第93話

 想次郎が目覚めると、そこは見知らぬ部屋の中だった。


 木製の天井や壁は酷く朽ちており、カビと埃の臭いが鼻を突いた。想次郎が眩いと感じたのは割れて吹き抜けになった窓から差し込む日の光だった。果たして今がいつなのか、想次郎には判別が付かない。少なくとも夜ではないようだった。


「あ……、エルミナさん」


 反射的に掴んでしまったままになっていた手を確認し、ようやくその手の主に視線を向け直す。そこには怪訝そうに眉根を顰めるエルミナの姿があった。


「ん? どうした?」


「気が付いたのか?」


 次いで奥の方から聞こえてくるナツメとシナリスの声。


 しかし、エルミナは自身の手を掴む想次郎の手を乱暴に払い除けると、心底残念そうな表情でふるふると首を振った。


「いえ、残念ながら彼はもう……」


「え!? い、生きてます生きてます! 勝手に臨終したことにしないで!」


 いまいち状況を受け入れられずにいる想次郎だが、とにかく死んだことにされては堪らないと、慌てて上体を起こす。


「ったく、悪趣味な冗談だな。俺らはこのメガネのお陰で助かったってのに」


「すみません。また起き抜けに何か気味の悪い寝言を言われるかと覚悟していたのですが、想定の3倍気持ち悪かったので」


 呆れるシナリスに対しエルミナは平然とそう返した。


「それと、急に手を握るのはやめてください……」


 その言葉はやけに小声であった為、想次郎は聞き取れずに首を傾げる。


「え? なんです?」


「何でもありません」


 エルミナはほのかに頬を赤くして顔を背けてしまった。無意識下のこととはいえ、同じ過ちでまたもエルミナを怒らせてしまったかと、想次郎はとりあえず反省した。


「あの……僕、どれくらい眠っていたんですか?」


 まだぼんやりとする頭を労わるように手で支えながら、想次郎はエルミナに問う。


「ざっと半日程です。気を失ったあなたに無理矢理回復薬を飲ませてこの小屋に運びました。とにかく安静にした方が良いかと思たので。今はもう翌日のお昼ですよ」


「ここは……」


 想次郎が寝かされているのは木製のベッドのようだ。想次郎は改めて辺りを見回してみる。クラナ親子の宿とも違う。そこはやはり想次郎の見知らぬ場所だった。


 長年手入れがされていないであろうその建物の室内は酷い有様で、いつぞやのシナリスと相対した廃墟小屋を思い出した。今想次郎が身体を預けているベッドも、果たしてベッドと呼べるか怪しいもので、まるで適当に木材を押し固めたような有様だ。体重で崩れないのが奇跡に思えた。


 辺りの床には金属製の皿やコップが散らばり、湿気でぐずぐずになった紙きれが散乱している。まるで小屋自体を持ち上げて乱暴に振り回したかのように室内は雑然としており、物があるべき場所に配置されていない。


「ここは俺が普段寝泊まりしてる小屋だ。元は誰のものかは知らねー。ただ見つけて誰も住んでなさそうだったから俺が勝手に使ってる。見た目はアレだが、結構便利だぞ。川だってすぐそこにあるしな」


 シナリスが説明するには、ここは街へ戻る途中にある打ち捨てられた廃小屋とのことだった。意識のない想次郎を安静にできる場所へ運ぶ必要があったのに加え、各々の体力も限界だった為、シナリスの提案で今に至るらしかった。


「そう……なんだ……」


 意識を完全に取り戻した想次郎だが、まだ頭はぼんやりとしていて上手く思考が纏まらない。何かを考えようとする傍から霧散していくようだった。


(こんなところで寝ている場合じゃない筈……)


「しっかし、ホントよくこんなボロいとこ住めるよなー、あははは! その神経を疑うよ」


 苦悩する想次郎を余所に、ナツメは茶化すように笑い声を上げた。


「ほとんど野生動物のてめーだけには言われたくねー! 年中野宿だろーが!」


「んだと! やるか?」


 例によって絵に描いたような売り言葉に買い言葉が繰り広げられる。


「あの、静かにできませんか?」


 今にも取っ組み合いが始まりそうな二人に向かい、声量は抑えめながら妙に威圧感のある語気でエルミナが一言言い放つ。すると途端に二人の動きがピタリと止まった。


「おお、すまん……」


「ごめんなさい……」


 そしてそれぞれ素直に反省の意を示す。


 そんな様子をぽかんと口を半開きにしたまま眺める想次郎。気を失っていた想次郎には知る由はないが、どうやら彼の与り知らぬところで三者間での力関係はすっかり定まってしまっているようであった。


「喉、乾いてませんか? 想次郎さん」


「え? ええ……まあ……。そういえば、少し……」


 と曖昧に答えたものの、実のところ想次郎の喉はからからに乾いていた。ドラゴン討伐時からろくに何も飲まず、そのまま気を失った為、当然だった。


「ちょっと待っていてください。外で水を汲んできます」


「あ! あたしは何か食べられるもんないか探してくるよ!」


 エルミナに続き、ナツメは元気よく手を上げながら食料調達に名乗りを上げる。


「ネズミの死骸とか虫とかは勘弁しろよ、猫娘」


「あ? 殺すよ?」


 先程エルミナに釘を刺された手前、あまり声を荒げることができず、低い唸り声を上げながらシナリスを睨み付けるナツメ。


「この辺なら上手くすればジャッカロープが狩れる筈だよ。果物とか木の実も多少はあるだろーし」


 程なくしてナツメとエルミナは小屋を出て行った。部屋には想次郎とシナリスが残される。


「まあ、何はともあれ無事で良かったぜ」


「うん……ありがとう……」


 そう返しながらも想次郎の頭は纏りきらないでいた。先程の夢の記憶がまだ頭に残っている。しかし、普段の夢と同じで既に記憶が曖昧になりかけていた。記憶を辿る傍から所々薄れていくようで何とももどかしい感覚。まるで質量のない何かを掴もうとしているようだった。


 本当に夢だったのか。想次郎はそれすらも確信が持てなかった。


「礼なんていうな。俺が誘ったんだ。それで死なれたとなっちゃぁ寝覚めがわりぃ」


「でもこれで目標達成できたんだよね。ドラゴン討伐」


「ああそうだ。メガネ、お前の手柄だ。ったく、お前には負けっぱなしで腹立つぜ、チクショウ」


 そう言いながらもシナリスは全く悔しそうな表情ではなく、むしろ満足げであった。


「あのドラゴンを、しかも悪魔の斥候をだ。お前は倒したんだ」


「悪魔の斥候……」


 不意に出たシナリスの言葉が想次郎の頭に引っ掛かる。


「悪魔の…………。魔王の……配下……」


 口に出しながら以前シナリスから教わった内容と想次郎の現実世界での記憶とを結びつけていく。


「魔王っ!」


 そしてそれらが一つに繋がった瞬間、想次郎の中で靄のようだった記憶が急に色を取り戻した。


「急にどうした?」


 シナリスは急に荒げた想次郎の声に一驚しながらも、怪訝そうに尋ねる。


「だから魔王だよ! 大変だ! 早っ――」


「落ち着けって!」


 シナリスはベッドから無理矢理這い出そうとする想次郎の肩を押さえつけ、何とかベッドに収めた。


「何がなんだかわからねーが、お前はもう少し休んだ方が良い。傷は回復薬で塞がってるが、魔力は消耗しちまってるだろーしな」


「っで、でも!」


「皆戻ったら話を聞いてやる。それまではいーから大人しくしてろ。聞けねーっつーなら、はっ倒すぞ」


 シナリスに押し切られ、想次郎は仕方なくベッドに横になった。


 それを確認すると、シナリスは小屋の出口へ向かう。


「シナリス?」


「俺も水汲み、手伝ってくる。女どもだけに働かせるのは気が引けるからな」


「あ……うん……」


 今この状態で焦ってもどうにもならない。想次郎は逸る気持ちをどうにか抑え、ひとまずは三人の帰りを待つことにした。


 加えて想次郎の感じている憂懼には何の根拠もない。果たして説明したところで皆が真に受けてくれるか、それすらも怪しいものであった。


「一体何がどうなってるの……」


 何が真実で、何が虚構なのか。


 何よりも想次郎自身、焦燥感を抱きながらも己を信じて良いのかわからなくなっていた。


 仰向けになりながら想次郎は自身の手のひらを見つめる。あちこちが傷だらけだった。


 しかし、想次郎は確かに今、そこにいた。







------------------フレーバーテキスト紹介------------------

【モンスター】

獣族C1:ジャッカロープ

鹿のような角を生やした大型の兎型魔獣。肉は一般的な兎肉と遜色ない味で、その毛皮や角は服飾に加工される。また雌の出す乳は解毒薬の材料の一つとされる。まさに余すところなく活用できる魔物だ。アルコールに惹き付けられる習性がある為、よく酒が罠に用いられる。

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