第17話 親の心配
「そういえば璃子、お前に手紙が届いているぞ」
食事を食べ終えた俺たちは食後に美鈴さんが入れてくれたお茶を飲みながら、家族団欒の時を過ごしていた。
しかし、あまりにも楽しい時間だったので手紙の存在を忘れていた。
「あたしに手紙って、懸賞には応募してないんだけど」
「とりあえずお前が中身を一度確かめなさい。話はそれからだ」
どうやら透矢さんも中身は見ていないようだった。璃子のプライバシーを優先してくれたのだろう。
美鈴さんは今も楽しそうに皿洗いをしており、俺が手伝うかと申し出ても「いいのよ、蓮くんは璃子と一緒にお父さんと話してなさい」と言われたので俺も璃子と一緒に透矢さんが差し出した手紙を見る。
茶色い封筒には住所や差出人の名前はなく、ただ璃子の名前が載っていた。中身を見ることはできず、不審物と言っても過言ではなかった。
ただ、璃子はこういったものを何も水に捨てるなどと言ったことをしない。
生真面目と言った方がいいのか、良くも悪くも手紙の主の気持ちを尊重してしまう。それが璃子の美点であり、俺や透矢さんたちが心配する欠点でもある。
「とりあえず見てみるね。ラブレターかもしれないし」
冗談交じりに璃子は封筒を開け中に入っていた紙を取り出した。
「っ!・・・」
手紙を読み進めた璃子は目を見開き、呼吸を忘れたかのように愕然としていた。
俺と透矢さんは目を見合わせ不安げな表情をして璃子に問いかける。
「それで、手紙にはなんて?」
璃子は手紙を強く握りしめ、カタカタと震えていた。
俺の言葉が届いていないようで、時を忘れたようにずっと手紙に見入っていた。
「どうしたんだ璃子?」
「・・・・・ちょっと待って」
ようやく返事が返ってきたかと思ったら璃子は何かを焦ったかのように声を震わせていた。そして手紙を握りしめたままおもむろに立ち上がる。
「とりあえず大丈夫。あたし宛の手紙で間違いなかった」
そう言っているが、目の焦点が合っていない。あまりにも不審な態度に透矢さんは歩いていく璃子を引き留める。
「どこに行くんだ璃子」
「あたしの部屋。とりあえず今日はもう休む」
俺が時計を見るとすでに夜の十時を回っていた。確かに遅くなってきた方だが、こいつは夜更かしをするタイプだ。こんな時間に眠くなるなどなかなかないだろう。
「大丈夫か璃子?」
「うん・・・おやすみね、蓮」
「あ、ああ、おやすみ・・・」
そう言って璃子は階段を上がっていった。どうやら本当に疲れているようだった。一体あの手紙には何が書かれていたのだろうか。
「少し心配だね」
「ええ、そうですね」
透矢さんも心配そうな顔をして俺に向き直ってきた。
「最近元気がないんだけど、今のはダントツでおかしかったな。蓮くんは何か知っているかい?」
「いえ、思い当たることは・・・」
「そうかい・・・」
俺はこの人に初めて嘘をついた。
璃子が落ち込んでいる原因を俺はよく知っている。だが、俺はそれを正直に打ち明けることができなかった。
案の定と言っていいのか、どうやら璃子は家でも元気がないようだった。
最近は俺が璃子のことを気にかけ始めたためマシになったと思っていたが、それでも家族の目は誤魔化せないらしい。
美鈴さんも今の会話を聞いていたら同じような事を言っただろう。
「何か学校であったのかな」
「さあ、隣のクラスなので詳しくはわからないです」
透矢さんはあまり口にはしないものの璃子のことを心配そうにしていた。
俺も璃子とは長い付き合いなので、今の手紙の内容が何かしらひどいものだったのだということはわかるが、それだけであんなに動揺するとは思えない。
何か心を揺さぶられることでも書いてあったのだろうか・・・
「それはそうと蓮くん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「はい? なんですか」
透矢さんが俺に頼みごとをするなんて今までなかったので、俺は驚いた。
普段から落ち着き払っており、町内会でもリーダー的存在の人物の少し不安な顔を見せるなんて珍しかった。
「璃子のことなんだけど、君にお願いしたいんだ」
「はい?」
「どうやら私たちでは、璃子の悩みを解決するのは難しいかもしれない。あの子はああ見えて親友と呼べるような存在は少ないから、君にしか頼めないんだ」
確かに璃子は多くの人と仲がいい。学校だけにとどまらず、町内の老人会や商店街でも璃子は人気者だ。
葉島が学校のマドンナ的存在だとすれば、璃子はこの町の看板娘と言ったところだろうか。
あいつに親友と呼べる存在がいない・・・?
「あの子は何か悩んでいる。それはわかるんだけど私たちには深入りができない。どうか、頼まれてくれないだろうか?」
そう言われ俺は複雑な気持ちになる。
俺は璃子がなにで悩んでいるのか知っている。友達が失踪したことを誰よりも悲しんでいると理解している。
そしてそれを透矢さんに打ち明けることができず今もだまし続けている。
そんな中だ。俺みたいな卑怯者に頼むと言ってきたのだ。
いつもその背中を見てあこがれていた人物が俺にしか頼めないと言って俺のことを見ている。
俺は少しの後ろめたさとともに高揚感に包まれていた。
数年前には何度もお世話になり、地獄のような環境から救い出してくれた恩人。
俺は本当の意味でこの人たちの力になれるかもしれない。
「任せてください」
気づいたら俺はそう言っていた。
俺は自分の姿が見えないがきっと強い目ができていると思う。俺の中で新たに覚悟が決まった瞬間だった。
「璃子に何があっても必ず助け出して見せます。俺があなたたちにしてもらえたように」
「蓮くん・・・」
透矢さんは俺のことを驚きながら見ていた。その瞳は優しく、そして一人の父親として温かいものだった。
「たった数年でこんなに大きくなって。身長も私を越されてしまったし、心までそんなに強く。それだけの時間が過ぎたんだね・・・」
「透矢さん・・・」
数年前までは璃子の家にお邪魔して勉強を教えるガリ勉男。
それが今では父と息子のような関係になり、俺の成長を見守ってくれていた。
(俺はこの人に、この人たちにどれだけ守られていたのだろう)
だが今度は違う。俺がこの鳴崎家を守る番だ。
「頼むよ蓮くん、君に璃子のことを任せる」
「はい、行ってきます」
そう言って俺は璃子の部屋へ急ぐために階段を駆け上がっていくのだった。
※
透矢視点
「婚約の申し込みですか?」
私は妻に出されたお茶菓子を食べながら、妻が微笑んでそう言ってくるのを聞いて思わず笑う。
私たちは婚約という言葉にいい思い出はない。
それでも、私たちと蓮くんをつなぐ架け橋になってくれたのは事実なので、何とも言えない感情になってしまう。
「婚約も何も今どきそんなものはないだろう? 結局最後は本人たちの意志さ」
「そうですね。璃子も、もっと素直になればいいのに」
璃子の気持ちを知っているからこそ私たちは地味にもどかしかった。
この数年、二人のことをよく見てきたのだから。
「あとは蓮くんと璃子しだいだ。私たちは影から見守ろうさ」
「ええ。あの子たちはもう子供じゃないんだから」
いつの間にか成長していた蓮くんと、いまだに素直になれない私たちの愛娘。
この二人が一体どんな結末を迎えるのか。
それは、終わってみなければわからないだろう。ただ、私たちは少しでも良い方向へ転んでくれることを神様に祈った。
そんなこんなで、夜はさらに更けていくのだった。
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