第81話:友達

 突き刺すような悪寒を感じたリディルは、訓練場の端でダラダラと今後のことを相談していたメリアドールの体をとっさに突き飛ばし、そのまま訓練用の剣をメスタの頭上に奮った。


 空間が弾ける音が響き、同時に突如としてメスタの頭上に現れた見知った気配に気づいたリディルは動きを止める。

 その気配の主、ミラベルは自分の首元にビタリと剣が充てがわれたことにだいぶ遅れて気づく。

 彼女が、


「ひやっ……」


 とおかしな悲鳴を上げたのは、一緒に連れてきたカルベローナと共に尻もちを付き、リディルが無表情のまま剣を鞘に収めた後だった。


 顔を青ざめさせたミラベルが自分の首元をすりすりと撫でるのを横目で流し見、リディルが表情を変えずに言う。


「ごめんねー、敵かと思っちゃった。メスタちゃんと〝次元契約〟してあるって言ってたもんね」


「あ、うん……」


 とまだ首を撫でているミラベルの後ろで、カルベローナが、


「うえっ、口になんか入った」


 とむせ返っている。

 ようやくミラベルは今まさに殺されるかも知れなかったのだという状況を理解し、


「……うわっ」


 と絶句したようだ。

 そして、頭を抱えていたメリアドールが呆れて言う。


「キミは、状況わかってんのか……」


 言葉には僅かな苛立ちがはらんでいる。

 それもそうだろう、とリディルは思う。

 可能な限り穏便に、そして不自由の無いよう。ミラベルの幽閉に関してどれだけメリアドールが頭を下げて回ったか――。


「カルベローナ、キミがついていながら――」


 と、メリアドールはまだむせ返っている彼女をじとりと睨む。

 ふと、メスタが地面に転がっている綺羅びやかな杖を見、


「なにこれ?」

 とつぶやいた。

 同じくアンジェリーナが、


「ん? あらほんと」


 と続くが、ミラベルは無視してメリアドールにおずおずと言う。


「あ、メリー団長そのことは、謝ります。はい、すいません」


「謝るくらいなら――」


「でもなんかわたしムカついちゃって……」


「ムカつくことくらい、誰にだってあるでしょうが!」


「でも……あ、これあげます」


 と、ミラベルは杖をひょいと拾うとそのままメリアドールに押し付けた。


「いらないよそんなもん! だいたいキミは――え、何これ?」


 メリアドールが困惑すると、その隣にいたアンジェリーナは杖の正体に気づき息を飲む。


「ザカールにもらったんです」


「はあ!?……な、何言ってんの……? は?」


「[八星の杖]だと思いますけど、気持ち悪いんで団長にあげます」


 ミラベルはぽつぽつと慣れない口調で語りだす。

 〝次元跳躍〟のこと、[霊体化]のこと、その先にザカールがいた事、そのザカールの言ったこと、そして杖を無理やり渡されたこと――。

 全てを聞き終えたメリアドールは、やはり頭を抱えてうずくまった。


「……お前ふざけんなよマジで」


 と呻くと、隣にいたアンジェリーナが、


「まあ」


 と少しばかり驚き、リディルが、


「メリーちゃんってミラベルちゃんのことになるとマジだよね」


 と続くと、

 メスタはすぐさまメリアドールの頭をぐしぐしと撫で、


「お前いいヤツだよな」


 と苦笑した。


「茶化すな!」


 メリアドールは即座にメスタの手を払い除け、ぐちゃぐちゃにされた髪を整えながらミラベルをにらみつける。


「状況が、わかっていないのなら――カルベローナ! 説明はしたんでしょうが!」


 だがすぐに矛先をカルベローナに向けると、言われた彼女は口に入った何かをげほげほと吐いてから言う。


「言いましたけれど――」


「だったら、何やってんの……!」


 メリアドールはなおも憤った。

 しかし――。

 ふと、ミラベルはメリアドールの袖をぎゅっと掴む。

 メリアドールが苛立ち顔を向けると、ミラベルは真っ直ぐな瞳で見つめていた。


「な、なんだよ……」


 思わず言うと、ミラベルはメリアドールを見つめたまま言う。


「エミリーのとこ、みんなで行きませんか」


 メリアドールは息を呑む。

 するとミラベルはすぐに続けた。


「わたし、カルベローナが来てくれて嬉しかったんです。……来てくれるだけで、一緒にいてくれるだけでこんなに救われたんです。――わたし、エミリーは友達です。だけど、わたしよりもずっと友達をやってた団長も来てくれたら、もっと喜んでくれると思うんです。だから――」


 メリアドールの袖を掴むミラベルの手に、ぎゅっと力が込められる。

 しかし、ミラベルはうまい言葉が見つからないようで、そのまま口をつぐんだ。

 そんなこと、まかり通るはずがない。無茶だ、無謀だ、馬鹿げている。警備部隊の足を引っ張るだけだ。それは回り回って、エミリーの命すらも奪うことになるんだぞ。

 だが、いくらそう言葉を述べようとしても、メリアドールの心の内にある青さが、ミラベルの言葉に縋りたがっていることも自覚していた。

 その時だった。


「……うん」


 と、リディルが一人頷き、少しばかり優しい表情になって言った。


「あたしは、いいと思う」


「リディ……?」


 思わず彼女の顔を見る。

 リディルはどこか嬉しげだった。


「あたしは、メリーちゃんがエミリーちゃんに会いに行くの、とっても良い話だと思う」


 メリアドールは言葉を失った。

 狼狽したメリアドールは、


「だ、だけど」


 と意味のわからないことを口走り、そこから先を言えない。

 正しさとはなんだ、とメリアドールは自問する。

 だが答えが出ない。

 命を守るための最善が、心を救う最善とはならない場合の正しさとは、一体なんなのだ。

 メリアドールには、団長として皆の安全を守る義務がある。

 しかしそれは心を蔑ろにして良いというものでは決して無いはずだ。

 リディルが言う。


「あたしは、嬉しかった。……あたし、メリーちゃん好きだよ?」


 メリアドールは何も言えず視線を泳がし、ふとメスタと目が合う。

 メスタは目をパチクリとさせてから、少しばかり考え、言う。


「私は……うーん……」


 彼女もまた、悩んでいるのだ。

 しかしリディルがあっけらかんと言う。


「メスタちゃんは無理やり引きずり出すタイプじゃん?」


「えー……あー……。うーん……そうかなぁ」


「そうでしょ。とりあえずやってから考えるタイプ」


「あー……そう……かもなぁ」


 メスタは駄目だ、とメリアドールは縋るようにしてアンジェリーナに視線を送る。

 しかし彼女はくすりとほほえみ、


「貴女が良いと思うのなら、私は従うわ」


 と述べただけだ。

 そもそもここに一緒に飛んできたカルベローナも同意見なのだろうから論外として……。

 メリアドールは思わず天を仰ぎ、


「ああ、くそっ……」


 と毒づいた。

 そうしてようやく出た言葉が、


「もうすぐ昼時なのに、行くのか」


 という意味のない言葉であった。

 すると、ミラベルはぱあっと表情を明るくする。


「うんっ! みんなでご飯食べましょ?」


 否定のつもりで述べた言葉を肯定と取られた、とメリアドールは苛立ち、それでもこれ以上否定はできずに吐き捨てる。


「……何食べんの」


「えー! んじゃにんにく効いてるやつ! 餃子とか!」


「本気かよ……――じゃあ中華?」


「うん! あ、でも帰りにみんなでアイス食べよ?」


 ミラベルが言うと、リディルが、


「アイス良いよね」


 と続き、


「炒飯山盛り食べたいな」


 とメスタが続けば、

 アンジェリーナがくすくすと笑いながら、


「いつもこんな感じ?」


 と続く。

 最後に、リディルがいたたまれなさそうにしていたカルベローナの腕をぐいっと引き言った。


「ほら、カルちゃんも行くよ」


 と。

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