第113話:人の言葉
「[冒険者ギルド特級依頼]! [姫君救出作戦]の一番乗りはァ! チーム[オルトロス]が貰ったー!」
その女性が杖を掲げ、天を覆うほどの稲妻を[鮮血の巨人]に向けて撃ち放つのと同時に、矢のように放たれた大岩から一人の巨人族が跳躍し、そのまま手に持った金属製のロープを[鮮血の巨人]の首に引っ掛け、後方に着地する。
間髪入れず、オルトロスと名乗った魔導師に合わせて様々な種族の魔導師たちが一斉に魔法を詠唱し、[鮮血の巨人]の足元を底なしの泥沼へと変貌させた。
[鮮血の巨人]が律動し、背部に備え付けられた推進装置を吹かせ跳躍しようとする。
リディルはすかさず[鮮血の巨人]の背部に回り込み、出力の落ちた[可変速魔導砲]で推進装置基部を正確に撃ち抜いていく。
虹彩が、空を覆った。
その虹彩から淡い光が降り注ぐと、リディルの体に力が溢れてくる。
見れば、高度を下げつつも辛うじて飛行している旗艦[グラン・ドリオ]が目視で確認できる距離にまで接近していた。
本隊が、前に出てきたのだ。
あっという間に百を超える冒険者、騎士たちが拘束用のロープを[鮮血の巨人]に引っ掛け、抑えつけていく。
それでも、[鮮血の巨人]は動く。
鋼のロープを引きちぎり、[八星砲]の備わった腕に輝きが集まる。
だが、一人の魔導師が放った[次元魔法]が、[鮮血の巨人]の行動を阻止する。
褐色の肌と美しい銀髪を星空の瞬きに煌めかせ、アークメイジが宙を舞う。
「抑え込む! 剣聖は為すべきことをなせ!」
たった一人の魔力で[鮮血の巨人]を抑え込む彼女に気づいたオルトロスの魔導師が、ぎょっとして声を上げる。
「げぇ! ア、アークメイジ、先生……」
「オルトロスのスージィ・レーンは! 攻撃ではなくこちらの支援が優先だと、教えただろう!!」
下方で不時着した[飛空艇]の火がアリスに燃え移ると、
「うわっちゃっちゃ! うわっちゃあああ!」
炎を撒き散らしながら転がる。
遅れてやってきたアンジェリーナが慌てた様子で消火のため水の魔法をアリスにぶちまけた。
わずかに、[鮮血の巨人]の動きが弱まった。
同時に、メリアドールの更なる恐怖を[リドルの鎧]が伝えている。
リディルは一度呼吸し、集中し――。
[リドルの鎧]から纏う[古き翼の王]の力を一直線上にあるものだと感じ、前を見、ささやくようにして[言った]。
「メリーちゃん、〝昔のこと、覚えてる?〟」
発した[言葉]が波動となって星空を駆ける。
それは、リディルの願いが口を通し、[リドルの鎧]と[古き翼の王]の力によって生まれでた、全く新しい[支配の言葉]であった。
だから、もうリディルは思うがままに[話せる]のだ。
「〝みんな、貴女に救われた。逃げても良いんだって、貴女が教えてくれた。貴女が、手を引いてくれた〟」
皆、鼻つまみ者だった。日陰者だった。それでも、胸を張って生きていけるのは、その心の持ちようを教えてくれたのは、メリアドールなのだ。
たとえ、本人にその気がなかったとしても、嘘でも、皆が救われたのだ。
しかし、とリディルは[言葉]を紡ぐ。
「〝だけど、そんなものは、きっかけでしか無いの。始まりの一歩でしかないの〟」
どんな恩人にも、牙をむく者はいる。
所詮人は忘れる生き物なのだ。
そうやって生きていけるから、つらいことがあっても思い出へと昇華し、恨みも恩も乗り越えていくのだろう。
だが、中にはメリアドールのように、忘れられない子がいる。
それもまた、普通のことなのだろう。
「〝私たちは、その後に――あれから一緒に過ごしたメリーちゃんのことが、好きなの。恩があるからとか、そんな理由で一緒にいるんじゃないんです。みんな、今と、貴女と、みんなのことが好きだから――友達だから、こうして一緒にいるんです〟」
[リドルの鎧]が、メリアドールの強い恐怖と絶望を感じ取る。
うずくまる彼女が、言った。
『だけど、大勢死んだ。私が、上手くやれてれば――私が、殺してしまった……。お前に黙ってることだって、たくさんある』
これは、[イドルの悪魔]によって強化された負の感情だ。
だが、あくまでも強化されただけに過ぎす、根っこはメリアドールという人の本心なのだ。
だから、リディルは言うのだ。
「〝私は、貴女に遠慮なんてしない。だから――貴女がいけないことをしたら、怒ってあげる。叱ってあげる。ちゃんと、敵に回ってあげる。――一緒に、謝ってあげる〟」
さーっと風が吹き始めた。
その風に乗って、淡い輝きがリディルが纏う[古き翼の王]と[リドルの鎧]を通し、力となる。
リディルは今、[願いの器]となっているのだ。
その願いが欲望と重なって膨れ上がると、[リドルの鎧]の安全装置が作動し、背部に備え付けられた噴出口から淡い輝きが放たれ、煌めいた。
それは、いなくなった人々の叶わなかった願いであり、届かなかった思いであり、ただただ人を死に誘う蝶の羽のように思え、リディルは悲しくて涙をこぼしそうになる。
「〝いっぱい怖がれば良い。不安になったって、立ち止まったって良い。逃げても良いって教えてくれたのは、貴女なんです。だから――〟」
噴出口から放たれた光が、燃え盛る炎を消していく。
それどころか、兵士たちの傷を少しずつ癒やし始めた。
土壌に僅かな命の息吹を感じる。
ああそうか、とリディルはようやく理解した。
これが、ビアレスが――リドル卿が、残したものなのだ。
今目の前にいる[鮮血の巨人]も、本来ならば戦闘用では無いのだ。
おそらくは、土地の再生と、豊穣の――開拓用ゴーレム。
ザカールやドラゴンを敵視するのは、害虫駆除程度の意味でしかないのだろう。
リディルは前を見、言った。
「〝メリーちゃんは、私のところに逃げて来ても良いんだよ。逃げた先に、ちゃんと私はいるから――〟」
[鮮血の巨人]の動きが止まる。
頭部と首の付け根辺りにあるコクピットハッチがゆっくりと開いていく。
リディルは滑り込むように首部コクピットに乗り込み、うずくまって泣いているメリアドールを強引に抱き寄せた。
誰かが、言った。
――おかえりなさい。
知らない声だった。
女性の、穏やかな声だった。
……少し、母の声に似ていた。
メリアドールにも、ミラベルにも――自分にも。
だから、唐突に[リドルの鎧]に力が溢れ出たのはリディルの理解を超えた出来事である。
同時に、圧倒的な闇が膨れ上がり、全てを飲み込みながらリディルに襲いかかった。
――のまれるな。
ふと、[翼]の彼の声が聞こえたような気がした。
クスクス、と子供の笑い声が聞こた。
見れば、三、四歳ほどの幼子たちが、リディルの様子を見下ろしていた。
『かかった』
『来たよ』
『――馬鹿な子』
中心にいた子供が、リディルにぞっと手を伸ばす。
しかし、リディルの背後から現れた蝶の羽の輝きが幼子の闇を打ち払った。
輝きの中に母の姿を見つけたリディルは、名を呼ぼうとするも、声が出ずただ嗚咽となった。
輝きの中、母が言った。
『いきなさい、リディ』
さーっと景色が遠くなると、[リドルの鎧]から溢れた光が道となってリディルとメリアドールを[鮮血の巨人]の外へと導いていく。
一条の輝きがリディルの背後に戻ったことに気づかず、ただリディルは星空の下でメリアドールを抱え、輝きに包まれ誘爆を繰り返し崩れ落ちていく[鮮血の巨人]を眺めていた。
その様子を、リディルはキレイだなと思っていた。
その眩さに眩み、最後に残った漆黒に、気づかなかった。
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