第111話:リドルの鎧の力

 知っている人が、泣いている気がした。


 ――誰だ?


 リディルは、直感でメスタでは無いことはわかっていた。

 もっと、傲慢な息遣い。

 嫌いなタイプ。

 だが、その影に、メスタの息遣いも感じていた。

 この感覚の広さが、[リドルの鎧]の為せるわざなのか、あるいは――。


 リディルの傷を癒やすために、翼の彼と母が、何かをしてくれたのだ。

 おそらく、リディル自身にではなく、この[リドルの鎧]に対して――。

 そういう優しさと、距離感を彼は持っている。

 リディル自身を変えようとしない、彼が持つ境界線――。

 他人行儀といえばそうだが、他者の尊重と思えばそうもなる。

 心の、持ちようなのだろう。


 [リドルの鎧]が誰かの感情に呼応するかのように律動し、ふわり、とリディルの体を浮遊させた。

 同時に、[リドルの鎧]の兜の内側、全面モニターにいくつもの情景が映し出される。

 その光景はリディルの視覚を通さず、脳髄に直接イメージとして映り込んでいく。


 翼の彼は、ことのついでにザカールを撃った。

 致命傷では無いが、ザカールは後退を余儀なくされた。


 メスタは、うずくまっている。

 彼女に重なって、嫌なヤツのイメージが見える。


 翼の彼は、こちらと、旗艦[グラン・ドリオ]と、[鮮血の巨人]の一直線上が見えている。

 それは、リディルの持つ感覚の一歩先にあるものだ。

 故に、文字通り[鮮血の巨人]を手玉に取っているが、決定打を与えられないのはその再生力と、目的が破壊では無いためだ。


 ――戦うことしか、できない、人。


 そう思いたち、違うなとリディルは首を振った。

 きっと、それ以外を任せられる誰かがいたのだ。

 信頼していたのだ。

 だから――彼は戦いに特化したのだ。

 もしくはそうせざるを得なかった。

 ……あるいは、それら全てか。


 ふと、リディルは思った。

 [暁の勇者]その人であるリドル卿が、千年の時を経て今の世に残したこの鎧。

 遥か昔に建造され、封印されていた[ビアレスの遺産]。


 ――何故、こうも差があるのだ?


 本来ならば、この[リドルの鎧]が格上のはずでは無いのか?

 腕を動かし、周囲をぐるりと見渡し、リディルは違うことを考えていた。


 ――戦闘用では無いのかもしれない。


 この鎧は、戦うために作られたわけでは無いのかもしれない。

 り、り、り、と遠い音色が聞こえる。


 遥か後方、[ハイドラ戦隊]の旗艦[ロード・ミュール]から、小型高速艇が出撃した。

 アリスと、アンジェリーナが火線を掻い潜りながら、懸命に何かを探している。

 アリスが筒状の何かを抱えている。

 ならば、彼女たちはリディルに届け物をしに来たのだ。


 ――命がけで。


 リディルは一瞬、この鎧の製作意図を計りかねた。戦闘用では無いのに、これほどの力がある。外見こそ似ているが、内部は既存の[魔導アーマー]とはかけ離れている。


 昔のものから最新のものに至るまで、[魔導アーマー]の動力源は魔力の結晶である純粋な[魔導石]か、それを模して作られる[人造魔導石]のどちらかだ。

 かつては前者のほうが高純度とされていたが、今の時代となっては後者の方が出力も安全性も段違いに上なのだ。

 だが双方ともに、稼働には強い熱を帯びるため冷却システムがどうても必要となる。

 オーバーヒートしてしまうのだ。


 唯一の例外が、古き翼の王の甲殻で作られた[古き鎧]。

 [古き鎧]は、装甲そのものが動力源という不思議な構造となっている。

 だがこの鎧はそのどれにも当てはまらない。

 動力源は確かに搭載されている。

 だが、周囲から熱を奪う動力源など聞いたことが無い。

 稼働の限界が過冷却によるオーバーフリーズなのも、理解を越えた存在である。

 この鎧は、本当は何のために作られたのだろうか――。


 どれもこれも、結論には程遠い。

 また、遠いどこかで知らない情景が映り込む。

 淡い記憶の彼方で、誰かが言った。


『封印では駄目だ。利用し続けるべきだ。力は無限に溢れる』


 だが、彼は違うと言った。

 これは決して人が触れてはならない――踏み込んではならない領域なのだと。

 無限に肥大していく闇に、人は耐えられない。

 封印しなくてはならない。

 誰も手をつけないよう、決して染まらないよう――。

 それでも彼と対峙する男は言う。


『それでも、俺達はここまで来た。みんなで力を合わせれば、きっと乗り越えていける』


 だが、彼は言った。


『[イドルの悪魔]は、負の感情を餌にしている。これはミュールの名において封印する。貴方の――兄さんの考えには、従えない』


 キィン、と耳鳴りがし、景色が遠くなっていく。

 最初は、彼が正しかったのだと思った。

 本心から、そう思ったのだ。

 だが時を歴て、それは違うと思い知らされる。

 彼の選んだ道は、緩やかな衰退と腐敗でしかなかったのだ。

 無理やりにでも、利用させるべきだったのだ。

 情と絆と信頼が、判断を、鈍らせた。

 だから――。


 これは、違うな。

 リディルはまた直感的にそう感じ、今しがた見た誰かの記憶を遠ざけた。

 記憶を見る、体験するということはその者になるということだ。

 見過ぎれば、体験しすぎれば、浸かりすぎればその者の記憶と思い出に支配されることになる。

 自分が、他人の記憶に殺されるのだ。


 不思議と、この鎧はその境界線をリディルに教えてくれているように思えた。

 ならば、今すべきことは――。

 リディルは周囲をもう一度見渡し、呼吸し、集中する。

 意識を紡ぎ、人へ――。


 また、知らない記憶がリディルの中に流れ込んできた。

 それは、幼子を抱く誰かの記憶。

 その幼子の頬を優しく撫で、誰かが言った。


『リディ。良い子――』


 とくん、と心臓が高鳴った。

 指先がわずかに震え、その記憶にすがりそうになる。

 誰かの、


『飲まれるな』


 という声が聞こえると、リディルははっと我に帰り、暖かな記憶から遠ざかっていく。

 それはきっと、リディルが一番望んでいたものなのだろう。

 それでも――。

 同時に別の記憶を見る。


『ほうら、ヒロはお兄ちゃんになったのよ』


 知らない人だ、とリディルは思った。

 それを言った女性も、今目の前にいる赤子も、それどころか背景に映る一切の家具や景色に思い当たる節は無い。

 概ね、進化の根幹が違うのだと理解した。

 女性が言った。


『――守ってあげてね』


 その声に、不思議と懐かしさを感じる。

 少しだけ手を伸ばすと、情景が遠ざかっていく。


 そして、ようやくリディルはそれを見つけた。

 真っ暗な闇の中で膝を抱えてうずくまり、震えている人。

 リディルより一つ年上の、遠い血縁の、家族同然の、人。


 メリーちゃん、と名を呼ぶと、彼女の周囲を覆う闇が幼子たちの姿を形作り、血走った眼でぎょろりとこちらを見た。

 負の、感情。

 人一倍怖がりな、メリアドール。

 気取りやで、見栄っ張りで、弱虫な――。

 それでも、みんなの矢面に立ってしまう人。

 幼子の一人が、ぎり、歯ぎしりをし、低く唸るような声色でリディルに向け言った。


『見、て、い、る、な――!』


 同時に、リディルは感覚の命じるがまま、叫んだ。


「[古き翼の王]、〝来い〟!」


 放った[言葉]が波動となって世界を震撼させると、[古き翼の王]は[鮮血の巨人]に向けて極大な[火球]を撃ち放つ。

 同時に放たれた[八星]の火線が[古き翼の王]の黒い甲殻、鱗に至るまでを完全に消滅させるが、同時に溢れた更にどす黒い輝きがアメーバのように広がると、リディルの着る[リドルの鎧]にベタベタと張り付いていく。


 これは、器でしか無いのだ。

 たまたまドラゴンの形をしていただけだ。

 ならば、願いの形によっては霧のようにも、光にも――人の姿にもなれる。

 リディルは願った。

 今は、救える力を。

 救うための、力を。

 そして欲する力の答えを、既に得ていた。


 [リドルの鎧]が、かつて母であった黒い砂粒のようなものすらも取り込み、覆っていく。

 やがて、黒い光の粒子となった[古き翼の王]の体は、[リドルの鎧]を覆う巨大な外殻、あるいはマントのような姿になると、ほんの一瞬、知らない記憶がリディルの中に流れ込んできた。


 月明かりの、帰り道。

 闇よりも濃い闇が這い出たその時。

 たった一人の、年の離れた妹をかばったその瞬間。

 その闇に飲み込まれようとした、刹那。

 動体視力と、観察力に特化したリディルにだけは、視界の端に映り込んだそれを捕らえていた。


 黒い影が、妹の手の甲に、[刻印]を刻み込んだその瞬間を――。


 だが次の瞬間には戦火の中へと引き戻され、リディルは[リドルの鎧]に取り込まれた[翼]の彼の思いを知る。

 彼もまた、死を覚悟で託したのだ。

 自分自身が、誰かの記憶に殺される覚悟で、もっともふさわしい誰かに譲り渡したのだ。

 自分のやりたいこと、すべきことよりも、今この瞬間を、メリアドールのために託してくれたのだ――。

 だから、今、ここでくじけるわけにはいかないのだ。

 もう一度会うために。

 生きて、出会うために――。

 誰かの思いと重なったリディルは、もう一度、


「メリーちゃん……」


 と名を呼び、巨大な衣となった[古き翼の王]を羽ばたかせ、赤く染まりつつある空へと飛んだ。

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