第114話:再誕

 纏った[古き翼の王]の衣が魔力風にのってたなびく。

 リディルが腕に抱いたメリアドールは、どこか陰鬱な様子だ。

 何かを迷っているような、恐れているような、気づいてしまったような。

 そんな、息遣い。


 無理もない、とリディルは思う。

 [イドルの悪魔]に取り憑かれていたのだ。

 人の闇を体現する悪魔とまで呼ばれた、神話の中の怪物。

 それに、支配されていたのだ。


 でももう、脱した。

 彼女は救い出されたのだ。

 だから、きっと――。


 旗艦[ロード・ミュール]がしずしずと近づいてくる。

 [リドルの鎧]の驚異的な浮力により、リディルは艦の甲板にふわりと静かに着地した。


「メリー!」


 アンジェリーナが泣きそうになりながら駆け寄る。

 メリアドールはどこか呆然としたまま、ちらと彼女を見た。

 見れば、彼女だけでなくアリスやメスタまでやってくる。

 みんな、心配していたのだ。


 ふと、リディルは纏った[翼]の彼が元に戻らないことを不安に思いながら、メリアドールをアンジェリーナに任せた。


 アンジェリーナがメリアドールにギュッと抱きつく。

 リディルはメスタに問う。


「メスタちゃん、何か変なことある? 体の感じとか」


「え、変……な、何が? 何だ?」


 背後でアンジェリーナが泣きながら言う。


「メリー、ごめん、ごめんね、本当は私――」


 リディルがメスタに言う。


「この黒いマントみたいなの、[翼]君なんだけどさ」


「はあ!?」


 と、メスタだけでなくアリスまでもが驚愕した。


「そ、それ、どゆことです!? どういう意味!? [翼]くんってぇ、それが正解なんですか!?」


「知らないから聞いてるの。戻らないみたいなんだけど」


 背後で、メリアドールがアンジェリーナを抱き寄せ、耳元で何かを囁いた。

 ぴくん、とアンジェリーナの肩が震える。

 メスタが唖然とし、答える。


「そ、そう。だけど、変わったことって言われても。何で私だ?」


 相変わらず鈍いな、とリディルはため息をついた。

 彼女の左手にも、[刻印]はあるのだというのに。

 その時だった。


 メスタは、何かを感じ取り、目を見開き、震える指で額に触れた。

 彼女はびっしりと脂汗を浮かべている。


「……メスタちゃん?」


 リディルの背後で、メリアドールの唇が、アンジェリーナの首筋に振れる。

 アリスが言った。


「メスタさん疲れてるんですよお。だから、ね? 明日から一年か二年くらい全部お休みにして――」


 一瞬、メリアドールの表情が恐怖に満ちる。

 彼女は視線を泳がせ、呼吸を荒くし、最後に縋るような顔でリディルを見た。

 メスタが、荒い呼吸のままメリアドールをまっすぐに見据える。

 リディルはきょとんとし、振り返った。


「メリーちゃん?」


 冷たい風が、吹き始めた。

 それは心の臓を凍りつかせるような、奇妙なおぞましさを孕んでいる気がした。

 兜の内側に備え付けられたセンサーが、即座に起動する。


「……メリー、ちゃん?」


 そこに表示された内容が信じられず、リディルはもう一度、名を呼んだ。

 メリアドールは、自身の震える手に視線を落とし、泣きそうな声で言った。


「……リディ、ごめん。――キミのお母さんは、僕が殺した」


 それは、彼女特有の感じ方だ。

 責任を、負いすぎるような。

 全てを背負いすぎるような、そういう――。


「僕の、願いを……僕の、中の――[古き翼の王]が、叶えた」


 バチン、とリディルを纏う衣が弾け飛んだ。

 それでも、リディルは兜の内側に点滅する、[古き翼の王]という警告から目が離せず、[貪る剣]を構える。


 アリスが困惑し、メリアドールを見る。


「え、えっ? ええ?」


 その時、メスタの右手の刻印が灼熱に染まり、血のような赤い閃光を放った。

 メリアドールは怯え、震える腕で自分の体を抱いた。


「リディ、助けて――」


 リディルは、完成された兵器だった。

 咄嗟にメリアドールに向けて[貪る剣]を振り下ろし、刹那の瞬間に思う。


 ――これで、食べてしまえばきっと……。


 同時にメリアドールとの思い出と、切り捨ててから気づいてしまったかつての母や大勢の人たちの姿が脳裏を過ぎり、リディルの剣の切っ先をわずかに鈍らした。

 瞬間、[八星]の輝きがリディルを弾き飛ばした。

 メリアドールの隣にいた、アンジェリーナが薄く笑っていた。

 メリアドールが言った。


『一手、遅れたな。当代の剣聖よ――』


 それは、底冷えのする知らない誰か。

 どす黒い閃光がメリアドールの体から迸ると、彼女の華奢な体から溢れ出た闇よりも黒い何かが膨れ上がり、それが古い翼となり爪となり、体となり――。

 視界の端で、アリスは吹き荒れる闇に飲まれる様を見る。

メスタはそれにそれに抗おうとし――。


 ――そこに、男が倒れていた。


 服は着ておらず、ただ幾度となく戦いをくぐり抜けたような、実戦で鍛えられた体つきをしていた。


 既に、メリアドールは黒いドラゴンとなっていた。

 ドラゴンは天に向けて叫んだ。


『〝ウィル・ディネイト〟』


 その暗闇は、一瞬で世界中を駆け巡り、そして概念は再び裏返った。



 ※



 遠方で、何かが目覚めた。

 確固たる確信と感覚が[グラン・ドリオ]にいたミラベルの背筋を震わせ、同時に女王も驚愕し口元を抑えた。


「フラン……?」


 ジョットが心配げに女王の名を呼ぶ。

 ミラベルはこの悪寒の意味がわからず、同時に全身から力が抜けていく奇妙な感覚に襲われた。

 カルベローナがミラベルの体を支える。

 女王が叫んだ。


「姉さん、[完全封印]を――! 早く!」


 即座にジョットは反応し、バチンと両の手を合わせミラベルの知らない魔法を解き放った。

 それは力場となって一帯を支配し、ジョットの背骨から光の鎖のようなものが現れ、女王とミラベルの灼熱に染まる左手を束縛していく。

 しかし――。

 じわりと熱が滲み、赤黒い光がマグマのようにドロドロと光の鎖の隙間から溢れ出ると、ミラベルはようやく状況を理解した。

 カルベローナが怯え、それでもミラベルをぎゅっと抱きしめながら呻く。


「[刻印]が――」


 封印が――。

 遠方で閃光が瞬く。

 同時に[グラン・ドリオ]に備え付けられた[フィールド・バリア]が作動し、その閃光を辛うじて退ける。

 だが、他の[飛空艇]は全て閃光に飲まれ、やがてゆっくりと旋回し砲塔を[グラン・ドリオ]に向けた。

 その意味が理解できないミラベルでは無い。

 だが、状況についていけるというわけでも無いのだ。

 ミラベルはただ、灼熱の痛みの中で、


「な、なんで――」


 と呻くことしかできない。

 女王は痛みに表情を歪めながら、右手で壁に触れると、艦橋と繋がる通信が開く。

 艦橋も混乱しているようで、慌ただしい報告の声が漏れ聞こえてくる。


〈陛下! 本艦が、味方の船からロックオンされています!〉


 と言った艦長の声に混じって、


〈[オリオン]から投稿勧告が――!〉


〈[オルステッド]反転! 砲塔をこちらに向けています――!〉


〈『ワシントン]の[魔導砲]チャージを確認!〉


 と混乱した声が漏れ聞こえてくる。

 女王が艦橋に向け言った。


「単独で、じ、次元、融合を行います!」


〈しかし、座標が――!〉


「[古き翼の王]は目覚めました、急いで!」


〈りょ、了解……!〉


 通信が途切れると、女王は苦悶の表情を浮かべ膝をつく。

 女王の左手は、ミラベルのものよりも更に灼熱していた。

 ふと、カルベローナがミラベルの首元を見、気付く。


「ミラ、貴女……それは……?」


 見れば、ミラベルの体は微かに発光していた。

 首から顔、指の先にまで淡い光の痣のようなものが瞬いて見える。

 なんだ、これは――。

 自分の体に、何が起こっているのだ。

 しかも、不思議とこの輝きに恐怖は感じない。

 むしろ安心してしまう。

 この輝きは――なんなのだ。

 それを見て取ったジョットはミラベルに使っていた光の鎖をわずかに緩め、女王へと集中させた。


「ケルヴィン、手ぇ貸せ!」


 ジョットが叫ぶと、ケルヴィンがぎょっとして問う。


「お、俺が!? なにを、俺に、何ができる……!」


「てめェが一番濃いんだよ! 急げウスノロ!」


 ダーンが咄嗟にケルヴィンの背中を押し出すと、彼は


「お、おい!」


 と非難の声を上げながらもバランスを崩し、ジョットの肩に指を触れさせた。

 すると、ケルヴィンの体からもジョットと同じく光の鎖が現れ、女王の封印を強めていく。


「な、なんで……!?」


 ケルヴィンが驚愕して呻くも、ジョットは無視して声を荒げた。


「剣聖と[翼]の野郎と連絡取れるか!」


 言うが早いか、[グラン・ドリオ]を取り囲む味方の[飛空艇]から一斉に砲撃が放たれた。

 [グラン・ドリオ]を覆う[フィールドバリア]が目もくらむほどの光を放ち、全ての攻撃をいなし切る。

 しかし、ぐらりと艦が傾き、次はもう持たないかもしれないと思い立つ。

 不思議と、ミラベルの左手の痛みは収まりつつあった。

 だから、ミラベルはカルベローナが何かを迷い、震えているのに気づいた。

 ミラベルがカルベローナの手を優しく握ると、彼女は何かを決心し、言った。


「わたくしが、繋ぎます。――破棄されていなければ、ですけれど……」

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