第139話:英雄の帰還

「お、終わったの……?」


 ミラベルがおずおずとひとりごちる。

 すると、アリスが額に手を当て、


「ひゃぁー……。こうなるんですかぁ」


 と感嘆の声を漏らす。

 隣のアンジェリーナは絶句し、頭を抱え蹲ってしまった。

 カルベローナが慌てて、倒れているルーナの元に駆け寄った。


「ミラベル! 呆けてないで回復と救助! メスタさんも!」


 メスタとミラベルが慌てて続き、回復魔法をかけていく。

 ふと、ブランダークが言った。


「……静かになりましたな。外の戦闘も終わったかと思えますが」


「――そうですね」


 女王はルーナたちが無事なのを横目で確認してから、振り返る。

 そして、かつて黒竜だった男――ベルヴィンをまっすぐに見、言った。


「……私が、誰だかわかりますか?」


 ――その質問の意味が、意図が、今ならわかる。


 だが同時に、こうも思うのだ。


 ――これは、呪いだろう。


 答えもなく、ただただ何かを求めて、千年間、親から子へ受け継がれてきた、呪い。

 最初はきっと、希望だったのだろう。

 きっと会える。もう一度、巡り会えることができる。

 それが願いとして受け継がれ、長い長い時がたち、受け継がなければならない呪いとなる。


 答えがあるのならば、それで良い。

 それで多くの人が救われるのならば、この行いに意味があったのだとわかるのなら――。

 だが彼女は、いつ答えが出るかもわからない何かを、受け継ぎ続けていたのだ。


 それは……いやだろう。

 それは彼の直感であり、人となりである。

 だから、言った。


「貴方は、フランギース・ガジット。――他の誰でも無い。……ましてや、私の――妹の、代わりでも無い。……少し似ているだけの、違う人です」


 彼女は一度だけ目を瞬かせると、少しだけ恥ずかしそうにはにかんだ。


「……本当に、そう。たったそれだけの為に、私たちは貴方を待っていた。――何だか、おかしな話ですね。……時が、経ちすぎてしまった」


 それは彼女にとっての救いであり、同時に彼に取っての絶望でもある。


 ――千年。


 あまりにも大きな時の隔たり。

 現実味がなさすぎるほど、長い長い時間。


 ――妹は、父は、母は、俺がいないまま年を取り、亡くなったのだ。


 もう二度と、会えない。

 帰る場所など、あるわけもない。

 千年、経っているのだ。

 ふと、女王が未だに蹲っているアンジェリーナに言う。


「アンジェリーナさん、聞きなさい。――とても、大切な話です」


 すると、恐る恐る顔を上げた彼女が、蒼白の色で呻く。


「で、でも、私は……酷い無礼を、働きました。それに、メリーと――」


 だが女王はそれに答えず、次にバーシングを見る。


「貴方の貢献にも、応えなければなりませんね」


「んん? お、そうだな。だが――ううむ、ちょっと困った。考えることが多い。……まだあるのか?」


 女王はくすりと微笑んでから、語りだす。


「千年前、ビアレスは約束を果たしました。――貴方が守った妹、ランという名の少女の左手には、[刻印]が刻まれていたのです。それを追って、ビアレスは〝次元融合〟を果たし――二つの世界との、交流が始まりました。ベルヴィン、貴方のご両親も、この地に訪れたことがあるのですよ」


 それは、小さな救いではある。

 だが、心のどこかでビアレスならばやるだろうという確信もあった。

 ……女王は、励まそうとしてくれていることくらいはわかる。

 だが、そういうことでは無いのだ。

 この感情は、理屈では無いのだ。

 即ち、


 ――俺は、もう会えない。


「そうして、蘭・伊藤という少女は、賢王と貴方が守り抜いた遺児、ロード・ミュールと恋に落ち、三人の子を成しました。最初に、前ミュール王との名を掛け合わせ、グランドリオ。次に、そのものであるという意味、そして貴方の継ぐ家の名、ギネス・イット、最後にいつか王位を継ぐ者、新たな時代を始めるものとして、ミュール・アーリーエイジ」


 アンジェリーナが、息を呑む。

 傍らのアリスは、どこか納得した様子で目を閉じる。

 バーシングが困惑し、言った。


「待て、女王。……ビアレスは、どうなった。お前は――」


 女王が言う。


「私は、ビアレスの血を継いでいません。彼の血統は、今もこの国とともにあります」


 バーシングは言葉を失い、ただ意味もなく息を吐き、押し黙った。

 彼もまた、思うところがあるのだろう。

 アンジェリーナがようやく、震える声で言った。


「で、では……父は……」


 すると女王はどこか悲しげな顔になる。


「あまりにも、長く時が経ち過ぎてしまった。……最初の願いが忘れ去られ、呪いとなってしまうのには十分すぎるほどの――。失われてしまったものも、たくさんあります。〝次元融合〟の先の世界との交流も、失われてしまいました」


「……何故、失われたのだ?」


 と、バーシング。

 女王は首を振る。


「わかりません。ただ、事故があった、と記されています。――ビアレスの死後間もない頃に」


 遺跡の外から、[飛空艇]のエンジン音が聞こえてくる。

 女王は少しばかり安心した様子で息を吐き、言った。


「どうやらこの領界には私の[言葉]が届いてくれたようです。――やるべきことがたくさんあります」


 皆、女王に促され、遺跡の外へと向かう。

 ふと、途中で足を止めた女王が振り返る。

 真っ直ぐな瞳で、ベルヴィンを見据えている。

 そして彼女はどこか迷ったような素振りを見せ、一度視線を落とし、それでもまっすぐに見、言った。


「……死なないで、くださいね。――貴方は、ようやく帰還を果たしてくれたのですから」


 そうして彼女は深く頭を下げ、皆の後を追った。

 そうして、ブランダークが最後に残る。

 彼は特徴的なあごひげを指先でいじりながら言う。


「いやはや……よもや、自分の代でとは夢にも思いませんでしたなぁ。しかし、千年、ですか――。[翼]の、と呼べば良いのか。それともベルヴィン殿、と……?」


 彼の息遣いを、ベルヴィンは知っている気がした。

 それは直感であり、むしろ似ていない部分も多くある。

 だが思わず言ってしまった。


「――ローラックか?」


 ブランダークは、息を飲み、目を見開いた。

 だがすぐに彼は、嬉しそうに笑みを浮かべ、想定外だったと言わんばかりに頭を抱える。


「リディル・ゲイルムンド殿は、姿形が違えどザカールを見抜いたということを忘れていました。――貴方の、血縁でしたな」


「血は関係無いよ。だけど――そうなのか? すまない、ローラックに似ている気がしたが、勘違いだったようにも思える」


「いいえ。貴方は正しい」


 すると、彼の体からどす黒い輝きが溢れ、わずかに魔人族の甲殻が透けて見えた。


「魔人ローラック。自分は、かつて最初に人に下った魔人と、契約を交わした者であります。――正確には、自分で三十代目でありますが」


「……ローラックでは無いのか?」


「自分でもわかりません。……彼はザカールと、逆をやったのです。体を奪うのではなく、自らを友に捧げる。そして、意識は友のまま、思いと願いだけを受け継がせる。――同じようにして、自分も先代から受け継ぎました。全ては……ローラックの愛した人々を、守るため。――ローラックとは、親しかったのでしょうか……?」


 ああ、そうか。

 ベルヴィンは何故こんな当てずっぽうを言ってしまったのかを理解する。


 ――俺は、本当に一人になってしまったのだ。


 そんな現実から、逃げたかったのだ。

 ローラックがせめて、覚えてくれていれば。まだ一人では無いと、そう、思いたかった。

 だがそれは叶わない。

 ローラックは、自分を捨てて誰かを生かす道を選んだのだ。

 だから今、ブランダークはローラックの記憶は持たず、ここにいるのだ。


「……友達だったよ」


 ベルヴィンは短くそう答え、遺跡の外へと向かった。

 死なないで、という言葉だけが胸に刺さったまま――。

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