第70話:封印
それは、偶然であったのか、あるいは何かに導かれたのか。
黒竜にはわからない。
ただ、引き寄せられた気がしたのは事実だった。
それは物理的なものでは無い。
上空できりもみしながら墜落する際、感覚的に黒竜は淡い輝きを持つ何かに引き寄せられるような錯覚を起こしたのだ。
そして、そこにザカールがいて、今まさに死に絶えようとしている一人の騎士がいた。
――知っている人だ。
思考の片隅でそう思いながらも、黒竜は反射的にザカールの身体を牙で無理やり噛み砕く。
やけに静かに感じられた。
頭の中がクリーンなのだ。
一瞬の後に、ザカールから放たれた、
『〝オル・ディグラース〟!』
の叫びと同時に黒竜の上顎が腕力だけでちぎれ飛ばされる。
だが、激痛すら感じる間も無い刹那の瞬間、黒竜はたしかに聞いた。
今まさに、光の槍によって身体を朽ち果てようとしているその騎士。ケルヴィンの叔父、アンジェリーナの父親、ドリオ・マリーエイジ。
ケルヴィンが憧れる、騎士。
――お前が[願いの器]だというのなら――我が想いを守れ。
彼の肉体は消失し、淡い虹彩を放つ光となり、黒竜の鱗一枚一枚の隙間から内側に入り込む。
考える間も、疑問に思う間もなく黒竜の体に圧倒的な力と、想いと、知らない記憶が溢れ――。
黒竜は、叫んだ。
「〝
※
[古き翼の王]の絞りカスが、[王者の言葉]を口にした。
ザカールは驚きはしたものの、それならばそれでいいと感じ、すぐさま状況に対応しようとした。
だが、その時だった。
一瞬、ザカールは宮殿から発せられた強烈な波動に気を取られた。
言葉が走ったのだ。
その感覚を、ザカールは知っている。
ただ話すための言葉と、ドラゴンの――否、概念の魔法である[言葉と息]には、魔力とは違う特有の波動がある。
十五年前に一度――裏切り者のレイジと女王オリヴィアによって阻まれた、[古き翼の王]の復活。
千年もの間、[古き翼の王]は刻印の中で魂を少しずつ、少しずつ喰らい、力をつけてきた。
それを阻止されたのは痛手であったが、一瞬の復活がザカールに施された封印を緩め、こうして再び帰還を果たしたのだ。
あの時感じたものと、全く同質のものが、今、宮殿にある。
ザカールは、仮面の奥で顔を歪める。
そこにいたのか――。
結局、千年前の、ザカールと[古き翼の王]のちょっとした勝負は互いの道具として呼び寄せた駒によって台無しにされ、破れたのだ。
しかし、とザカールは思う。
今となれば、悔しさよりも喜びの方が勝っている。
ザカールを――それどころか[古き翼の王]をもビアレスは出し抜いたのだ。
既に限界だと自覚していた人の力は、こんなものでは無かった。
ザカールが無知であっただけなのだ。
こんなにうれしいことは無い。
ならば――。
『ドラゴンなどもはや不要!』
ザカールは四重ほどに積み重ねた〝雷槍〟と〝八星〟を、[古き翼の王]の口の中目掛けて同時に撃ち放つ。
[古き翼の王]は咄嗟に翼膜を盾にするものの、ザカールの魔法を防ぎきれずに翼膜を焼き飛ばした。
それでも[古き翼の王]はひるまず、残された巨大な右翼の鉤爪をザカールに向けて振り下ろした。
ザカールは即座に[バスターハンド]を起動し、魔力の粒子を壁のようにして撃ち放つ。
『接近戦とは、愚か者――!』
[バスターハンド]から放たれた魔力粒子が、灼熱を帯び黒竜の体を焼いていく。
右手で再び〝八星〟の槍を形作る。
黒竜が、あっという間に再生した口で息を放つ。
放たれた灼熱と破壊の言葉よりも早く、ザカールは〝八星〟を真正面で弾けさせると、溢れ出る魔力の塊を盾とした。
〝八星〟の盾と灼熱と破壊の言葉が互いにぶつかり合い、混ざりあい、破裂し、黒竜の体とザカールの体を弾き飛ばした。
やはり、弱い。
それはザカールの確信である。
黒竜から出る[言葉]は、あまりにも脆弱なのだ。
そして人の言葉にしてはあまりにも、雑多で有りすぎる。
概念が固定化されていないのだ。
それはすなわち、大勢の意志が統合されていないが故。
やはりビアレスが、何かしたのだ。
ザカールが与えた[古き翼の王]の肉体と、ザカールが呼び寄せた[古き翼の王]の魂を別々に封印することに、ビアレスは成功したのだ。
ザカールは、その方法にたどり着く。
人の魂を集め、[古き翼の王]の餌場としていたその刻印を、利用したのだ。逆に[古き翼の王]を刻印の中に封じ込めたのだろう。
ザカールはそのまま[古き翼の王]に追い打ちとばかりに〝八星〟の槍を連続して撃ち放つ。
そしてザカールは考える。
――どうやって……?
ザカールは答えの見つからぬ問いに、喜んだ。
それでこそ、私の見込んだ宿敵だ――。
それでこそ、私の成せなかったことを成し遂げた、憎むべき、妬むべき相手だ。
こんなにうれしいことは無い。
まだ、全力をぶつけて尚勝ち目の薄い相手がいたのだ。
めぐり会うことができたのだ。
ザカールの内の喜びが、狂気が、彼を歓喜に打ち震わせる。
『〝
ザカールと[古き翼の王]が同時に叫んだ。
互いに爆発的な力を溢れさせ、ザカールの拳と[古き翼の王]の鉤爪が激突した。
拳にまとう魔法障壁が衝撃波を生み、一帯に襲いかかる。
そのままザカールは[古き翼の王]の鉤爪を弾き飛ばし、手刀で首元を貫いた。
[古き翼の王]は口から血を吐きながら、そのままザカールに狙いを定め叫ぶ。
「〝
『効かんと言った!!』
ザカールは片手で詠唱した〝八星〟を、[古き翼の王]から放たれた[言葉]にぶつけ、爆発させ、かき消した。
なおも、[古き翼の王]は足掻く。
[古き翼の王]はザカールに首を貫かれたまま、鉤爪でザカールをがしりと抑え込む。
無様な。
ザカールは苛立ち、声を荒げた。
『絞りカスが無駄な足掻きを!』
「俺は今、託された……!」
『雑多でしかないお前が、大義もなく、自分の意志すら無く!』
「あれは願いだ。叶わなかった、叶えたかった願いなんだ!」
『私とビアレスの戦いの邪魔をするか――!』
「だから、勝てる――!」
そして、再び[古き翼の王]とザカールは同時に叫んだ。
『〝
双方から放たれた赤黒くべたついた殺意の固まりは、ザカールが持つ対生物用の最強[言葉]でもある。
破壊では無く、死。
だが、ザカールは避けることは考えなかった。
ザカールと[古き翼の王]の決定的な違いはそこにある。
[古き翼の王]に[死の言葉]は、完全には効かないだろう。
存在は不滅なのだ。
肉体はいくらでも再生する。
だが――再生するたびに、その肉体を殺し続けるのだ。
そしてザカールは、この体ならば捨てれば良い。
――勝った。
ザカールの体に[死の言葉]がべたりと張り付き、肉体を蝕んでいく。
しかし選り好みさえしなければ代わりの肉体はいくらでもいる。
そして、その傲慢さが大きな隙を生んだ。
翼を、顔を、鱗を[死の言葉]によってぼろぼろに崩れさせる[古き翼の王]の影から、小さな何かが姿を現した。
ザカールは自分の体を[死の言葉]で崩れさせながらも咄嗟に反応し、そのなにかに向けて〝雷槍〟を撃ち放つ。
光の速度でその何かは撃ち貫かれ、爆発し――
「――遅い」
ザカールがはっとして振り返った時には、既にリディルの持つ[貪る剣]がザカールの首から腰までを貫いた。
ザカールの体から、急激に魔力が奪われていく。
リディルの漆黒の鎧が淡く輝いた。
『私の、剣を――!』
[貪る剣]が、ザカールの魔力を文字通り貪り尽くしていく。
漆黒の鎧の輝きが更に強くなる。
その輝きは、まるで命を吸い上げているかのような不気味さと美しさを併せ持っているように見えた。
リディルが叫ぶ。
「ここでやる! [オルトロス]の魔導師は援護!」
リディルが取り出した透明な石が、そのまま砕け散った。
キィン、と全ての情景、音すらも遠くなるような錯覚を覚えたザカールは、全ての体の自由が効かなくなりながらも、
『〝時間圧縮〟か――!』
と叫ぶので精一杯だった。
そして、ザカールの肉体と魂は、時の牢獄に取り残されたのだった。
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