第149話 一年と二カ月。

 アレンが国外追放されて一年と二カ月が経った頃。


 早朝。


 一台の馬車がべラールド王国の首都ジルラスを囲う壁の南側の中央に位置する巨大な塔前に止まった。


 イグニスは塔前に止った馬車へと駆けつける。馬車からリナリーが顔を出したところで手を差し伸べた。


「! お手を」


「ありがとうございます」


 リナリーは差し出されたイグニスの手を借りて、馬車から降りる。そして、イグニスを見据えてニコリとほほ笑んだ。


「リナリー王女様、おはようございます!」


「ふふ、お元気ですね。イグニス殿、おはようございます」


「……」


 イグニスはリナリーを見とれたような表情で黙った。


「ん? えっと……イグニス殿、変だったかしら? 動きやすい服装を選んだのですが……」


 リナリーは下していた髪を後ろで縛ってポニーテールにしていて、イグニスから見るとだいぶ印象が異なっていた。


 更にリナリーが言った通り動きやすい服……冒険者が着るような動きやすく且つ丈夫そうな赤茶色の冒険者服を身に纏っていた。


「は……すみません。だいぶ印象が違っていたのもので……驚きました。すごくお似合いだと思いますよ」


「そうですか、良かったです」


「えっと……あ、さっそくですが。リナリー王女様の持ち場にご案内します」


「そうですね。よろしくお願いします」


「こちらです」


 イグニスの案内でリナリーとデイムは南壁の中央に位置する巨大な塔の中に入っていく。先を歩くイグニスに向けて、リナリーが問いかける。


「帝国にようやく動きが見られたと?」


「はい。先ほど帝国から開戦を知らせる使者が来ました」


「しかし、帝国の動きは遅かったですね。周囲に布陣してから一カ月と少し経ってようやく」


「えぇ、今回の帝国軍の動きは不可解なところが多いです」


「素人ながら帝国は兵糧攻めするのではと思っておりました」


「……仮に兵糧攻めを受けようと大丈夫なんですよ。首都であり国門であり城塞都市であるジルラスは落ちることはなかったでしょう。なんせ、半年籠城しようとすべての者に食べさせる食料備蓄があります。さすがの帝国軍も冬になれば包囲を解いて離れるでしょう」


「なるほど、べラールド王国も冬は厳しいと聞きますからね」


「はい……あ、こちらがリナリー王女様の控え室となっています」


「ありがとうございます」


 イグニスは扉の前で立ち止まり、扉を開いてリナリーとデイムを部屋の中へと招き入れた。


 控え室はソファとローテーブル、デスク、椅子だけの質素な部屋であった。


 イグニスがリナリー達の後に続き控え室に入っていくと、申し訳なさそうに言う。


「すみません。リナリー王女様をこのような物置のような部屋で待たせるのは申し訳なく思うのですが……どうか」


「いえ、私は気にしませんよ」


 ニコリと笑ったリナリーは、気にした風もなく首を横に振った。


「そう言っていただけると。しばらくしたら、また呼びに来ます」


「よろしくお願いしますね」


「はい、失礼します」


 イグニスはバッと頭を一度下げると、リナリーの控え室から出て行ったのだった。




「ふぅー」


 イグニスを見送った後、リナリーはソファに腰かけて息を吐いた。リナリーが座るソファの斜め後ろに立ったデイムが呟く。


「これから戦争ですな」


 デイムの呟きを聞き、リナリーは表情を暗くした。そして、一度うなずく。


「そうですね……。多くが死んでしまうでしょうか」


「……囲む帝国は十万規模にまで増えたと聞きますので……かなりの犠牲が出てしまうでしょうな」


「犠牲……私は姉さんのおまけだと思っていましたが、配置が離れましたね」


「やはり周りはリナリー様に大きく期待していると言うことです」


「私も……魔法使いとして多くの人を殺すことになりますわね」


「……」


「正直、怖いです。冒険者をやっていて、同業者の死を見ましたが私は手が震えるだけで何もできませんでしたから」


「リナリー様」


「ふふ、デイム、心配そうな顔をしないでください。私はやりますよ。私が力を出し尽くさなければ、その分多くの味方が死ぬことになってしまうんですものね」


「……その通りでございます」


「覚悟はできていますよ」


 リナリーは決意に満ちた表情を浮かべた。すると、デイムは俯き目を瞑りながら、目頭をギュッと押さえる。


「リナリー様……本当に大きく成られましたなぁ。デイムは嬉しいですよ」


「もう、また……そりゃあ、私だって少しは大きく成っていますよ」


 リナリーは口元を尖らせて、少しすねたような表情で足を延ばした。その時、リナリーが待機していると控え室の外から声が聞こえて来た。




「おい、おい、聞いたか? この南塔にリナリー王女様が配属されたそうだぞ」


「本当か? お会いしたいなぁー。前に見かけた時、すごい綺麗だったぜ?」


「そうだな。綺麗だった。髪なんかサラサラでキラキラしてなぁ」


「性格もいいって話だぜ?」


「本当か? ウチの姫は……いや、やめておこう」


「あぁ。そういえば、お前……護衛補佐の任についていたっけな」


「それは災難だったな」


「そうか、リナリー王女様は性格もいいのか……どうにかお近づきになって仲良くなれねぇーかなぁ」


「ハハ、お前じゃ無理だろ。鏡見ろ」


「なんだと!」


「それに聞いた話じゃ、第三王子ラーベルク様とすでに婚約を結んでいると噂だぞ?」


「その噂、本当なのか?」


「らしい」


「くそー」


 ここで、リナリーの控え室の前で話していた兵士達はそこで立ち去っていったのだった。

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