第77話:ジョット・スプリガン

 次の日。

 ケルヴィンは身支度を整え、数年ぶりの帰路につく。

 それは、見知った道であり、懐かしさもあるものの、所々に襲撃の跡が生々しく残っており、その光景がケルヴィンの心に焦りと怯えを生む。

 それでも、と歩みを止めないのは、家族のもとに帰れない友人の言葉があるからである。

 そして、家に連絡を入れずにいるのは、ケルヴィンの弱さの現れである。


 留守であれば、言い訳は……立つはずだ。

 ケルヴィンの弱さが、家を目指す歩みを遅くさせる。

 本心では、今でも逃げ出したいのだ。

 だが、顔を見せると言ってしまった手前、それを全うせねばならないというのがケルヴィンという男なのだ。

 嫌でも、会う必要がある。

 騎士としてでも、商人の子としてでもなく、彼の友人として――。


 向かう、帰る、それだけのことだというのに感情が邪魔をし、そして、ケルヴィンは近づいて来る懐かしい風景から逃げるようにして視線を泳がした。

 ふと、懐かしい宿屋の看板が目に入る。


 [宿所]というシンプルなその名は、ずっと昔父が世話になった思い出の場所なのだそうだ。

 ここで働きながら、鎧職人を目指し、それが気づけば、国の流通サービスを一挙に受け持つ魔法通信販売事業の長となったのは、どんなめぐり合わせだったのだろう。

 かくして、得た功績と莫大な資産のおかげでマクスウェル家は国家から正式に認められた、新しい貴族の一つとなったのは、別に良い。


 だがそのことで、古い貴族たちからやっかまれ、嫌がらせも受けたのが、ケルヴィンの幼少時代なのだ。

 年の離れた兄や姉ならば、既にその心構えはできていたのかもしれない。

 だが、ケルヴィンはそうではなかったのだ。

 それの恨みを父にぶつけるのは、理不尽だと自分でも理解していた。

 感情は理性で抑えきれるものではない。

 ケルヴィンの弱みが、自然と足を宿屋へと進めてしまう。

 使い古された扉の取っ手に手をかけた、その時だった。


「この女、ぶっ殺してやる!」


 店内から怒鳴り声が聞こえ、ケルヴィンは目を細めた。

 ケルヴィンは半ば本当の目的から逃げるようにして、勇ましく扉を開け、言う。


「どうした、何の騒ぎだ! 女性に暴行を働いて――」


 瞬間、ケルヴィンの頭上に屈強な男の体が降り注ぐ。

 咄嗟にケルヴィンは避け、


「あ、ああ!?」


 と意味のわからない悲鳴を上げた。

 見れば、赤毛の小柄な女性が六人の男たちに取り囲まれているでは無いか。

 すぐにケルヴィンは怒鳴り声を上げる。


「そこの! 何をしているか!」


 そして、その赤毛の女性の顔を見、思わず息を呑んだ。

 健康的な日に焼けた肌、意志の強そうな瞳、炎のように赤い髪は愛らしくカールしており、ケルヴィンは思わず、


「乙女だ――」


 とつぶやいた。

 その女性を取り囲む男の一人が、怒鳴り返す。


「あぁ!? 部外者はすっこんで――んあ!? ケルちゃん!?」


 ケルちゃん、と呼んだ男の顔面に、木製のテーブルが直撃した。

 男はそのまま「ぐおあ」と悲鳴を上げ、テーブルと共にふっとばされる。

 男の一人が、


「ああ、ユーちゃん!!」


 と悲鳴を上げると、赤毛の女性はその男に向けて再びテーブルを蹴り飛ばす。


「こ、この女、許せねえ!」


 と叫んだ男の顔を女性は飛び蹴りし、踏み台にし、もう一人の男の顔面に踵を振り落とす。

 男は悲鳴を上げ倒れ込み、残った三人の男が怯み、じわりと後ずさる。

 赤毛の女性が小さく鼻を慣らし、言った。


「だから、てめぇらが一番役立たずだって! 言ったんだろうが! 餓鬼共がァ!」


 その鬼のような形相にケルヴィンも同じく怯み、


「な、何があったんだ……?」


 という問いは小声で囁かれただけだ。

 男の一人が言う。


「意味わかんねえこの女! いきなり殴りかかって来やがった!」


 すると、すぐに赤毛の女性が怒鳴り散らす。


「てめぇら餓鬼共が! 軟弱者だっつーことをだなぁ! このアタシが教えてやろうってんだよ! ああ!? てめぇらみてぇなカスが! 命を賭けて戦って死んだ人たちをなぁ! よくも好き勝手言えるもんだなぁ!?」


 直ぐ側で小さくなっている宿屋の店主が、


「あ、あのぅ……喧嘩は余所で……」


「じゃかあしい!――餓鬼どもが、もう一度言ってみな! 騎士団が何だって!?」


「ああ!? なんでてめぇキレてんだ!?」


「もう一度言ってみろ!! 餓鬼共が!」


「国も守れねえ腰抜けだって言っ――おふお!?」


 赤毛の女性の拳が、男の顔面にえぐりこまれる。

 男は半回転しながらその場に倒れ込んだ。

 残された二人の男が弱気になり、


「な、なんで殴るんだ……」


「お前だって一緒に悪口言ってたろうが……」


 と怯えた声を出す。

 ケルヴィンは何がなんだかわからず、その場で固まっていると、一人の男がまたケルヴィンに気づき、


「あ、ケルちん……」


 とつぶやくとその男は頭上から振り落とされた踵が脳天に直撃し、ベタンと突っ伏した。

 最後に残った男は、


「な、なんで!? お前だって悪口言ってたじゃん! 一緒に言ってたじゃん!? ゆ、許せねえ! この野郎ぶっ殺してや――」


 と殴りかかるも、あっという間に繰り出された回し蹴りが顔にお見舞いされ、男はくるりと中を舞いながら伸びている男たちの上に倒れ込んだ。

 女性がこちらを見る。

 思わずケルヴィンは、


「お、お嬢さん、暴力は行けない……」


「てめーがこいつらの言ってた親玉かい?」


「は?」


「華奢な坊っちゃんが、手下を使ってさぁ!! ええ!? 良い身分だなぁ!?」


 そのまま女性は飛び上がり、ケルヴィンの頭上目掛けて踵落としを繰り出した。

 咄嗟にケルヴィンは頭の上で腕を交差し防御の体制を取る。

 だがそのまま彼女はくるりと身を翻し、ケルヴィンのがら空きの胴を思い切り蹴り飛ばした。


 そのままケルヴィンの体は、


「何の騒ぎだ、騒々しい!」


 とちょうど扉を開けた恰幅のいい壮年の男性に直撃し、二人はもみくちゃになってその場に転がった。

 薄れゆく意識の中、ケルヴィンは同時に聞く。

 女性の、


「てめぇら覚えて起きな! このジョット・スプリガン様の目が黒いうちはなぁ! テメェらカス共の好きにはさせねえってなぁ!」


 という啖呵と、つい今しがた激突した、


「う、痛ったぁ……。な、何が、何なの……んお!? ケ、ケルヴィン?!」


 という懐かしい父の声を。

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