第134話:古き翼の王の真実
巨大な昇降機に差し掛かったところで、アンジェリーナはつい今訪れた望まぬ来客に苛立った。
「ルーナ・チェルンさんを信頼したのは間違いだった。こうも簡単に絆されて――」
ルーナは怯えた様子で視線を落とし、
「だ、だけど……」
とくだらない言い訳をした。
不意に、リディルが言った。
「ねえ、アンジェリーナちゃん。――足元にいるそいつら、気づいてる?」
意味がわからない。
それをリディル流の嘘だと理解したアンジェリーナは、鼻で笑った。
「くだらない」
「――それは駄目だよ、アンジェリーナちゃん。そいつは、ここで殺しておく」
リディルが[貪る剣]を抜き去ると同時に、アンジェリーナの足元から放たれた稲妻が騎士たちを貫いた。
対応に遅れたアンジェリーナの首元に向けて、影から現れた黒い何者の鉤爪が振り下ろされる。
瞬間、圧倒的な加速と跳躍でアンジェリーナの腰元に滑り込んだリディルが、その鉤爪を腕ごと[貪る剣]で切り飛ばした。
アンジェリーナは反応することもできず、べたんと尻もちを付いた。
その黒い何者か――黒殻騎士団のヴァレスが笑った。
「うははは! 流石は剣聖! 楽しいなぁ!」
リディルは無視して追撃するも、ヴァレスは影の中に消える。
アンジェリーナは叫んだ。
「黒殻騎士団のヴァレスは! 艦隊支援だったはずだろう!」
すると、影の中から声だけが響き渡る。
「[支配の言葉]ってのはなぁ! 既にビアレスに対策が取られている時代遅れの産物だということがよぉくわかった!」
「ルーナちゃん!」
リディルが怯える少女の名を呼ぶ。
ヴァレスが影の中から続けた。
「小娘共にはなぁ!」
リディルは影に紛れるヴァレスの位置を正確に把握し、[貪る剣]を突き立てた。
バチン、と闇の魔力が爆ぜ、[貪る剣]の切っ先を鉤爪でかろうじて反らしたヴァレスは何かを放り投げ、叫ぶ。
「来い! ディアグリム!」
投げられた小さな球体が割れ、中から爆発的な魔力の奔流が溢れ出す。
それが〝次元融合〟の瞬きだと気づいたリディルは、咄嗟にアンジェリーナを抱きかかえ距離を取った。
そして、魔力の中心から巨人と見間違えるほどの漆黒の巨体が姿を現した。
※
ミラベルは女王に続いて奥へ、奥へと進む。
次第に皆の口数は減っていった。
代わりに、[記憶]として再生されるビアレスたちの言葉だけが響く。
『――他の連中はどうした』
すると、暗闇から姿を現した騎士が、兜のバイザーを開ける。
捻じれ曲がった角をした、勝ち気な様子の女性が、疲れたように視線を落とし、言った。
『計画通り、艦隊の護衛と周囲の掃討』
『そうか。まー無事ってんならそれで――』
『私のところは、二人死んだ。――助けられなかった』
『……そうか』
ビアレスがわずかに声を落とす。
だがすぐに彼は踵を返し、言った。
『かなりの数がいたもんな。相当重要な場所っつーことなのか?』
すると、また暗闇の中から半透明な影がぬらりと現れる。
その影の主であるドラゴン――[オルドゥーム]が、言った。
『そうだ。ここを抑えることは、[イドルの悪魔]の根幹に迫ることとなる』
『――[イドル]、ねぇ……。おとぎ話って言ってたよな? あー、誰だ、ガラバだったか? ボズン?』
すると、一人の騎士、ガラバがうなずく。
『両方だろう、たぶん。悪戯をする子供が聞かされるおとぎ話だから……ボズンもそうだろう?』
『はい。母から良く――。自分はやんちゃだったようで。……ですが、少し驚きました。ガラバ……殿もそんな時代があったのですね』
『父は古い貴族ではあったが、聡明な方であった。泥だらけになるまで遊んでも、笑って許してくれたよ。まあ、妹ができてからは、流石にな?……立派な騎士であった。我らはそれを、後に繋げなければならない。――すまない、[イドルの悪魔]の話だったな』
広い通路を、[記憶]の彼らに連れられ、進んでいく。
やがて螺旋状の大階段へと差し掛かると、ビアレスはげんなりした様子で言った。
『まだ下んのかよ……』
オルドゥームはうなずく。
『これで、最後だ。……深淵の彼方から生まれた[闇の神イドル]と対峙するためには、我らも闇へと降りなければならない』
『悪い子は[イドルの悪魔]に連れて行かれる、とよく聞かされた』
と、ガラバ。
『自分の場合は、それがザカールだったこともあります。[イドルの悪魔]の御使いザカール。知らない人についていくと、それは実はザカールで、[イドルの悪魔]の生贄にされてしまうとか』
ボズンが続くと、最後にビアレスがオルドゥームに向け言った。
『で、自称最古のドラゴンさんよ。実際のとこはどうなんだ? うちのオーラン隊長さんは、ザカールが[イドルの悪魔]を呼び寄せたとか言ってたぜ?』
オルドゥームは少しばかり考え、言った。
『全てが正しいのだ、ビアレス卿。全てが真実であり、それが事実に結びつく。――着いた。ここが、その場所だ』
さーっと記憶の映像が消えていく。
ミラベルたちは、螺旋階段の最下層、巨大な空洞へとたどり着いていた。
中心部分が見えないほど漆黒に染まった穴が空いており、ここからは〝飛翔〟や〝浮遊〟の魔法を駆使していくのかと考えたが――。
どくん、と何者かの鼓動が全体に鳴り響いた。
同時に、中心の漆黒が空洞では無いことに気づく。
「これって――」
思わず、ミラベルは息を飲む。
それは、ドロドロとした漆黒の――光を一切反射しない、液状の何かだった。
だが、腐臭がするわけでもなく、むしろこの暗闇に対して安心すらも覚える。
引き込まれてしまいそうになる魅力と同時に、漆黒の側からの明確な拒絶の力も感じる。
相容れぬ何かが、混ざり合っているような――。
そして、[記憶]の光が瞬いた。
バチンと雷鳴が迸り、ロード・ミュールの持つ宝剣が闇の影を貫いた。
すると、宝剣に闇がやどり、禍々しい姿へと変貌していく。
『ロード!』
傷つき片膝を付いた兄が名を呼び、自身の魔力をロードへと送る。
同じくボロボロの[古き翼の王]が、ロードへと魔力を送る。
『制御するのだ! [イドル]の力を別のものへと変え、お前のものとしろ!』
闇が轟き、周囲を覆い隠していく。
ロードが叫んだ。
『みんな、力を――!』
宝剣が瞬いた。
闇が宝剣に、貪られるようにして集まっていく。
やがて宝剣は禍々しい姿へと変貌し、[貪る剣]となった。
そしてそのまま[貪る剣]は闇の塊から全てを貪り尽くしていく。
だが、[貪る剣]は膨大な闇に耐えきれず、再び闇を溢れさせた。
同時に、一帯から色が失われていく。
『世界の理が、崩壊する――。[古き翼の王]よ、[イドル]は今、どうなっている! 今が、その時なのか!? [闇の神]は、世界から失われたのか!? だからこうもなる――これで正解なのか!?』
ロードが[貪る剣]を、闇の深く、深くへと刺しこんでいく。
[古き翼の王]がマティウスを見、そしてロードに視線を送り、言った。
『ああ――理が、崩れた。お前たちは[闇の神]の力を削ぎ、神の座から引きずり下ろすことに成功したのだ。我々は、勝ったのだ……!』
[古き翼の王]は力強き羽ばたくと、ロードの頭上で翼を大きく広げた。
そして溢れ出る闇が、[古き翼の王]へと吸い込まれていく。
ロードが叫んだ。
『他に――他に、手は無いのか!』
『良いんだ、友よ。理が崩れれば、世界のあり方が歪んでしまう。それでは魔人の思うツボだ。だから、誰かがその身を世界へと捧げ、[闇の神]の代わりをしなくてはならない』
マティウスが、悔しげに言った。
『[古き翼の王]よ、貴方と出会えて光栄だった』
闇が吹き荒れると、ロードは中心から弾き飛ばされる。
咄嗟にマティウスは傷ついた弟を抱きかかえた。
闇に覆われ、ドラゴンの形すらも保てなくなった[古き翼の王]は、最後に言う。
『ロード、そしてマティウス。お前たちの旅が、報われることを祈っている』
そして、[古き翼の王]の姿は完全に消失し、闇の漆黒へと形を変えた。
さーっと景色が流れていく。
見れば、ビアレスが漆黒の前で片膝を付き難しい顔をしていた。
『――これが、本物の[古き翼の王]だってのは……笑えねえな。――それならアレはなんなんだ? あのくそったれドラゴンさんはよぉ?』
オルドゥームが、悲しげな様子で言った。
『……ドラゴンが、それを望んだのだ。[古き翼の王]を失い、同時に生きる希望も見失った者たちが――ザカールに、縋ったのだ。もう一度、[古い翼の王]に会いたいと、導いて欲しいと』
『……そんで出てきたのがアレかい。酷え話だ。――ザカールが何か仕掛けたのか?』
『いいや、おそらくは違う。――闇の中に残っていた[イドル]の性質と……我らドラゴンの、願いが混じり合ってしまったのだと思う』
『混ざって……どうなんだよ』
『恨みが、勝ってしまったのだ。人から伝えられた[古き翼の王]の死と、[闇の神]への昇華。信じない者がこれほど多く出てしまったのは――私の、怠慢だろう。[古き翼の王]という存在の大きさを、理解しきれていなかった。ここまで大きな拠り所だったとは……きっと乗り越えていけると、信じた私が、浅はかだったのだ……。人に殺されたのだと、都合よく道具として使われたのだと、多くのドラゴンはそう考え――今の[古き翼の王]を生み出したのだ。本当の[古き翼の王]は、我らも、人も、守ってくれているというのに……』
『……やるせねぇな、そりゃ』
ビアレスがつぶやき、小さくため息を付いてから言った。
『――そんで、鍵ってのは? 俺たちはテメーの思い出話を聞くために来たわけじゃあねえぞ。……こっちに来てから知り合ったダチも大勢死んだ。そいつらの命に、見合うだけのモンがあんだろうな?』
オルドゥームは頷き、暗闇を見据えながら言った。
『価値はある。――これより、我らの真の王、本当の[古き翼の王]を蘇らせる。[闇の神]の化身として――』
そうして、漆黒の闇が蠢き始める。
また何か起こるのか、とミラベルは注視したが――。
違う、と直感し、叫んだ。
「これは、現実です! 来ます!」
皆が慌てて戦闘態勢に入ると、闇がせり上がり、全てが一点に収束し、一人の漆黒の騎士が姿を現した。
その姿は、[紅蓮の騎士]と酷似している。
闇の中心から生まれた騎士が、言った。
『これは、俺のものだ――』
ミラベルの中の、何かが強く共鳴し、輝きを放つ。
「な、何――」
同時にミラベルと、女王と、メスタの左手に刻まれた[刻印]が灼熱に染まった。
[刻印]から赤黒い閃光があふれると、それは闇から現れた騎士にべたりべたりとまとわりついていく。
そして、それは、[紅蓮の騎士]そのものとなった。
同時に、[紅蓮の騎士]から膨れ上がった赤黒い闇が、その[刻印]の主三人を飲み込もうと闇を広げる。
わずかに、反応が遅れた。
ブランダークが咄嗟に女王を抱きかかえ横に飛ぶ。
ミラベルは、自分の身よりも、カルベローナの安全を優先してしまった。
カルベローナを突き飛ばしたミラベルは、そのまま闇に飲み込まれる。
そして、全ての意識はそこで途絶えた。
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