第82話:ケルヴィンの出会い

「……まあ、悪かったよ」


 ジョット・スプリガンはやや不貞腐れた顔でそう言った。

 対面するケルヴィンは久しぶりに訪れた実家で、執事に弱めの回復魔法をかけてもらっていたが、今の状況は自分でも困惑しているのだ。

 彼女に見事意識不明にされたケルヴィンは、父と執事に担がれて実家に戻ってきたところまでは良い。

 そして、誤解があったと彼女がわざわざ邸宅に謝罪に来たとこも良い。

 ……謝りに来た癖して何でこんなに不貞腐れているのだ。


 今、ケルヴィンの心のうちには苛立ちと、困惑があった。


 何故わざわざ俺は彼女を招き入れてしまったのだ――。


 彼女がやけに幼く見えるのは、身長のせいか、体格のせいか、はたまた幼子のように感情が表情に出るからか。

 炎のように赤い髪の毛は、くるくると頬の横あたりでカールしており、彼女はそのくせ毛が気に食わないかのような仕草で毛先を指先でいじる。

 瞳は大きく、しかし野生のハンターのように少しばかり切れ目な様子がどこか攻撃的な雰囲気を醸し出している。

 服は、普通の平民が着るものよりも少しばかりみすぼらしい印象を受ける。

 毎日洗ってこそいるものの、もの自体が古臭く、ところどころが色あせている。

 よくよく見れば、指先は仕事の影響かささくれており、ケルヴィンはそれを美しいと感じてしまったのは、鎧鍛冶であった父の血なのかもしれない、と思い当たっていた。

 薄っすらとそばかすを浮かべた彼女が、更に不満げな顔になって唇を尖らせた。


「……なんか、言えよ」


「あ、す、すまない」


 思わず頭を下げ、口から出かかった『見惚れていたんだ』という言葉を慌てて飲み込む。

 そして思う。


 ――何故俺が謝らなければならないんだ。


 それどころか、妙に緊張してしまっている。

 手に汗がじとりと滲み、ケルヴィンはちらと視線をジョットの健康的に日焼けした首筋から、ほつれた糸のせいでわずかに覗き見える胸元までなぞらせてしまう。

 すぐさまジョットはそれに気づき、


「エロ餓鬼!」


 と嫌悪の表情を浮かべた。


「あ、いや、すまない、別にいやらしい気持ちでは――」


「ああ? なんだこら」


「ち、違うんだ、服が、その……」


「ああ?」


「い、いや、随分と、年季が入っているな、と――」


 とケルヴィンはしどもどしながら嘘をつく。

 だが幸いにも(?)ジョットはそれを信じたようで、見るからに冷めきった目つきになって言った。


「そうかい。貴族様には貧乏人は存在自体が珍しいか。――蹴ったことは謝る、悪かった。憲兵に突き出すならそうしな」


「まさか、俺はそんなつもりじゃ――」


「なら帰る。悪かったな、もう二度と会わないし顔も見るこたあねえだろうよ」


 彼女が立ち上がるのと、ノックも無く父が扉を開けたのはほぼ同時だった。

 父がジョットの姿を視界に入れると、大げさに驚いた様子で、


「ん、おっ……これは、すまない」


「……いーえ、こちらこそ」


 ――何だ?


 ケルヴィンは妙な違和感を覚えた。

 顔見知り、なのか……?

 その直感はケルヴィンに与えられた天賦の才能と呼べるものである。

 だがケルヴィンの口から出た言葉は、


「ノックくらいはしてくれ……」


 という父への文句であったのは仕方のないことだろう。

 まっすぐ顔を見ることもできないのだ。

 ジョットが軽く父に頭を下げ、そそくさとその場を立ち去ろうとする。

 父はどこか迷う素振りをしてから、まっすぐにケルヴィンを見て――まるでジョットを意図的に視線に入れないような様子で――言った。


「もう、我々が……お前の動向を把握していたことはわかっているのだろう」


 そしてそれは、ケルヴィンが影で支えられていたことを理解した――ということすらも把握しているからの言葉なのだろう。

 気を使われ過ぎていたのが負い目となり、ケルヴィンはいたたまれずに視線を落とした。

 ジョットがドアノブに手をかけ、チラと横目でケルヴィンを見た。

 父が言う。


「お前が――あのドラゴンのために、『死を超える者の霊薬(ラスト・エリクサー)』を求めていることはわかっている」


 全て、お見通しなのだ。

 商人ギルドを牛耳っているのだから、当たり前だ。それを探そうとしているものがケルヴィンであることは簡単にバレてしまい、交友関係を調べればその結論にたどり着くのは容易なのだろう。

 ふと、ジョットが動きを止める。

 彼女の手はドアノブにかかったままだ。

 父が続ける。


「だがなケルヴィン。……あれは、無茶なものなんだ。我々が『最良の霊薬(エリクサー)』と位付けしたものでは駄目なのか? それならば、最高のものを用意できる」


 ケルヴィンはうつむき、すぐに答えた。


「……女王陛下から提供されたものを、既に試した」


 父は息を呑む。


「それは――知らなかったな……そうか、国が――」


 父は一度沈黙し、ややあって続く。


「ケルヴィン、あの薬は――」


「由来は知ってる。一口でも活力が溢れ、魔力と命が膨れ上がり、暴走し内側から肉を食い破る悪魔の霊薬。ザカールの遺産。だから、ラスト、エリクサー。だけど、あいつを救ってやりたい。あいつの体は今、死に続けてるんだ。そういう[言葉]を受けてしまったんだ――」


 それは、藁にもすがる思いであった。

 しかし、父は言った。


「無理だ。……あれはもう、手に入らない。――あの薬はなケルヴィン、人を殺すのに一口すら必要無いのだ。触れただけで――弱いものは香りだけでも死に至る。……故に、製造には死を超えた者、[司祭]が必要なのだ」


「それなら――!」


 ミラベル姫がその[司祭]だ、そう口にしようとした瞬間だった。


「また巻き込むつもりかい、シグルド坊や」


 底冷えのする声色で、ジョットが父の名を口にした。

 一瞬、父が息を呑む様子を見たケルヴィンは、困惑する。

 だが父は何も言わず、ただ静かに目を閉じただけだ。

 ジョットは踵を返し、ケルヴィンのもとに歩みながら父の姿を見ようともせずに吐き捨てる。


「夢はもう諦めたのかい?」


「――年を取れば出会いがある。出会いの多さが責任となれば、それが大人というものだ」


「ハッ! ご立派」


 ジョットは革の鞄をまさぐると、中から奇妙な漆黒をした小さな小箱を取り出し、ケルヴィンに無理やり押し渡した。

 質問したことは山ほどあった。父とは知り合いなのか、呼び捨てにできる仲なのか――。

 最後に、親しかったのか、と聞きたい衝動を抑え込んだケルヴィンは、その漆黒の小箱を受け取り、


「これは――?」


 と問う。


「今欲しがってたものさ。『死を超える者の霊薬(ラスト・エリクサー)』、箱はあけんなよ? マジで死ぬからな」


 ケルヴィンは、言葉を失った。

 いくつもの『何故』が頭の中で繰り返され、その漆黒の小箱が光も熱も吸収する奇妙な素材でできていることに気づく。

 ケルヴィンの口から咄嗟に出た言葉が、


「こんな貴重なものを……」


 であったのは、彼が未だに商人の子としての自分から脱却できていないが故だ。

ふと、ジョットがさみしげにつぶやいた。


「どいつもこいつも、誰かのためにだとか、世界のためにだとか、そんな理由をつけて真っ先に死にやがる。……きっとそれは、正しいんだろうよ。ああ、全く。正しすぎて反吐がでる」


 ケルヴィンがジョットを見ると、彼女の黒い瞳が真っ直ぐにこちらを見据えていた。


 彼女は言った。


「誰かを助けるのに、理由はいらねえはずだ」


 と。

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