第84話:葬儀の後

「来週には[グランリヴァル]に戻る」


 と、見舞いに来たケルヴィンがさらりと述べ、黒竜はようやく痛みが収まってきた頭を上げた。


「……急だね」


 そう言いながらも、理由はなんとなく察していた。

 ティルフィングが、殺された。

 あまりにも唐突な報告で、黒竜は言葉を失ったのを覚えている。

 昨日までそこで話していた女性が――たった、一晩で……。

 殺されたのは、ティルフィングだけでは無かった。

 たった一夜で、目撃者も無く二百名を超える騎士、貴族が殺され、[盾]は壊滅。

 [盾]と、剣聖の歴史は潰えたのだ。

 次代としてリディルをという声は上がらなかった。

あまりにも酷だろうとの判断が、歴史に終止符をうたせたのだ。

 それが良いことなのか悪いことなのかは黒竜にはわからない。


「……リディル君は、泣いてなかったな」


 黒竜は葬儀の様子を思い出し、ぽつりとつぶやいた。

 その言葉自体に意味は無い。

 ただ漠然と、『あの子は母の葬儀で泣けなかったのか』と思ったのだ。

 何故と自問し想像してみても、答えは出ない。

 黒竜は、騎士として、人としてのティルフィングとはそれなりに親しかったと言っても良いはずだ。

 簡単な雑談だってしたし、故郷の話も覚えている限りはした。

 だが、ふと思い出す。


 ――一度も、娘のことを聞かれなかった。


 だから、黒竜は母としてのティルフィングを全く知らない。

 想像もできない。

 それほどまでに、親の雰囲気を感じさせない女性だったのだ。

 だが、それでも――。

 ガラバになると言った、あの時のティルフィングの表情を、黒竜は信じた。

 心の奥底では、リディルを愛しているはずだと。

 そうであってくれなければ――リディルは、浮かばれない。


 葬儀で見たリディルは、うつむいたままメスタに寄り添って――まるで他人の葬式に来た子供のようだった。

 その情景が、黒竜の心の中に嫌な歪みとして染み付いている。

 ケルヴィンも葬儀のことを思い出したのか、ぽつりとつぶやく。


「女王陛下がお前を呼んでくれたのは、少し嬉しかった」


「ああ――」


 まだ、黒竜がガラバとなる手続きはティルフィングから上げられていなかった。

 迷ってくれたのだろうか。

 誰かを、他人に仕立て上げてしまうことに。

 女王にすら、伝えていなかったようだ。

 ケルヴィンが言う。


「ゲイルムンド卿とは結構会ってたんだろ?」


「そう、だね。ここ最近は毎日」


 ケルヴィンがより良い薬を持ってきてくれてからも、彼女は毎日やってきたのだ。

 薬の効き目を確かめるためだと言っていたが、それは彼女である必要はなかったはずだ。

 ならば、彼女だけの、理由があったはずなのだ。

 ――娘の見舞いよりも、優先するものが。


「どんな印象だった?」


「どう、とは?」


「……俺達は生まれたときから、[暁の勇者]の伝説と、誰も帰ってこなかった[盾]の物語を聞いて育ってきたんだ。それを受け継いでる剣聖ってなりゃ、まっすぐな見方はできない。……ただ聞いてみたかったんだよ。そういう――フィルターってやつがかかってないお前から見た、ゲイルムンド卿をさ」


 どう、か――。

 そう小さくひとりごち、黒竜は考える。

 誰もが肩書で人を見てしまうものだ。

 学校の先生はいつまでたっても先生だし、記憶の中で勝手に美化してしまっている部分もあるのだろう。


 だが、考え、考え、わからなくなる。

 優しい人が、娘を見捨てたりするか?

 だが、ここ最近の黒竜への態度は、穏やかな人だとか、優しい人だとか、善良なイメージばかりだ。

 だからこそ、矛盾にぶち当たる。


 ああいう穏やかな人が、リディルを――娘を、気にかけないのか?


 それは恐ろしいことだ。

 善が平然と悪を行うのだから。

 同時に、別の直感もあった。


 ――俺がガラバになれば……リディルは剣聖の呪縛から開放されたのか?


 今更ながら思う。

 それと、一度でも問うて見ればよかった。

 きっと、彼女は顔に出るから、態度に出るから。

 なぜなら、ティルフィングという人は――。


「……可愛らしい人だと、思った」


 ふと、そんな言葉が口から出た。

 自分でも言ってから驚く。

 ケルヴィンは意外そうな顔をして目をぱちくりとさせる。


「可愛らしい?」


 黒竜はただ脳裏に浮かんだ思い出を言葉として綴る。


「ああ。……凄く真面目で、頑張り屋で、女王とは仲が良くて……少し抜けてる部分があって、そんな印象を持った。……可愛いだろ?」


 もっと、話しておくべきだったのかもしれない。

 そうすれば、本当の彼女に出会えたのかもしれない。

 母としてのティルフィングを知ることができたのかもしれない。

 そんな黒竜の気持ちを代弁するかのように、ケルヴィンが独り言のようにつぶやいた。


「世知辛いな」


 黒竜が顔を向けると、ケルヴィンは言った。


「リディル副隊長、こっちではどう言われてるか知ってるか?」


「……噂だけは」


「狂犬、悪鬼、ほとんどが悪口。ゲイルムンド卿にだって、風当たりは強かった。子育てに失敗した母親なんてレッテルを貼られてさ。……子供の前で言うか普通。それをメディアの連中は追い回してさ! 面白がって!」


 そのままケルヴィンは黙り込み、憎々しげにうつむいた。

 同じように人が暮らしているのだから、魔法があれど出てくる問題は似てくるのだろう。

 どこの国でも、どこの世界でも――。

 最後に、ケルヴィンはうつむいたまま、


「無念だっただろうに」


 と呻く。

 黒竜は口の中で小さく、


「幼い子を残して逝く親、か――」


 とひとりごちてから首を振り、あえて明るい声色を意識して言った。


「……スプリガン嬢は元気か? まだ礼を言っていない」


 話題を変えたかったというのもある。だが、製造方法は未だにわかっていない究極の薬とも呼べるものを、彼女は黒竜に使ってくれたのだ。

 激痛の後意識を失ってしまったため感謝を告げる暇すら無かった。


「そりゃ、な……。ミラベル姫との面会もようやくできそうだし、こちらとしては肩の荷が下りた気分だ」


 彼女の剣幕に押されっぱなしだったケルヴィンが肩を竦めるが、それはただのポーズだなと黒竜は感じていた。

 男友達が急に生き生きとしだしたのだ。ならば、後は年配者としてわかる。


「ミラ君も[グランリヴァル]に?」


 ケルヴィンが首を横に振る。


「――そうか」


 メリアドールは、そういう決断のできる子なのだ。

 しかし、ケルヴィンは言った。


「だが、団長は部下を――いや、困っている人を見捨てない。一悶着あるだろうとは踏んでいる。テモベンテがまくしたてる姿は目に浮かぶだろう?」


 その様子がリアルに想像できてしまった黒竜は思わず吹き出し、「くく」と小さく笑った。


「ああ、わかる。でもメリアドール君は理で動く人にも見える」


 彼女は感情の人では無い、というのが黒竜の感想だ。

 そういう意味では、ミラベルとは対極なのだろう。

 相性も良いのか悪いのかよくわからない。

 ケルヴィンが「そうだな」と返してから言った。


「団長は、感情を理でコントロールできる人だ」


「つまり……?」


 問うと、ケルヴィンはどこか得意げな顔になる。


「理でねじ伏せてミラベル姫を連れていける力のある人ってことさ」


 彼は――いや、彼らは皆形は違えど、メリアドールのことを心から信頼しているのだろう。


「だからさ翼の。お前には、いつでも対応できるようにしていてもらいたい」


「それは良いが、下手に動くと余計に不味くないか? [古き翼の王]なわけだし」


「そりゃな。だから、お前の場合は『動かない』って対応もある」


「ああ……」


「状況の判断は、任せても良いんだろ?」


「努力はする」


 黒竜は、未だにうまくやれているか自信が無かった。

 せめて人の姿に戻れたら……。

 すると、ケルヴィンは拳を作り、黒竜の頬にぐっと押し当てる。

 そのまま彼はにっと笑って言った。


「そこは『任せろ』って言えよ翼の」


「だが……。いや、そうだな。任せろケルヴィン君、何が起こっても、何とかする」


「ん、そうだな! そう言ってくれりゃ、俺だって友人の頑張りに応えてやらにゃいかんって気持ちになる」


 友人、と断言するケルヴィンの言葉に励まされた黒竜は心に温かいものが溢れてくるを感じ、前を向く。

 同時に、しかし、とも思う。

 だから黒竜は、


「僕の持論なんだけどね」


 と前置き考えていたことを口にした。


「ん……?」

「思春期の男は、友情よりも恋心を優先する」


 するとケルヴィンは黙り込み、難しい顔になって言った。


「そんなにわかりやすいか?」


「わかる。普段のキミを知っていれば、不自然な様子にすぐ気づく。ジョット・スプリガンは優しい子じゃないか」


「……どうもな」


「悩みがあるのなら、言っておけ。今なら聞ける」


「……彼女は、隔世遺伝なんだ。大昔のどっかのご先祖様がエルフと結婚してたみたいで――ご両親はヒュームなのに、あれで八十歳を超えてるんだぜ? 俺だって、理想だけじゃどうにもならないことくらいわかる」


 種族が、寿命が違えばそういう問題も出てくる。

 それは歴史の本でも読んだことだ。

 三百年前の大戦。人間種はとうに大昔の戦争扱いをしているが、エルフ種にとっては自分の友人や親、子供を殺された戦争なのだ。

 それが未だに楔となっている。

 流れる時の流れが違えば、こうもなる――。

 しかし、と黒竜は思う。


「それでも、ご先祖様はエルフの人を愛して、子を成したから彼女がいる。――それはとても凄いことだと思うよ」


「そうだな。凄いことだ。――俺にできるかな?」


「できるさ。僕が見込んだ男だ。後は、彼女がキミに惚れてくれるかどうかだけど、そこのアドバイスまでは期待しないでくれよ」


「何故だ?」


「自分のことで手一杯でね。ガールフレンドは、いなかった。――そんな余裕なんて、無かったんだ」


 言ってから、気づく。


 ――これは、いつの……誰の記憶なのだろう。


 と。

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