫌な風が吹いている」


「ダニエルの風読みは当たるからねぇ。これは相当ヤバいかしら……」


「お前の潜入、潜伏スキルの技量に疑念の余地はないが十分に気を付けるんだな」


「貴方がバックアップしてくれるなら安心かしら?」


「どう……だろうな、アリソンは助けてやれなかったが」


「……傷心しているはずの貴方が援軍で来てくれて嬉しいわ」


「いや、何かしていないと気が狂いそうなだけだ。それにアリソンもこうすることを望んだだろう」


「そうね……」


「話を戻そう……あの屋敷に潜入するなら十分に警戒した方が良い」


「警告ありがと。じゃあ、ちょっと行ってくるわね。念のために警戒を怠らぬようねぇ」


 ラーセットはフッと笑みを浮かべて、ダニエル、ホランド達、次いで自身の部下達に一瞥して、部屋を出て行った。


 ラーセットを見送った灰色の髪の男性……ダニエルはホランド達へ視線を向けた。


「君達、団長の弟子と聞いているが、まだ若いのに……国のゴタゴタに付き合わせて悪いな」


「いえ、俺もサンチェスト王国がよくなって欲しい。皆さんに比べたらまだ微々たるものではありますが手伝わせてください」


 ホランドが首を横に振って答えた。そのホランドの答えを聞いたダニエルは苦笑する。


「若さとは……眩しいな」


 ダニエルの言葉を聞いた他の赤い鎧を着た者達も同様に苦笑し出した。


 ダニエル達の様子をみた、ホランドが戸惑った表情を浮かべた。


「えっと……」


「いや、悪い。悪い。肩に力が入っているな。そんな、気負わずに君達の仕事はアルフォンス様の連れてきた一般兵達と同じくあの屋敷の警備……」


 ダニエルはホランドの肩にポンと叩いた。


 ただ、そこで何か感じ取ったのか……視線を漂わせて少しの思考の後でホランドの肩をキュッと掴んで再び口を開く。


「……ただ、団長の召喚獣であるノヴァを召喚できるってな? 念のために呼んでおいてくれるか? もしもの時があるかも知れない。それから、ホーテのところへ走らせるかも知れないから……そのつもりでいてくれ」


 ダニエルの命令を聞き、ホランドは黙ったままゆっくり頷いたのだった。


 そして、ホランドがユリーナに視線を向けると、ユリーナはノヴァの召喚準備をしていて、その場にノヴァが召喚された。


 召喚されたノヴァはくんかくんかと鼻を動かして、周りを見回す。


「うむ? 懐かしい顔がいくつかあるの?」


「ノヴァ、久しぶりだな」


 ノヴァにダニエルが近づき、しゃがみ込んで話かけた。


「ダニエルではないか。息災か?」


「ま……そうだな。ノヴァも元気そうで何よりだ」


「うむ、吾輩元気だぞ。して吾輩は今回なぜ呼ばれたんじゃ?」


「あぁ、ちょっと……念のためにな」


 ダニエルはノヴァの頭をポンポンと軽く叩いて立ち上がった。そこでノヴァは再びくんかくんかと鼻を動かして……顔を顰める。


「そうか……それにしても、ここは戦場か?」


「……?」


 ノヴァの言葉にダニエルを含めて、その場にいた者達は首を傾げる。


「いや……ちょっと人間の腐臭が鼻についての」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る