第110話:飛ぼうとする者

[古き翼の王]では無い。

 ――誰だ?


 星空を舞う黒いドラゴンと、[遺産]の戦いを観察しながら、ザカールは考える。

 今まで戦った絞りカスとは、別人のような動きであり、同時に見覚えのある――戦い方。

 [言葉]も[息]も最低限、頼る素振りを見せず、ただ高速の軌道と翼と牙、爪で戦う。

 そして、嵐のような砲撃を放つ[遺産]を翻弄している。


 地上では、負傷した騎士たちが脱出を初めている。

 一度、[遺産]が眼下の騎士たちに顔を向ける。

 ドラゴンはその刹那に合わせるようにして、か細く、それでいて強力な[火球]の言葉をたった一発撃ち放った。

 それは吸い込まれるようにして[遺産]の首元に着弾する。

 [遺産]が片膝をつくと、ドラゴンはぐるりと背中に回り込み、背部にあるいくつかの基部をその牙と爪で引きちぎっていく。

 再び[遺産]の目に当たる部分がぎらりと輝くと、遺産の背中から破壊の色を帯びた輝きが放たれるよりもわずかに早く、ドラゴンは飛び立った。


 ぞわり、とザカールの背中に悪寒が走る。


 ――私は、何かを見落としている。


 決定的な、何かを。


 [魔人王]は、絞りカスをベルヴィンと呼んだ。

 だがそんなはずは無い。

 ベルヴィンは確かにこの手で殺した、はずだ。

 [貪る剣]がベルヴィンの首筋にえぐりこまれるのを、追撃にと脇腹に差し込まれるのを目の前で見た。

 ザカール自らが、この手でそれをやったのだ。

 間違いなく、あれはベルヴィンだった。

 ザカールが、殺したのだ。

 だが――それでは、今そこにいるあのドラゴンは何だ?


 [古き翼の王]は、[イドルの悪魔]の抜け殻を使った、[願いの器]だ。

 ドラゴンが願ったから、それはドラゴンの姿を形作り[古き翼の王]となったのだ。

 ――では、今そこにいるアレは何だ?


 抜け殻には、既にドラゴンの願いが満たされているはずだ。

 でなければ、竜の姿を形作っている道理は無い。

 あの器に注がれた願いはまだ、ドラゴンのものだ。

 だが、あれは――。


 ザカールは考える。

 ビアレスは、更にその上から、願いを注いだのか……?

 そんなことが、可能なのか?

 半端な願いを注いだところで、逆に取り込まれるだけだというのは実験済みだ。

 だが、それならば、あれは――。

 ビアレスは、器に何を――誰を、注いだのだ……?


 興味と好奇心が、ザカールをわずかに動かした。

 少しばかり浮遊し、かすかに〝雷槍〟を右手に走らせ――。


 [遺産]から放たれた嵐のような[八星]を、ドラゴンがくるりと回避しきり、そのままの動作で、どうやって発見したのかもわからないザカール目掛け、高速の[火球]を撃ち放った。


「御老体――!」


 バーシングが呼ぶよりも先に、[火球]がザカールに直撃した。


 ※


 旗艦[ロード・ミュール]の格納庫では、騒ぎが起きていた。

 わざわざ縋り付くようにして追ってきた艦長が叫ぶ。


「旦那様まで失って、お嬢様まで失えと、わたくしめにおっしゃるのですか!!」


 流石のアリスも苛立って大声で怒鳴り返した。


「届けに行くだけだって言ってんでしょ!? ロブ爺は! 艦長なんだから早く戻ってくださいぃ!」


 艦長に羽交い締めをされながらもぐぎぎと力づくで前へ進み、小型改良された獣車サイズの高速飛空艇のタラップを無理やり登る。

 艦長が泣きじゃくる。


「そう言って旦那様のように、わたくしめを置いて行きなさる……! 年功序列をぉ! 考えなさいよぉ! 自分が、一番最初に逝くべきなのです! 若い者が――!」


 ぼろぼろと大粒の涙をこぼし、彼はうめいた。


「わたくしよりも先に逝くのは、耐えられんのです……!」


 しかし、アリスは譲るつもりはない。


「だからぁ! 何で死ぬ前提で言ってんですか! ちょっと言ってパッと渡して終わりだって――」


「それは戦場のなんたるかをお嬢様は知らないから言えるのです! ザカールが潜んでおります! 虎視眈々と、狙っているのです!」


「ロン爺だって知らないで――しょうがぁ!」


 アリスはぐわしと艦長の老いた細い体を持ち上げ、タラップの上から真下であわあわと困惑している整備士たちに向け放り投げ、


「助けなさい!」


 と叫んでからすぐに起動状態にあった飛空艇の[魔導エンジン]を吹かせ、ふわりと浮遊させる。

 その時だった。


「ああー! お嬢様!」


 と叫び飛空艇に飛びつこうとした艦長の顔を踏み台にし、女性がふわりとアリスのそばに降り立った。

 彼女が眼下の整備士に向かって叫ぶ。


「出しなさい!」


 すると、彼女の息のかかった――マリーエイジ家の整備士の数人が命令のままカタパルトのハッチを開ける。

 アリスはぎょっとし、昔ながらの友人に掴みかかった。


「アンジーふざけないで!」


「いざって時に戦力が必要でしょ!」


 問答している間にどんどん飛空艇はカタパルトへと進んでいく。


「戦力って言ったって、アンジーじゃザカールに歯が立たない!」


「貴女よりは立つ!」


 今度こそ、アリスは胸のうちから沸き上がる怒りに身を任せ、叫んだ。


「それは! 死に行く者の台詞だろ!!――発進停止! リディルさんに武器を届けるのは、わたし一人が――」


 アンジェリーナがぎゅっとアリスの腕をつかみ、言った。


「死なない。大丈夫!」


 何を根拠に、とアリスは苛立ち。ぶっ叩いてやろうかと拳を握る。

 だが、今まで見たことも無いほど目をきらめかせたアンジェリーナの顔を見て、アリスは思わず固まった。

 彼女は言った。


「私今、恋してるから!」


「はぁ!?」


 意味がわからずアリスが絶句するとアンジェリーナは通信機に向けて叫んだ。


「アンジェリーナ・マリーエイジ! アリス・マランビジーは二人で出ます!」

通信越しに彼女の私兵が応答する。


「高速艦[プラクティス]発進! [プラクティス]出ます!」


「待っ――うぎゃ!」


 カタパルトのGに晒され、アリスはおかしな悲鳴をあげた。


 ※


 ばくん、とメスタの心臓が高鳴った。

 知っている人が、いる。

 同時に、馬鹿なとも思う。

 当たり前じゃないか。

 [ハイドラ戦隊]が、メリアドールのために来ているのだ。

 知っている人だらけのはずだ。


 [鮮血の巨人]が飛び立とうとした瞬間、地の底から這い上がるようにしてやってきた[古き翼の王]が、[言葉]を叫んだ。

 その淡い輝きは、大陽となって[鮮血の巨人]を焼いた。

 だが、[鮮血の巨人]は焼かれた部位からあっという間に再生し、元通りとなっていく。


 ――再生能力を持つ[妖精鋼]よりも、更に強力な[鋼]なのか……?


 いかに[妖精鋼]と言えども、これほどの速度で再生はしない。

 だが、[鮮血の巨人]はそれをやるのだ。

 そして、メスタは自分がまるで役に立っていないことに歯痒い思いをしていた。


 以前から、自覚はあった。

 自分は、上位互換に弱い。

 本気で戦えば、リディルには難なく勝てるメスタであったが、例えばリディルが容易く屠れる[オーバーゴーレム]には押し負けてしまう。

 そして、[鮮血の巨人]はまさしくその極地。


 [鮮血の巨人]の全身から光が溢れる。

 その全てが[八星]の輝きを放ち、ぐにゃりとねじ曲がり、数百もの触手のようになって[古き翼の王]に襲いかかった。

 [古き翼の王]は羽ばたき、空中でジグザグに飛行し回避運動に入るも、それを有に超える高速で[八星]の竜巻が取り囲み、貪るようにして集中した。


 メスタは、思わず叫んだ。

「駄目だ、ベル! そいつに力で対抗しちゃ!――ビアレスが作ったものなんだぞ!」


 ばくん、と心臓が大きく鼓動した。

 思わず、メスタは頭を抱え、よろめいた。


 ――わたしは、何を……。


 メリアドールから聞いた言葉が、頭の中で響く。

 ゼータ、そのものであると。


 それは、メスタにとっては呪いであった。

 過去に、それも知りもしない何者かに、自身の温かい思い出を上書きされるのは恐怖である。

 別人になってしまうのだ。

 自分に殺される、とメスタは咄嗟に感じ、立ち止まる。

 自分の中に誰かが悲鳴を上げている。

 彼を助けろと。今が、その時だと。

 託された、思いを――。


 知らない記憶の知らない誰かが、こう言った。


『……手の混んだ自殺だよ。テメェのそれは』


 声色には、悲哀と苦渋が滲んでいた。

 大嫌いな声だった。結局、最期まで、嫌いな親友だった。

 そして、義父が言った言葉を思い出す。


『お前は、メスタだ。過去に囚われては行けない。今、出会ったのなら、再び巡り会えたのなら、それはキミ自身の思い出だ。キミ自身が考え、判断することなんだ』


 [古き翼の王]が軽く回転するだけで、[八星]の嵐を全て回避しきる。

 その動きに見覚えがあると感じてしまったメスタは、星空の中で繰り広げられる竜と巨人の戦いに足がすくみ、その場から動けなくなる。

 ばくん、ばくんと心臓の音だけが大きく聞こえ、メスタはその場にうずくまった。


「わ、わたし、は、ゼータじゃ、無い――」


 先生に拾われて、育てられて、メリアドールの、お世話係になって――。

 一瞬、脳裏に知らない情景が過る。

 それは、力に驕り、脆弱な人間種を見下す知らない女性の視点だった。

 弟が、いた。

 父と母は、幼い頃に戦で死んだから、年の離れた弟を食わせてやらなければならなかった。


 ――力に、才能に恵まれたのだ。


 人竜と呼ばれる戦闘民族の中でも――私は、強かった。

 誰にも、負けなかった。

 気に入らないものは、誰であろうと力で黙らせた。

 こっちに来ても、それは同じだった。

 ぞわり、ぞわりと悪寒が強くなる。

 弟が待っているから、早く帰らなければならない。

 そう口にして、嘘だと気付く。

 本当は、わたし、は――。

 その性根の醜さに、思わずメスタは


「う」


 と口元を抑えた。

 お前はメスタだと言ってくれた、父の言葉だけが、救いだった。

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