バレンタインデーから始まる恋

北守

第1話・2月14日

 バレンタインデー。男たる者、この日に浮かれないわけがない。

 東高等学校1年生。深山孝文はこの日までぼっちを極めていた。女子はおろか男子ともろくに話したことがない。

 世間はもう2月。高校生活の3分の1がもう少しで終わる頃。心はバレンタインに浮かれた気持ちになりつつも、部活はやってない、委員会にも特に入ってない、学校行事もろくにクラスメイトと話せていない。そんな奴に、誰がチョコレートをくれようか。

 ふう、と息を吐く。朝からそわそわとして、結局いつも図書室で本を読んで時間を潰してしまった。

 この学校の図書室は一般にも開放されるほど、蔵書が多い。ライトノベルから専門書まで、暇つぶしにはもってこいだ。

その時、不意に遠くから、

「好きです、付き合ってください」

と言う告白を目にする。声の元を辿ると、図書室から見える校舎裏に……彼らは確か、クラスメイトである男子バスケ部の紺藤とその妹……。なぜ、兄妹でそんなところに。

 俺がその妹の存在を知っていたのには理由がある。兄である和樹の応援で何度か見たことがあったのだ。体育祭にも来ていた。「お兄ちゃん頑張って!」と声援を送っていたのを知っている。

 兄妹でバレンタインデーに校舎裏で告白? 字面が怪しげで興味をそそる。興味本位で見ていたら、妹の真っ赤だった顔が、真っ青に変わる。

「え、本気だったの?」

 俺は思わず呟いた。

 兄妹で? これは、もしかしてライトノベルによくある義理の兄妹というやつで、妹からの片想いだったって話? まさかまさか。

 泣きそうになっている妹を和樹が頭を撫でて慰めている。おいおい、それは逆効果なんじゃないか? 妹の立場だったらきっと、惨めな気持ちだろうに。

「お兄ちゃんなんて嫌い!」

 案の定そう叫び声をあげて、妹は走り去った。

 あ〜あ……。

 それにしても、それでも妹はこの時でさえも「お兄ちゃん」と呼ぶんだな、と意外に思った。兄弟という枠が嫌だったら、名前呼びでもおかしくないだろうに。

 しん、とした図書室。ぼちぼち人が減り、利用時間もそろそろ終わりに差し迫る頃、がらら、と図書室のドアを開ける音が響く。

 おずおずと現れたのは、先程の紺藤の妹である。彼女はキョロキョロとあたりを見渡し、バチリと視線があってしまった。慌てて俺は、本へと目を移す。

 全く本の内容は入ってこないが、彼女がゆっくりとこちらに向かって歩いてくるのが視界の端に見えた。

「深山先輩」

 そう呼ばれて、本から視線をあげると、想像通り、紺藤和樹の妹がそこにいた。

 彼女は困ったような、でも先程の一連のショックなのか、目が潤んでいた。もしかしたら、先程の出来事と今ここに来るまでの間に泣いていたのかもしれない。

「……ええと、紺藤さん?」

 そう呼ぶと、少しだけはにかんで唇と緩ませた。

「話があるんです」

「ええと、どんな用かな?」

 複雑そうな家庭に首を突っ込むとろくなことがない。SNSを眺めているとそう思う。

 手に短かに済まそうと、用件を伺うと、ビク、と肩が跳ねた。

「言わないと……ダメ、でしょうか?」

「だって、話があるんでしょう?」

 そう促すが、どうやらこの場では言いたくなさそうだ。まぁ、何人か人も残っているし、場所を変えたほうが彼女にとって良いのかもしれない。

「話しにくいなら、場所を変えようか」

 そう告げると、彼女はパァと明るくなり、花が綻ぶように目を細めた。

「じゃあ、途中まで一緒に帰ろう」

 俺と紺藤和樹とは中学が一緒だった。違うクラスだったが、学年首位の成績優秀者。この学校には推薦で入っていたと、噂で聞いている。

 恐らく家も同じ方向だろうと考え、提案すると、こくこくと頷いた。

 俺は鞄を右手に取り、左手に持っていた本を返却棚に置いた。図書室を出ると、おずおずと彼女はついてくる。

 図書室を出て、校舎から出て、電車に乗るも、彼女は無言だった。

 あれ? 同じ方面だとは思っていたけど、家はどこなんだろう。

「紺藤さん、家どのあたりだっけ?」

 降りるところ大丈夫?と声をかけると、彼女はだんまりだった。どういう意図だろう。まさか、俺の家までついてくる気?

 義理の兄妹で亀裂が入れば、確かに、家に帰りたくなくなるか……。

「俺んち来る? 終電までならいいよ」

 心の中でため息ひとつ吐きながら、俺は彼女にそう提案した。

「いいの?」

「だって、人がいるところで話したくないんでしょ?」

 そう問いかければ、うん、と頷いた。逆を言えば、終電までには帰らせる。出来るだけ、この兄妹には関わりたくはない。

「次の駅で降りるよ」

「うん」

 最初は敬語を使っていた彼女は少しだけ気が緩んだのか、素の彼女の言葉が見え隠れする。家では甘やかされてた感じなのかなあ。わがままそうではないものの、言葉尻が幼そうな声色だ。

 駅を降りて、徒歩15分。少し歩くが一戸建ての我が家に着いた。二階建てのそれは特に特徴もない、至って普通の家だ。強いていえば、母が家庭菜園が好きで庭がちょっとだけ広いくらい。

「ただいま」

 時刻は20時40分。親はもちろん帰ってきており、揃っている。彼女のことをどう説明しようか。知人の妹?いっそ知人?いや、知り合いが家に来るって早々ないよな。そもそも、俺は今まで友達だって部屋に入れたことがない。だって、俺はぼっちだから。

 面倒なことになりそうだけれど、無難に行くか。

 彼女を2階へと促し、一言。

「友達来てるから、部屋には入らないで」

 そう言い捨てて、階段を上がった。ざわ、と両親が何か話す声が聞こえた気がしたが、無視して、俺は彼女を部屋へと案内する。

「悪いんだけど」

 そう切り出すと、彼女はまた怯えを見せた。甘やかされてると思ったけど、やっぱり扱われ方が雑なのかなあ、なんて空想する。

「……女の子どころか、友達も家に上げたことないし、おもてなしできないけどゆっくりしていって」

 いや、できればすぐに帰ってくれ。

「イヤ」

 ……いや?

「帰りたくない」

「……お兄さんと喧嘩したから?」

 そう問いかけたら、きゅ、と唇を結んだ。

「やっぱり。あの時、深山先輩、私たちのこと……見てた」

「あの位置からだと、見えるからね」

 まぁ座りなよ、と俺は勉強机の椅子を勧めた。そして俺は、ベッドに腰を下ろす。

「話も……聞こえてた?」

 勉強机の椅子には座らず、おずおずと彼女は聞きづらそうに尋ねるので、俺はやや正直に答えた。

「全部は聞こえてないけど、ところどころ」

 まぁ、内容に言及することではないかな、と思ったのでそういうことにしておく。

「す、好きなんです……」

「うん、そうらしいね」

「き、気持ち悪く、ないですか?」

「人それぞれだし、いいんじゃないかな」

 お兄さんのこと、好きだったのはよくわかる。成績優秀で顔もなかなか良い方だもんな、兄妹でなければ惚れるのも納得がいく。そう心で同意していると、彼女は、話していくたびに嬉しそうな表情を浮かべた。

「これ……っ」

 小さなショッパーバックらしきものを俺の胸に押し付けた。

「え?」

 思わず両手で受け取ってしまったけれど、可愛らしい紙袋に包まれたものを受け取ってしまったけれど、どういう話の流れ?

「今日は、バレンタインデーなので……っ」

 そう彼女は言う。まさか、チョコレート? お兄さんに渡そうとしてたのかな。彼女はその袋をその場で袋を俺の鼻に寄せた。

 チョコレートの甘い香りが鼻腔をくすぐる。

「チョコレートの香りだけでも!」

 視線を彼女から袋の中に視線を移すと、その中にはビリビリに引き裂かれた包装袋が散らかっていた。

「お兄さん、そんな酷いことしたの?」

 そう尋ねると、彼女は和樹とのやりとりを思い出したのか、グスンと泣き出しそうな表情を浮かべ始める。

「せっかく用意したのに……、深山先輩にあげる分のチョコレート、お兄ちゃんに食べられちゃったんです……」

「ん?」

 誰にあげる分のチョコレートだって?

「ごめん、どういうこと? 君、お兄さんに用意したものじゃなかったの?」

 そう問いかけると、彼女は「え?」と聞き返した。

「お兄ちゃんに、深山先輩に告白する予行練習最終チェックをしてもらってたんですけど、なぜかお兄ちゃんが深山先輩に渡すはずのチョコレートをそのまま受け取ってその場で食べちゃって……見てたんじゃなかったんですか?」

「いや、てっきり、俺は君がお兄さんのことを好きなんだとばかり思ってたんだけど」

「お兄ちゃんなんか大嫌いです! もう! 信じらんない!」

 溢れんばかりに涙を溜めて叫ぶ彼女。

 あれ? ということは複雑な家庭環境とかは一切ない普通に兄妹仲が悪いってこと? でもそれならば、予行練習なんてこと一緒にはしないだろう。元々そこそこ仲が良いのは今までの学校行事に現れる彼女の姿でよくわかる。

「深山先輩、私と付き合ってくださいっ! お返事、待ってます!」

 そう告げると彼女は深々とお辞儀をして、慣れない階段をたたたと駆け下り、「お邪魔しました」と一言添えて、家を出て行った。

「ちょっと待ってくれ……」

 そもそも彼女はどこで俺を知ったのか? 俺たちの間には何もなかったじゃないか。

 今日初めて会話して、下校しただけなのに、彼女は一体いつから俺を気に留めていたのかすらわからない。

 俺は君の下の名前すら知らないのに、どうやって彼女の告白に答えればいいのか。

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